第十二章 守るために
第十二章 守るために
兎月と友香が並んで座り直すと、道子は座敷へ向かった。
武雄が腰を押さえ、顔をしかめていた。
「ほらぁ。急に起きるからじゃろう」
「つい、力が入ってしもうた」
「分かったから、じっとしときなぁ」
道子が湿布を用意する。
蛇森は床に落ちたワイシャツのボタンを拾い、兎月へ渡した。
「あ……すみません」
「俺に謝られてもな。後で縫ってもらえよ」
兎月はボタンを受け取り、ポケットへしまった。
流兎が小さく頭を下げる。
「つかんで……ごめん」
「こちらこそ。ちゃんと話さなくて、ごめんね」
二人が顔を見合わせたところで、亀山が口を開いた。
「では、今朝の出来事についてお話ししましょう」
携帯を取り出し、兎月へ向ける。
画面には、狸野亭の壁に書かれた文字が写っていた。
兎月が息をのんだ。
「これ……この店に?」
「ええ。今朝、見つかりました」
亀山が写真を送るたび、兎月の顔が強張っていく。
友香は、隣から黙って見ていた。
「それから、流兎さんが突然、職場を解雇されました。会社側は、テーマパークの建設を受注する条件として、現場の兎族を解雇するよう求められたそうです」
「そんな……」
「その際、兎束家の許可が下りているとされる書類を見せられた、と聞いています」
兎月が亀山を見た。
「ボクは、その話を知りません。テーマパークの建設案も……」
「会社で扱っている事業を、全てご存じというわけではありませんよね?」
「はい。ボクに回ってこない話もあります」
兎月は写真へ視線を戻した。
「父か、母が……?」
「その可能性はあります。ただし、書類が本物かどうかも、まだ確認の途中です」
亀山は携帯を伏せた。
「友香さんへの反対、勤務先への嫌がらせ、流兎さんの解雇。並べれば、ご家族を疑いたくなるでしょう。ですが、それだけで誰がやったと決めることはできません」
蛇森は腕を組んだ。
分かってはいる。
それでも、兎束家の名が出るたびに、疑いは強くなった。
「母に聞いてみます」
兎月が言った。
「父にも。ボクが友香を別れさせるために、こんなことまで――」
「今は、待ってください」
亀山が止めた。
兎月は口を閉じた。
「相手が関わっていなければ、何も分からないまま、ご家族を責めることになる。関わっていれば、こちらが調べていると知らせることになります」
「じゃあ、どうすれば……」
「まず、お二人の安全を確保します」
亀山は友香と流兎へ向き直った。
「しばらく、今のお住まいを離れていただけませんか」
友香が弟を見た。
流兎も、姉を見返した。
「避難する、ということですか?」
「ええ。勤務先を知っている相手ですから、自宅も知られている可能性があります。場所を移し、その上で調査を進めたい」
「どこへ行けばいいんですか?」
「亀山建設の社員寮に、空いている部屋があります。弟に手配を頼んでいます」
蛇森は亀山を見た。
先程から携帯で連絡していたのは、解雇の調査だけではなかったらしい。
「建物の出入りを管理できますし、事情を知る者も限られています。必要な物は、こちらで用意します」
「……そこまでしていただいては」
友香が俯いた。
「遠慮は、今は置いてください」
亀山が言った。
「僕たちは、何が起きているのか分かっていません。その間、安心して考えられる場所が必要です」
流兎が頷いた。
「姉ちゃん。行こう」
友香は弟を見て、それから亀山へ頭を下げた。
「お願いします」
「ただし、大会が終わるまでは、なるべく外出を控えていただきたい。お仕事のことも、こちらから事情を説明します」
「分かりました」
亀山は、その場の皆を見渡した。
「避難先を、ほかの方へ話さないでください。会いに行く時も、先に僕たちへ連絡を。人が出入りすれば、それだけ場所を知られる機会が増えます」
兎月が、友香へ顔を向けた。
「ボクも、勝手に行かない方がいいんですね」
「ええ。ご家族に行き先を尋ねられても、答えないでください」
兎月は、ゆっくり頷いた。
「分かりました。でも、何か分かったら、ボクにも教えてください」
「お伝えできることは、ご連絡します。あなたも、会社で気づいたことがあれば、蛇森へ知らせてください」
蛇森は携帯を持ち上げた。
「今までどおり、俺に連絡してくれ」
「はい」
兎月の返事を聞いてから、蛇森は亀山へ尋ねた。
「調査は、どうする? 兎束家の周りを、もう少し見てくるか?」
「今回の二件は、四方の調査に任せます」
蛇森は眉を寄せた。
「……任せる?」
「狸野亭の件は獅子音へ。解雇の件は、引き続き亀山へ。僕たちは、お二人を守る方に力を使います」
「急に手を引くのかよ」
思ったより強い声が出た。
亀山は蛇森を見た。
「手を引くのではありません。役割を分けるんです」
「でも、俺らが聞いてきたことだってあるだろ」
「それは調査する方へ伝えます」
亀山は、ちゃぶ台の写真へ目を落とした。
「僕たちは今、ご家族の反対を知り、兎束の名がある書類の話を聞きました。その二つをつなげれば、分かりやすい筋書きができます」
「実際、つながってるかもしれないじゃないか」
「ええ。ですが、違うかもしれません」
亀山が顔を上げた。
「友香さんの噂を調べた時も、そうでした。見えていたものだけで話をつなげると、実際に起きたことから離れてしまう」
蛇森は口を閉じた。
「誰がやったのか、早く知りたい。それは僕も同じです。ただ、今は僕たちより、調査のために人を動かせる四方へ任せる方がよいと思います」
座敷から、武雄の声がした。
「捕まえるのも、守るのも、二人だけじゃ足りんということかねぇ」
「はい」
亀山が頷いた。
「僕たちは探偵ですが、何でも二人でできるわけではありませんから」
蛇森は、伏せていた携帯を手に取った。
友香が不安そうに、こちらを見ていた。
今、何を優先するべきか。
蛇森は息を吐いた。
「……分かった。まず、二人を送ろう」
*
その日のうちに、友香と流兎の移動が決まった。
アパートから必要な物を持ち出す際は、亀山家の者が同行する。
避難先には当面の食料や日用品を届け、困ったことがあれば蛇森へ連絡することになった。
兎月は会社へ戻った。
友香と離れる時、何か言いかけたが、結局、短く頷いただけだった。
友香も、その手を一度握ってから離した。
皆が出ていくと、狸野亭には老夫婦と亀山、蛇森が残った。
武雄が天井を見たまま、道子へ言った。
「母ちゃん。店主急病のため、しばらく休みますって、張り紙を出しといてくれんかねぇ」
「ああ、そうやった。忘れとったわぁ」
道子が立ち上がり、紙と筆記具を取りに行った。
蛇森は、空いたちゃぶ台を見ていた。
友香たちが座っていた場所に、湯呑みが残っている。
「亀山さん」
武雄が声を掛けた。
「わしは賢うないから、あんたの頭の中は分からんけどなぁ。一人で動いて、怪我でもされたら、友香が悲しむでぇ」
亀山が座敷を見た。
「ご主人こそ、腰が治る前に犯人を捕まえに行かないでくださいよ」
「わしは、これじゃから動けん」
武雄は腰の辺りを指した。
それから、蛇森へ目を向ける。
「そっちの兄ちゃんも、心配なんじゃろ?」
蛇森は、少し驚いた。
「納得しとらん顔に見えるでなぁ。話し合った方がええんじゃないかねぇ」
亀山が、蛇森を見た。
「何か、気になることがありますか?」
「……お前が、無茶しそうで」
蛇森は答えた。
調査を任せると言ったことが、気に入らないわけではなかった。
むしろ、皆を遠ざけ、自分だけで何かするつもりではないか。
そんな気がしていた。
「さっきは、あれだけ守る方へ集中するって言ってたけど。自分は別だとか、考えてないだろうな」
亀山は、しばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「では、僕が無茶をしそうになったら、君が止めてください」
「止めるよ。言われなくても」
「ええ。頼りにしています」
蛇森は、亀山を見た。
亀山の顔から、笑みが少し薄れた。
「僕も、腹を立てているんです。友香さんが自分の名前をこすって消しているのを見て……冷静でいられているか、自信がありません」
蛇森は、店先の光景を思い出した。
涙を流しながら、たわしを動かす友香。
その隣で、黙って壁を洗っていた亀山。
「だから、もし僕が怒りに任せて動きそうになったら、止めてほしい」
亀山が、まっすぐ蛇森を見た。
「それを頼めるのは、君だけです」
蛇森は、顔を背けた。
「……お前、ずるいな」
「何がでしょう」
「何でもねぇよ」
道子が、お盆を持って戻ってきた。
「あらぁ。若いって、ええねぇ」
ちゃぶ台へ、お茶と切り分けたカステラを置く。
「わしも、もう少し若けりゃ、青春を味わえたかねぇ」
「母ちゃん。わしを忘れんでくれよぉ」
座敷から武雄が言った。
道子は声を立てて笑った。
「忘れとらんよぉ。ほら、カステラ焼いとったんじゃ。食べていきなぁ。料理はお父ちゃんの方が上手いけど、これなら、わしも作れるでねぇ」
「母ちゃんのカステラは、美味いぞぉ」
蛇森は礼を言い、一切れ取った。
隣では亀山も、両手で受け取っていた。
「ありがとうございます」
口へ運ぶと、甘さがゆっくり広がった。
朝から動き回り、昼には壁を洗った。
少し、身体の力が抜けた。
「ご主人が動けるようになるまで、蛇森をお手伝いに寄越しましょうか」
亀山が言った。
蛇森はカステラを持ったまま、顔を向けた。
「今、俺に相談なく決めたな?」
「相談していますよ」
「本人より先に?」
道子が、また笑った。
「ありがたいけど、わしらは二人でどうにかするよぉ。それより、あの姉弟を頼むでなぁ」
武雄も頷いた。
「二人が安心できるようにしてやってくれぇ。それが、わしらにも一番ありがたい」
蛇森は亀山と顔を見合わせた。
「分かりました」
亀山が答えた。
*
帰り際、亀山は武雄へ告げた。
「獅子音へ、改めて調査をお願いしています。担当の方が来たら、今朝の状況を詳しく話してください。写真も、そのまま残しておいていただけますか」
「腰はこんなじゃけど、口は動く。任しときなぁ」
「お願いします」
二人で頭を下げ、店を出た。
閉まった扉には、道子の書いた張り紙が貼られていた。
蛇森はそれを見てから、隣を歩く亀山へ声を掛けた。
「まず、二人が寮へ着いたか確認するか」
「ええ。それから、集まっている情報を整理しましょう」
蛇森は携帯を取り出した。
今度は勝手に、足りないところを想像で埋めない。
分かっていることと、まだ分からないことを、一つずつ確かめる。
亀山と並び、事務所へ向かった。




