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天国の嘘 短編集  作者: やまざかたかす


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7/10

短編(7) 山田家 ヘブンへの移行

本編『天国の嘘』第五章の裏、サクラの親友・エミリの家庭(山田夫妻)をじわじわと侵食していく、狂気と忘却。その(2)

 処置センターの応接室で、制服を隙なく着こなした担当者が、薄型のタブレットを使って夫の呼び出し方法を妻の山田真理子ヤマダマリコにレクチャーしている。


「このアプリを起動して……はい、ここに旦那様のIDを入力してコンタクトボタンを押してください」


 担当者は口角の上がった優しい笑顔を綺麗に貼り付けているが、真理子のスワイプ操作を一瞬じれったそうに見つめるなど、微かな仕草の端々にイライラしている様子が窺える。


(そりゃ、あなたは毎日毎日、私みたいな年寄りを相手に同じ説明をしているのだろうから、うんざりなのでしょうけど)


 真理子は内心で毒づいた。彼女とて、決してデジタルデバイスに疎い訳ではないのだ。夫の孝之タカユキは自らギークを称しているだけあって、怪しげな海外のクラウドファンディングに出資しては、用途のよく分からない電子デバイスを大量に入手していた。

 新しいおもちゃが届くやいなや、こちらが台所で夕飯の支度をしてようがお構いなしに嬉々として使い方を説明してきたり、その革新性について熱く語り出したりで、少々うんざり気味ではあった。


 だが、孝之が子どものように目を輝かせて新しいデバイスを手にした時の喜びようを眺めるのは、妻として決して悪い気はしなかった。

 その終わりのないプレゼンに長年付き合わされたお陰もあってか、真理子はご近所の奥様連中よりは遥かにスマートデバイスの取り扱いに強かったのだ。


 にもかかわらず……、この『ヘブン』にいる孝之とコンタクトを取るための真新しいデバイスは、まるで真理子の指先を拒絶しているかのようにまともに動かない。


 タブレット画面の中央では『コンタクト中 しばらくお待ち下さい』という味気ない文字と共に、ロード中の円形アイコンがくるくると虚しく回り続けており、夫はなかなか出てこない。


「旦那様もヘブンへ移行された直後ですので、チュートリアルや何かとご用がお有りなのでしょう。直ぐにはお出にならないのかもしれませんね。こんな風にお待たせしてしまうこともありますから、次回からは事前に予約を取って時間を決めていただくと、お互いスムーズですよ」


 マニュアル通りのセリフで担当者がスマートに言い訳を終えた、ちょうどその頃だった。不意にタブレットの画面がパッと切り替わり、軽い電子音と共に孝之のアバターがビデオ通話画面に表示された。


「あらっ」


 真理子は少しだけ安堵の息を漏らした。

 移行直後だからか、あるいはまだ操作方法が分かっていないのか。画面の向こうで「おーい、真理子、聞こえるか?」と少しばかり興奮気味に手を振っているその容姿は、課金して若返るでもなく美少女になるでもなく、目尻のシワから少し寂しくなった頭頂部まで、真理子が長年見慣れた現実の『孝之』の姿そのままだった。


「オトウサン、そちらはどんな感じなの?」

「あ……こ……は、快て……きだ……よ」


 画面越しの孝之の声は、ひどくノイズが混じり、機械音のようにブツブツと途切れていた。映像もコマ送りのようにカクつき、口の動きと音声が全く合っていない。時折、画像がブロックノイズに覆われて顔の半分が歪む。

 とてもではないが、快適に喋っているとは到底思えないし、まともな会話が成立している状態ではない。


「あの担当者さん、これはいったいどういう事ですの?」


 真理子はたまらずタブレットから顔を上げ、すがるような視線で担当者を睨んだ。何かのシステムトラブルで孝之の脳データに異変があったのか、それとも正しく意識の移行が出来ず、壊れてしまったのか。最悪の想像が頭をよぎり、胸がざわつく。


「はい、まだ移行直後ですから『バーチャルブレイン』上での記憶の最適化が終わっていない様子ですね。それに加えて、ここのところヘブンへの移行者が大変多くなっておりますから、サーバのリソース不足によって処理が追いついていない可能性があります。あくまでリソースはベストエフォートですので」


 真理子の不安などどこ吹く風で、担当者は壁面のヘブンコンタクトシステム・モニターに映し出された複雑なステイタス画面を眺めながら、事務的に説明した。

 画面の隅では、孝之の最適化処理を示すプログレスバーが数パーセントのところで凍りついたように止まっており、一向に進む気配がない。


「あの、夫は向こうで息苦しいとか、うまく動けなくて苦労しているとか……そういうのは大丈夫なのでしょうか?」

「それは問題ありません。向こうは向こうの時間軸と演算処理で動いていますので、ご本人の主観としては普段となんら変わらず生活していると認識されています。これはヘブンとリアル世界との間で生じる通話の問題に過ぎません。膨大なデジタルデータを音声と映像に変換しますからね。とくに日本語は、トークンの消費が激しいのです」

「トークン?」

「はい、トークンです。英語のアルファベットでしたら単語単位での処理で済むのですが、日本語の場合は漢字やひらがなが一文字単位、あるいはそれ以上に細かく分割されて消費されるため、トークン不足になりやすいのです」


 担当者の説明によれば、孝之自身は仮想空間内で普段と全く変わらず普通に喋っているらしいのだ。単にこちらへ出力される際の翻訳と描画が追いついていないだけだと言うが、画面の中で痙攣したようにフリーズしている夫を見ている側としては、とてもじれったく、不安を煽られる光景だった。


「ただ我々も政府も、この状況は把握しております。近々リソースの大幅増強が行われる予定ですので、三ヶ月後もしくは半年後くらいには、もう少し快適に連絡できるようになると思いますよ。それまでどうかご辛抱を」


 担当者は、先程の愛想の良い笑顔から、訓練された『神妙な顔』へと仮面を貼り付け直したように表情を変え、いかにもこちらに寄り添うふりをして肩をすくめた。


「もし今後の操作でご不明な点がございましたら、サポートセンターにお電話いただくか、ご近所のITにお詳しい方にお尋ねになってください」


 まるで「ここから先はサポート外だ」と冷たく突き放すような言葉だった。

 政府が華々しく宣伝する「美しく完璧な第二の人生」――世間の評判とは随分かけ離れた、このいびつで不完全な現実を目の当たりにして、真理子は静かに決意した。

 もし自分にヘブン移行の権利が回ってきたとしても、決して飛びつくまい。猶予期間を目一杯使ってでも、ギリギリまでこの現実世界で様子見した方が絶対に良い、と。



 最近この地域でもサービスを開始した完全自動運転のシェアEV『シティコミューター』に乗って、真理子は処置センターから帰宅した。モーターの静かな駆動音だけが響く車内は、どこか無機質だが確かな安心感があった。


 シティコミューターは首都圏を中心に地方都市まで急速にサービス範囲を拡大しつつあり、現在の人口カバー率は八割を超えている。自宅から駅まで少し距離があっても、アプリ一つでスマートに配車されるこの公共交通のおかげで、移動手段としての車は、個人が「所有するもの」から、社会全体で「利用するもの」へと完全に変貌していた。


 指紋認証で玄関を開けると、パタパタという軽い足音と共にリビングのドアが開き、娘の絵美里エミリが真理子に駆け寄ってきた。


「お母さん、お帰りなさい。オトウサンどうだった?」

「ただいま。シティコミューターって本当に気楽でいいわね。昔のタクシーみたいにドライバーさんからのどうでもいい会話も無いし、後部座席で寝ていたら勝手に家に着くのだもの。あとこれ、はい」


 真理子は少し疲れた声で答えながら、娘の絵美里に紙袋を渡す。中には、パッケージに『完全栄養食』とスタイリッシュなフォントで記載された栄養バーのバラエティセットがぎっしり入っている。処置センターの隣にあった、ヘブン関連企業が運営するアンテナショップで購入したものだ。


「わっ、これ今SNSでめっちゃ流行ってるやつだよね! 友達が三食これに変えてて、美味しくスマートに痩せるって言ってた。……てか、そんな事よりオトウサンどうだった? これからは家からでも専用アプリで会えるんでしょ。スマホでいつでも親と会えるってさ、逆に距離近過ぎて、なんだかムズってするって言うかさ」


 無邪気に笑いかけてくる絵美里に、真理子は自分のスマホをバッグから取り出して見せる。その顔に笑顔はなかった。


「あんた私のSNS、ちゃんとフォローしているわよね? さっき帰り道に、『ヘブンに行った旦那と通信ラグのせいで会話が全く成立しない。ヘブンってこんな不完全なシステムで大丈夫なの?』って少し長めに投稿しているんだけど、読んでない?」

「え? 何も流れてきてないけど。ほら!」


 絵美里が自分のスマホを取り出し、SNSのタイムライン画面を見せる。

 そこには真理子が処置センターの待合室から投稿したはずの切実な内容は、影も形も表示されていない。しかし真理子自身のスマホを再確認したところ、画面上には『投稿完了』のタイムスタンプが確かに残っている。

 単なる通信エラーではない。まるで、政府や運営企業の不都合になる言葉だけが、システム側のアルゴリズムによって密かに検閲され、握り潰されたかのように。


 山田家の晩ごはんは、家族全員で食卓を囲むルールとなっている。温かな湯気を立てる真理子と絵美里の料理が並ぶダイニングテーブル。しかし、いつも夫の孝之が座っていた席には料理の入った器ではなく、冷たく光る薄型のタブレットがポツンと立て掛けられている。

 いつもの晩ごはんの時間である午後六時半。事前にコンタクトの予約を入れておいたので、予定通り孝之のアバター姿がタブレットの黒い画面に表示されている。

 だが、まだ仮想脳の最適化が終わっていないせいか、画面の中の孝之の動きは殆どない。虚ろな目が時折まばたきをし、口が不規則に開くものの、スピーカーからは『ざ……が……』という、ひどくノイズの混じった言葉にならないデジタル音が漏れ出るだけだ。


 政府主導によるヘブンの運用が始まって、もう五年以上が経過しているというのに、いつまでこんな不完全な調子なのだろうか。それともやはり担当者の言う通り、現実世界を見限った利用者が一気に増え過ぎたせいで、理想郷の裏側にあるサーバ群がパンク寸前だからなのか。


 以前、『スマートシティ被害者の会』で知人となった奥さんが、「ヘブンに行った夫からは徐々に連絡が来なくなる」と寂しそうに笑って言っていたが、真理子は今、その残酷な理由が痛いほど分かってしまった。

 暗い画面の中で痙攣するようにフリーズし、無機質なノイズを発するだけのこのタブレットは、まるで『喋る遺影』なのだ。向こう側のデジタルデータの世界で、孝之という意識は確かに生きていると理屈では分かっている。しかし、目の前にあるバグまみれの不気味な模造品を見つめていると、胸が締め付けられるようにいたたまれなくなるのだ。

 だからなのだろう。新しいテクノロジーに慣れるより前に、残された家族の心が、たまらず遠ざかってしまうのだ。


 食後の静まり返ったリビングで、真理子は再び自分のスマホを取り出し、祈るような、しかし深い諦めに満ちた手つきでSNSに短い文章を打ち込んだ。


『旦那がヘブンに行って、こんなにやるせない気持ちになるのなら、あと五年は行かないで欲しかった』


 送信ボタンを押す。しかしそのささやかな嘆きの投稿もまた、彼女をフォローしている友人や家族のタイムラインに流れることは、永遠に無かった。



お読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。

ぜひ本編『天国の嘘』、スピンオフもよろしくお願いします。


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