↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
亀山探偵事務所ーー亀、空を飛ぶ。  作者: もちむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/25

第二十四章 さようならの、その先

第二十四章 さようならの、その先


 深月は、龍王の右手を両手で包んでいた。


「痛いの、痛いの、飛んでけ」


 傷の周りを、そっと撫でる。


 龍王は顔を伏せ、肩を震わせていた。


 亀山は、その少し後ろに立っていた。


 先程まで誰の声も届かなかった龍王が、小さな少女の前で泣いている。


 雨が髪を濡らし、頬を伝った。それが涙と混ざって、地面へ落ちていく。


「……お前」


 しゃがれた声がした。


 喜美子が、肘をついて身体を起こしていた。


 その目は、深月へ向けられている。


「あの時の、娘か」


 亀山は喜美子へ顔を向けた。


 龍王の手に触れていた深月も、振り返る。


「何故、お前がここにいる。お前も蘇ったのか」


 十兎が、喜美子の身体を起こした。


 雨に濡れた髪が、頬に張りついている。


「子供のくせに、女のくせに。この私を、またそんな目で見るか!」


 深月は、龍王の手をゆっくり離した。


 十兎へ向き直る。


「まだ、そんなことを言っているの?」


 少女の声は、はっきりしていた。


「子供だから。女だから。だから何?そう言えば、あんたのすることに黙ってついていくとでも思っているの?」


「黙れ!」


 十兎が立ち上がろうとした。


 近衛兵たちが動きかけたが、万亀雄が手で制した。


 亀山は深月を見ていた。


 小さな身体は、怯むことなく十兎へ向けられている。


「あたし、あんたと話したくはないの。でも、神様から頼まれたから、伝えるわ」


 十兎の動きが止まった。


 深月は、静かに続けた。


「お前に、愛を知る機会を与えた」


 龍王が顔を上げた。


「愛する者を見つけた人の中で、その人とともに一生を過ごし、愛を学ぶはずだった」


 亀山は、呪いの言葉を思い出した。


 子孫が愛する者を見つけた時、その魂が引き戻される。


 死者を呼び戻すことは、その者をただ罰するためではなかった。


「けれど、お前は、その愛が歪んだ時、それを利用した。与えられた命を奪い、また、自分のために人を殺そうとした」


 兎月が、近衛兵の後ろから喜美子を見ていた。


 亀山は、その横顔へ目を向けた。


 息子を愛する母の中に宿った。


 その母とともに生きながら、十兎は何を見ていたのだろう。


「愛を知る機会を与えたが、お前はそれを選ばなかった」


 深月の声が、雨の降る広場へ通った。


「二度と、この世に生を受けることはない。暗黒の地で、未来永劫、自分のしたことを悔いるがいい」


 少女は一度、息を継いだ。


「……以上よ」


 十兎が口を開いた。


 その声が出る前に、空が光った。


 雷鳴が轟く。


 亀山は反射的に腕で顔をかばった。


 足元まで響く衝撃が走り、少し離れた石畳に雷が落ちた。


 そこに、黒い穴が開いていた。


 底は見えなかった。


 ただ暗いというだけではない。覗き込もうとする目を、その奥へ引き込むような闇だった。


 穴の奥からは低い呻き声が聞こえた。


 遠くで、いくつもの声が重なっているようだった。


 亀山の背中に、冷たいものが走った。


「う、あ……!」


 喜美子が身体をくねらせた。


 その姿に、もう一人の輪郭が重なる。


 男だった。


 長い耳を持つ、年老いた男の姿が、喜美子の身体からずれていく。


「やめろ……私は……!」


 十兎が手を伸ばした。


 何かにつかまろうとする指が、地面をすり抜けた。


 喜美子が倒れた。


 その上に残った男の姿が、黒い穴へ吸い込まれるように輪郭が歪んでいく。


 男の足が煙のように霧散し穴へ吸い込まれていく。


「龍王! お前は……!」


 声も、途中で引き延ばされるように途切れた。


 伸ばされた手が消え、顔が消えた。


 最後に耳の先が闇へ吸い込まれると、穴は小さくなった。


 呻き声が遠ざかる。


 やがて、何も聞こえなくなった。


 石畳には、雷の焼け跡だけが残っていた。


     *


「母さん!」


 兎月が駆け寄った。


 源兎も立ち上がり、喜美子のそばへ膝をつく。


 亀山も近づいた。


 喜美子は目を閉じていた。


 胸が、ゆっくり動いている。


「息はあります」


 亀山が言った。


 源兎は妻の顔を見つめ、震える手で、頬に張りついた髪を払った。


「……喜美子」


 返事はなかった。


 兎月が、母の手を握る。


 近衛兵が医師を呼びに走った。


 亀山は立ち上がり、龍王へ目を向けた。


 深月が、その前に立っていた。


「もう、大丈夫」


 少女は言った。


「これは、あの人の終わり。でも、おじちゃんにとっては、始まりだからね」


 龍王が手を伸ばした。


 深月の小さな手を取り、両手で包む。


「……もう、行ってしまうのかい」


 深月が頷いた。


 龍王の目から、また涙が落ちた。


「私も、一緒に連れていってはくれないか」


 亀山の呼吸が一瞬止まる。


 深月は、龍王の顔を見ていた。


「おじちゃんは、ここから始まるの」


 優しい声だった。


「そのために、今日はちゃんと、さよならしなきゃ」


 龍王の指が、少女の手を握り直した。


 深月は、急かさなかった。


 しばらく待ってから、空いている手で小さなハンカチを取り出した。


 龍王の頬へ当てる。


「まるで、赤ちゃんみたい」


 少し笑った。


「そっか。生まれたばかりだから、赤ちゃんなのね。だったら、いっぱい泣いてもいいわ」


 涙を拭っても、また次の涙がこぼれた。


 深月はハンカチを畳み、龍王の手へ握らせた。


「これ、あげる」


 龍王が、手の中を見た。


「お父ちゃんが作ってくれたの。でも、お父ちゃんなら、きっと同じことをすると思うから」


 龍王は、ハンカチを握ったまま顔を伏せた。


 深月が、そっと手を抜いた。


「じゃあね、おじちゃん」


 一歩、離れる。


「さようなら」


 龍王が顔を上げた。


 少女を見つめる。


 引き留めようとした手が、途中で止まった。


 ゆっくり下ろす。


「……さようなら」


 深月は、にっこり笑った。


 その輪郭が、光にほどけ始めた。


 白いワンピースの裾から、小さな粒が舞い上がる。


 髪も、手も、笑っていた顔も、たくさんの光になった。


 灰色の雲の下を、光の粒が昇っていく。


 龍王は、その最後の一つが見えなくなるまで、顔を上げていた。


 手の中には、ハンカチが残っていた。


     *


 雨が弱くなっていた。


 雲の切れ間から、薄い日差しが広場へ落ちる。


 龍王は立ち上がった。


 髪も衣も濡れていたが、先程の怒りは、その顔から消えていた。


 広場の縁で祈り続けていた民が、少しずつ顔を上げた。


 龍王は、その一人一人を見るように、ゆっくり視線を巡らせた。


「皆、私の話を聞いてほしい」


 声は、遠くまで届いた。


「私は昔、大切な友と、友が何より大切にしていた娘を失った」


 誰も、口を挟まなかった。


「救えなかったことを悔い、奪った者を憎み、その思いに長い間、囚われていた」


 龍王は、手の中のハンカチを見た。


「この国がどうなろうと構わない。そう思うことさえあった。私は、その間、自分の務めから目を背けていた」


 万亀雄が、黙って聞いていた。


 獅子音と明も、その隣に立っている。


「それでも、四方や国に仕える者たちは、民の暮らしを守り続けてくれた。今日、私が怒りに我を失った時も、私に刃を向けず、戻ってくることを願ってくれた」


 龍王は、広場の民へ頭を下げた。


「恐ろしい思いをさせた。すまなかった」


 亀山は、龍王の濡れた髪を見ていた。


 顔を上げると、龍王は続けた。


「私は今日、ここで自分の生を生きると決めた。失った者を忘れるためではない。その者たちとの時間を抱えて、これからを生きるために」


 ハンカチを、胸元へ収める。


「約束しよう。これからは、この国のために尽くしていくと」


 広場は静かだった。


 やがて、どこかで拍手が聞こえた。


 一人、また一人と、手を打つ音が重なる。


 膝をついていた民が立ち上がった。


 拍手は、広場全体へ広がっていった。


 亀山は、その音を聞きながら息を吐いた。


 隣へ、獅子音が来た。


「……終わったね」


「ええ」


 亀山は頷いた。


 喜美子には医師がつき、兎月と源兎がそばにいた。


 弟は近衛兵と話している。


 明は椅子へ座り、係員から水を受け取っていた。


 それぞれが、また動き始めている。


 亀山は携帯を取り出した。


 病院へ向かった蛇森から、メッセージが来ていた。


『処置、終わった。生きてる。腹減った』


 亀山は、画面を見たまま小さく笑った。


「蛇森?」


 獅子音が尋ねた。


「はい。お腹が空いたそうです」


「元気そうだ」


「……ええ」


 亀山は返事を打った。


『今から行きます』


 送信して、携帯をしまう。


 雲の向こうから、陽の光が差していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。