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亀山探偵事務所ーー亀、空を飛ぶ。  作者: もちむぎ


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第十五章 百五十年前

第十五章 百五十年前


 美琴を見送って居間へ戻ると、道子は武雄の腰に湿布を貼っていた。


「母ちゃん、少し冷たいでぇ」


「効いてくれたら、ええんじゃけどねぇ」


 獅子音が、その様子を微笑ましそうに見ていた。


 亀山がちゃぶ台の前へ座ると、獅子音は顔を向けた。


「ところで、亀山。兎束の奥様が美琴さんへ話していたこと、君たちが調べている件と関係があるんだね?」


「ええ。友香さんと、その弟さんが狙われている可能性があります」


 蛇森も隣へ座った。


 亀山は、流兎の解雇について分かったことを説明した。獅子音は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。


「なるほど。奥様が友香さんを嫌っていることは分かった。でも、解雇を指示した者は、まだ分からない」


「はい。そこは、分けて考えています」


「ほかにも、何かある?」


 亀山は頷いた。


「獅子音さんのところへ届いている虚偽の報告です。亀山にも羊山にも、同じような報告が増えています」


 獅子音の顔から、笑みが消えた。


「君の弟から、問い合わせが来たよ。時期と件数を調べている」


「ありがとうございます。僕は、同じ目的で起こされているのではないかと考えています」


「目的?」


「四方の仕事を増やし、動けなくすることです」


 獅子音が、後ろの男へ目を向けた。


 銀髪の男は小さく頷いた。


「確かに、かなりの人数が調査に出ています」


「銀狼も、ここへ来るまでは別の店を調べていたんだ」


 獅子音が言った。


「次々に報告が来るからね。何もなかったと確認した頃には、また別の報告が入る」


「増え始めたのは、いつ頃でしょう」


「ひと月ほど前だね」


 亀山が頷いた。


「今年の大会種目が発表された頃です」


 蛇森は、獅子音の顔を見た。


 獅子音は首を傾げた。


「マラソン大会のために、私たちを疲れさせていると言いたいの?」


「その可能性を考えています」


「でも、マラソンなら、そんなことをしなくても兎束が勝つだろう。私はこの体格だし、羊山だって走るのが得意ではない。亀山は……」


 獅子音が言葉を止めた。


 亀山は、口元だけで笑った。


「お気遣いなく。亀山家の辞書に、走るという文字はありません」


「そうだろう? わざわざ、こんなことをする必要があるかな」


「普通なら、ないでしょうね」


 亀山はちゃぶ台へ手を置いた。


「ところで、獅子音さんは、兎束源兎さんとお話しになることはありますか?」


「あまりないね。昔から、少し苦手で」


「どういったところが?」


「自信があるのはいいんだけどね。自分と違う考えを、聞こうとしないところかな。種族で相手を見下すこともある」


 獅子音は、一度、銀狼を見た。


「この間、動画の件で連絡したよ。うちの店で撮られたものだから、配信者の確認と情報の提供を頼んだ。でも、個人の情報は出せないって、断られた」


「削除は?」


「それは、受けてもらえた。ただ、その頃には、あちこちへ広まっていたからね」


 蛇森は、事務所で見た動画を思い出した。


 同じ映像が、違う題名で上がっていた。


「どちらを調べても、兎束の名が出てきます」


 亀山が言った。


「ですが、名が出るというだけで、結論を出すわけにはいきません」


「そうだね」


 獅子音は頷いた。


 亀山は、しばらく黙っていた。


 それから、ゆっくり口を開いた。


「この件を考えていると、以前、この国の大会で起きた事件を思い出すんです」


「以前?」


「百五十年ほど前です」


 蛇森は亀山を見た。


 初めて聞く話だった。


「直接つながっているかは、分かりません。ただ、大会を自分の利益のために利用した者がいた。そのことが、どうにも気になっています」


 獅子音が姿勢を正した。


「聞かせてもらえる?」


 亀山は頷いた。


     *


「この大会は、神への感謝と、四方が国の繁栄のために力を尽くすという意思を示すために始まりました」


 亀山が話し始めた。


「当時、娯楽の四方を担っていたのは、猿木という猿族の家でした」


「兎束ではなかったの?」


 獅子音が尋ねた。


「ええ。建国してから、しばらくは猿木家です」


「知らなかったな……。私が勉強不足なのかな」


「国の図書館に記録がありますが、この事件の詳しい資料は、閲覧が制限されています。僕は祖父から聞いた話と、読める範囲の記録を照らし合わせました」


「君のお祖父さんは、その頃を知っているんだね」


「はい。亀十郎は、当時の猿木さんと親しくしていたそうです」


 亀山は、言葉を選ぶように少し間を置いた。


「猿木さんは、新しい娯楽を考えることが好きな方でした。民が楽しめる事業を思いついては、龍王様へ報告しに行く。その時の顔は、子供のようだったと祖父は言っていました」


 蛇森は、亀山の祖父の顔を思い浮かべた。


 その口から聞いた話なら、亀山にとっては、ただの古い記録ではないのだろう。


「店を持ちたいという者がいれば、なるべく希望をかなえようとした。難しい計画でも、どうにか形にできないか考え、許可を出したそうです」


「それは……増えすぎるだろうね」


 獅子音が言った。


「ええ。店子の数が増えるにつれ、一軒ずつ支えることが難しくなりました。それでも、猿木さんを頼る者は後を絶たなかった」


 道子が、湿布の袋を畳む手を止めた。


「その頃、客が入らず、破産寸前になっていたカジノがありました。店主は猿木さんを訪ね、助けてほしいと訴えたそうです」


「どんな助けを?」


「その年の大会で、最下位になってほしいと」


 獅子音が眉を寄せた。


 蛇森も、思わず声を出した。


「何で、負けろって?」


「大会の結果を使った賭博です。猿木さんが負ければ、店主に大金が入るよう仕組まれていた」


 亀山は二人を見た。


「その年の種目は、木登りでした。身軽な猿族の猿木さんが勝つと、大勢が考えていたでしょう。だからこそ、負ければ大きな利益になる」


「猿木さんは、断ったんだろう?」


 獅子音が尋ねた。


「はい。店を立て直すため、ほかの方法を提案したそうです」


 亀山の声が、少し低くなった。


「ですが、大会の三日前、猿木さんの娘が攫われました」


 蛇森は、膝の上の手を止めた。


「深月という、十一歳の子でした。亡くなった奥様の忘れ形見で、猿木さんは大切に育てていたそうです」


 道子が口元へ手を当てた。


「要求は、同じでした。大会で負けること。誰にも知らせないこと」


「……それで、従ったのか」


 蛇森が言った。


 亀山が頷く。


「当日の猿木さんは、ほかの四方を木へ登らせるため、下から支えたそうです。自分は、最後に登った」


 獅子音は黙っていた。


「記録には、泣きながら他の出場者を押し上げていた、とあります」


 部屋の中が静かになった。


 蛇森は、まだ会ったことのない父親の姿を想像した。


 娘を返してもらうために、人前で泣きながら、負ける。


 どれほど長い時間だったのだろう。


「深月ちゃんは、帰ってきたんだよね?」


 獅子音が尋ねた。


 亀山は、すぐには答えなかった。


 その沈黙に、蛇森の身体が強張った。


「……大会の後、龍王様が猿木さんに事情を尋ね、事件を知りました。龍の姿になり、カジノへ向かったそうです」


 亀山が続けた。


「そこで、店主と深月ちゃんの遺体を見つけました」


 道子が顔を伏せた。


 武雄は布団から手を伸ばし、そばに置いていた手拭いを妻へ渡した。


 獅子音は、ちゃぶ台を見つめていた。


「店主は毒物を飲んで亡くなっていました。深月ちゃんは、首を絞められていた。店主の手には、使われたと思われる紐があったそうです」


 蛇森は息を吐いた。


 胸の奥に、重いものが残った。


「ただ、一つ、説明のつかないものがありました」


 亀山が言った。


「店主の持ち物から、猿木さんへ宛てた手紙が見つかったのです」


 獅子音が顔を上げた。


「手紙?」


「祖父が内容を書き留めています。店主は、娘を解放するつもりだった、と」


 亀山は記憶を確かめるように、ゆっくり話した。


「深月ちゃんと話し、猿木さんがどれほど店子を思っていたか知った。取り返しのつかないことをした自分は、命を絶つ。娘には迎えが来るまで待つように言い、食料も置いておく。早く迎えに来てほしい……そう書かれていたそうです」


「じゃあ、何で……」


 蛇森は言いかけ、口を閉じた。


「分かりません。手紙を書いた後で気が変わったのか、ほかの誰かがいたのか」


「調べたんだろう?」


 獅子音の声が強くなった。


「当然、調べました。ですが、第三者を特定できる証拠は見つからなかった。手紙も出されず、店主のポケットに残っていました」


 亀山は獅子音を見た。


「当時の調査では、店主が最後に考えを変えたという見方が有力だったそうです」


 蛇森は、床へ視線を落とした。


 手紙に、迎えに来てほしいと書いた。


 けれど、出さなかった。


 それだけで、気が変わったことになるのか。


 疑問はあったが、今、この場で答えが出るものでもなかった。


「龍王様は、深月ちゃんを抱いて、猿木さんのもとへ戻りました」


 亀山が言った。


「猿木さんは、娘が無事に帰ると信じていたそうです」


 道子が、手拭いで目元を押さえた。


「その後、祖父が会いに行っても、猿木さんは何も話さなかった。食事も水も受けつけず、やがて亡くなりました」


 誰も、すぐには言葉を返さなかった。


 窓の外から、通りを歩く人の声が聞こえた。


 部屋の中だけ、違う時間が流れているようだった。


「……龍王様も、つらかっただろうね」


 獅子音が言った。


「はい。猿木さんは、大切な友人でしたから」


 亀山が頷いた。


「そして、祖父は、龍王様が呪いをかけたと話していました」


 蛇森は顔を上げた。


「呪い?」


「我が友を死に至らしめた者。その子孫が愛する者を見つけた時、その魂は黄泉の国から引き戻され、我が御前に姿を現す」


 亀山の声が、静かな部屋に通った。


 獅子音が、眉を寄せた。


「店主以外に、関わった者がいたとしたら?」


「その者にも、かけられたのでしょうね」


「死んでも、終わらせないということか」


 蛇森が呟いた。


「……どういう意図だったのかまでは、僕にも分かりません」


 亀山は首を振った。


「祖父は何か知っているようでしたが、詳しくは話しませんでした」


 獅子音が背もたれのない椅子に座り直した。


「それで、娯楽の四方が変わったんだね」


「ええ。空いた席に名乗りを上げたのが、当時から娯楽の事業で財を成していた兎束家でした」


 蛇森は、亀山を見た。


 兎束の名が、ここでも出てきた。


「今回と、関係があると思う?」


 獅子音が尋ねた。


「今のところ、そう言える根拠はありません」


 亀山は答えた。


「ただ、大会を私欲のために利用した事件があった。それを思い出した時に、今回のことが、ただの嫌がらせでは済まない気がしたんです」


 獅子音は、ゆっくり頷いた。


     *


 亀山の携帯が鳴った。


 画面を読んだ後、亀山は獅子音へ顔を向けた。


「弟からです。亀山へ虚偽の報告を送った者の一人が、兎束側から金を受け取っていたことを認めたそうです」


 蛇森は身を乗り出した。


「つながったのか?」


「ほかの報告についても、確認を進めています。まとまり次第、龍王様へ報告すると」


「ああ。君の弟、仕事が早いねぇ」


 獅子音が、感心したように言った。


「優秀だなぁ。羨ましい」


 その後ろで、銀狼が顔を上げた。


 蛇森は獅子音を見た。


「……獅子音さん。今、見るところ、そこですか?」


「え?」


「後ろの方が、怖い顔してますけど」


 獅子音の肩が、わずかに上がった。


 一度、咳払いをする。


「もちろん、うちも調査を進めているよ。銀狼をはじめ、皆、よく動いてくれているからね」


 振り向き、銀狼へ笑い掛けた。


「頼りにしてるよ」


 銀狼は目を逸らした。


 頬が、少し赤くなっていた。


 蛇森は、その顔を見てから、獅子音へ視線を戻した。


 こんな場面でさえ、あの一言で済んでしまう。


 羨ましいような、腹立たしいような気持ちになった。


「僕たちも、そろそろ戻ります」


 亀山が立ち上がった。


 道子が手拭いを畳み、膝へ置いた。


「重たい話やったねぇ……。でも、聞かせてくれて、ありがとうなぁ」


「長くお邪魔しました」


 亀山と蛇森は、老夫婦へ頭を下げた。


 店先へ出たところで、亀山が獅子音を呼び止める。


「四方が狙われている可能性は、まだあります。どうか、用心してください」


「分かった」


 獅子音は頷いた。


 それから、横に立つ銀狼を見た。


「まあ、銀狼がいるから。何かあっても、大丈夫」


「油断はなさらないでください」


 銀狼が、すぐに返した。


「はいはい」


 獅子音は笑い、通りへ歩き出した。


 銀狼がその後ろへ続く。


 蛇森は二人を見送ってから、隣の亀山を見た。


 亀山も、同じ方を見ていた。


「……帰るか」


「ええ」


 並んで歩き出す。


 蛇森は、さっき聞いた呪いの言葉を思い返していた。


 愛する者を見つけた時。


 何故、その時なのだろう。


 考えても、答えは出なかった。


 隣を歩く亀山は、黙っていた。

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