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亀山探偵事務所ーー亀、空を飛ぶ。  作者: もちむぎ


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第二十一章 亀は飛べない

第二十一章 亀は飛べない


 亀山は、地面に置かれた鉄板を見下ろしていた。


「……何故、ここへ座るのですか?」


「君を先に戻すためだよ」


 獅子音はロープを通しながら答えた。


 片方を鉄板へ、もう片方をトラックの荷台へ結びつける。


「車には、もう道具が積んであるからね。ちょうどいい場所がないんだ」


「でしたら、荷物を少し動かして――」


「亀山。時間がないんだろう?」


 それを言われると、何も返せなかった。


 友香は保護された。


 だが、喜美子はまだ、そのことを知らない。


 兎月がゴールした後、どんな行動に出るのか。自分の目で確かめるためにも、先に会場へ戻りたかった。


 亀山は、恐る恐る鉄板に座った。


「……これで、本当に大丈夫なのですか」


「しっかりつかまってね」


 獅子音が言った。


 亀山は、板の縁へ手を掛けた。


 獅子音は運転席へ向かって声を掛ける。


「城の方へお願いします。沿道に人が見えたら、そこで止まって。後は本人が走りますから」


 運転手が頷いた。


 犬崎は、亀山と鉄板を交互に見ていた。


「待ってください。それは――」


 エンジンの音が大きくなった。


 ロープが張る。


 鉄板が、勢いよく動いた。


「ちょっ……!」


 亀山の身体が後ろへ倒れかけた。


 必死に縁を握り直す。


 足元の地面が、急に流れ始めた。


「うそでしょうぉおお!」


 叫び声を残し、亀山は坂を下っていった。


     *


 鉄板が、地面を擦っていた。


 がたがたと跳ねるたび、亀山の身体も揺れた。


 トラックの後ろから舞い上がった砂が、顔へ飛んでくる。


 目を閉じるわけにもいかない。


 手を離すことなど、もっとできない。


 急いではいた。


 確かに、急いではいた。


 しかし、こんな目に遭うとは聞いていない。


「獅子音ぉおお!」


 声は、車の音にかき消された。


 往路では少し見掛けた観客も、今は沿道にいなかった。


 皆、ゴールを見ようと広場へ戻ったのだろう。


 この姿を誰にも見られていない。


 それだけが、唯一の救いだった。


 鉄板が、また跳ねた。


 亀山は歯を食いしばった。


 背中に甲羅があっても、揺れないわけではない。


 硬い物の上へ座らされ、何度も地面の凹凸を拾えば、それなりに痛かった。


「もう少し、ゆっくり……!」


 届いていない。


 トラックは快調に坂を下っていた。


 亀山は、板へさらに身体を寄せた。


 前方で、トラックが小さな土の盛り上がりを越える。


 その先に、人影があった。


 運転手が、急ブレーキを踏んだ。


 トラックが止まる。


 鉄板は、止まらなかった。


 ちょうど盛り上がった土へ乗り上げ、勢いのまま跳ね上がった。


 亀山は、手の下から板が消えるのを感じた。


「……え」


 空が見えた。


 青かった。


 驚くほど、綺麗だった。


 亀族というのは、飛べるものだったのか。


 飛べません。


「終わったぁあああ!」


 鉄板は前方へ落ち、金属音を響かせた。


 亀山は、そのさらに向こうへ飛んでいった。


 背中から落ちる。


 甲羅が地面を打った。


 そのまま滑り、転がり、ようやく止まる。


 しばらく、何も考えられなかった。


 空が、まだ見えていた。


「……」


 指を動かす。


 足も動いた。


 ゆっくり身体を起こすと、背中のジャージが大きく裂けていた。


 甲羅が剥き出しになっている。


 亀山は、その感触を確かめた。


 続いて、恐怖と怒りが一緒に湧き上がった。


「しぃ……しぃしぃ……」


 上手く名前が出てこない。


 大きく息を吸った。


「獅子音ぉおお! 絶対、許すまじぃいい!」


 沿道にいた民が、こちらを見ていた。


「この恐怖、いつか必ず、味わっていただきますからねぇええ!」


 子供が、親の後ろへ隠れた。


 亀山は、そこで周囲に気づいた。


 息を吸う。


 吐く。


 もう一度、吸って吐く。


 ようやく立ち上がった。


 少し離れたところで、運転手がトラックから降りかけていた。


「だ、大丈夫ですか!」


「……動けます」


 亀山は答えた。


 落ちた鉄板と、切れたロープへ目を向ける。


「先生方のところへ戻ってください。僕は、ここから自分で行きます」


 運転手は、それでもしばらく亀山を見ていた。


 亀山が歩き出したのを確かめると、板を回収し、車へ戻った。


 トラックが別の道へ去っていく。


 亀山は、背中の破れをもう一度触った。


 腹が立つ。


 それでも、立ち止まっている時間はなかった。


     *


 広場まで、あと三キロほどだった。


 亀山は走り始めた。


 本人は、走っている。


 先程まで地面の方が勝手に進んでいたので、今は驚くほど景色が変わらなかった。


 携帯が鳴った。


 弟からだった。


『喜美子さんは会場にいます。何度か席を離れようとしましたが、話をして引き留めています』


 亀山は短く礼を送り、携帯をしまった。


 足を動かす。


 沿道の人が増えてきた。


 一人が亀山を見て、目を丸くする。


「亀山が、先頭だ!」


 その声で、ほかの民も振り向いた。


「頑張れー!」


「何があったか知らねぇが、もう少しだぞ!」


 何があったのか、自分でも説明したくなかった。


 亀山は前を向いた。


「あの人、背中が破れてる」


「こら。指を差さないの」


 親子の声が聞こえた。


 亀山は、聞かなかったことにした。


 広場が近づくにつれ、声援が大きくなっていく。


 こんな速さで、こんな姿で戻ってくるとは、誰も思っていなかったのだろう。


 亀山自身も、思っていなかった。


 ゴールテープが見えた。


 最後の力で足を動かし、その向こうへ出る。


 歓声が上がった。


 亀山は数歩進み、膝をついた。


 手を地面へ置き、息を整える。


 整わなかった。


「亀山さん!」


 係員が駆け寄ってきた。


「一着です。おめでとうございます!」


「……あの」


 亀山は顔を上げた。


「途中で、車に引かれました」


 係員の笑顔が止まった。


「車に……?」


「ええ。自力で走っていない区間があります。ですから、順位には入れないでください」


 係員は亀山の顔を見て、それから破れた服を見た。


「事故ですか?」


「その辺りの説明は、後ほど……」


 長く話すと、また息が切れた。


「ひとまず、僕を優勝者にはしないよう、お願いします」


 係員が戸惑いながら頷いた時、背後から声がした。


「亀山さん。凄いわねぇ」


 喜美子だった。


 手に、飲み物の容器を持っている。


「兎月が戻ったら飲ませようと思っていたの。たくさんあるから、あなたもどうぞ。喉が渇いたでしょう?」


 亀山は、差し出されたコップを見た。


 給水所の光景が浮かぶ。


 眠っていた明と係員たち。


 別の薬かもしれない。


 ただの飲み物かもしれない。


 今、試す気にはなれなかった。


「ありがとうございます。ですが、少し気分が悪くて」


 手を添え、やんわり押し戻す。


「飲んで戻してしまっては、申し訳ありません。今は結構です」


「あら……そう?」


 喜美子はコップを引いた。


 すぐに、コースへ目を向ける。


「兎月は、まだかしら」


「もうじきだと思います。獅子音さんと一緒でしたから」


「……そう」


 喜美子は立ち上がり、少し離れた場所へ移った。


 亀山はその姿を見ながら、息を吐いた。


「兄さん」


 弟が近づいてきた。


「大丈夫? その背中、何があったの」


「その件は、後でお話しします」


 亀山は上体を起こした。


「喜美子さんを引き留めてくれて、助かりました」


「兄さんが、急げと言ったからね」


 弟が声を落とす。


「頼まれた家系の記録も、届いたよ」


 携帯の画面を亀山へ見せた。


「当時の兎束家当主は、十兎。喜美子さんの祖父に当たる」


 亀山は、その名を見た。


 兎束十兎。


 まだ、喜美子の中にいる者が、その人物だと決まったわけではない。


 それでも、確かめるべき名前ができた。


「ありがとうございます」


「それから、兎束側へ金を渡すよう指示していたのは、源兎さんだと確認できた。父さんが、龍王様へ報告している」


 亀山は優待席へ目を向けた。


 父の万亀雄が、龍王のそばに立っていた。


 源兎は少し離れた場所から、こちらを見ている。


 その顔には、苛立ちが浮かんでいた。


 再び、歓声が上がった。


 獅子音が戻ってきた。


 その後ろに、兎月の姿が見える。


 身体を揺らし、足をもつれさせながら進んでいた。


 亀山は、兎月から目を離さなかった。


 給水所で見せた目の光は、今は伏せられている。


 薬が効いているふりを、続けていた。


 獅子音がゴールを越え、こちらへ歩いてくる。


「戻ってたね」


 亀山は睨んだ。


「トラックの件は、後で必ずお話しします」


「うん。無事でよかった」


「無事かどうかは、まだ判断しかねます」


 獅子音は返事をせず、兎月へ目を向けた。


 兎月がゴールした。


 その場に座り込み、俯く。


 喜美子が、すぐに駆け寄った。


 息子の肩へ手を置き、何かを話している。


 係員が近づくと、喜美子は首を振った。


「私が連れて帰ります。この子、朝から具合が悪かったので」


 兎月を立たせ、広場の外へ向かう。


 源兎は、その様子を遠くから見ていた。


 追おうとはしなかった。


「車を、お願いします」


 亀山が獅子音へ言った。


「今度は、座席に乗せてください」


 獅子音が笑いかけたが、亀山は睨んだままだった。


「分かった。行こう」


 弟が亀山へ手を貸した。


 立ち上がると、脚が震えた。


 それでも、喜美子の姿を見失うわけにはいかない。


「君は、こちらをお願いします」


 弟へ告げ、亀山は獅子音とともに広場を出た。


     *


 車へ乗ると、亀山はすぐ蛇森へ連絡した。


『喜美子さんが兎月さんを連れて会場を離れました。こちらで追います。兎月さんは意識が戻っていますが、薬が効いているふりをしています』


 前方で、喜美子の乗った車が曲がった。


 獅子音が運転手へ声を掛ける。


「間を空けて。気づかれないように」


 亀山は座席へ背を預けかけ、すぐに身体を起こした。


 剥き出しの甲羅が、座席へ当たっていた。


「……痛む?」


 獅子音が尋ねた。


「ええ」


「ごめん」


 今度は、笑いを含まない声だった。


 亀山は獅子音を見た。


「謝罪は、事件が終わってから、改めて伺います」


「分かった」


 車は、街の中心から外れていった。


 屋台の声も、祭りへ向かう人も、少なくなる。


 亀山は携帯で、蛇森から送られた建物の位置を開いた。


 向かっている方向は、同じだった。


 喜美子の車は、古い工場の手前で止まった。


 亀山は顔を上げた。


「ここからは、歩くようです」


 獅子音が頷いた。


 二人は少し離れた場所で車を降りた。


 喜美子が兎月の腕を取り、路地へ入っていく。


 亀山は携帯をしまった。


 息を整え、獅子音とともに、その後を追った。

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