短編(4) インド 理想郷オーロヴィル
本編『天国の嘘』第四章と第五章の間、インドのグラモハを解雇されたヴィジャイとラーニーの行きついた先は……
灼熱の太陽が照りつける、南インドの実験的理想郷『オーロヴィル』。その近くに『ポンディシェリ』という街がある。日本サイバトロニクス社との合弁会社グラモハの研究者だったヴィジャイとラーニーは、バンガロールからここポンディシェリに移住していた。
海岸沿いの高台にひっそりと建つフランス風建築の家屋。一階はカフェに改装しているが、グラモハ時代の仲間達と情報共有する場所として機能している。
ヴィジャイは冷房の壊れた二階の『ラボ』で、肌に纏わりつくような熱気と、並べられた機材が吐き出す排熱に汗を拭いながら、複数のモニターを険しい眼差しで睨みつけていた。薄暗い部屋の中で、彼の顔を青白く照らし出しているのは、ハッキングした監視映像が映し出す『オーロヴィル』の無残な実情だ。
「また住民が追い出されている……」
キーボードを叩く手が止まる。ヴィジャイの背後で、軋む階段を上ってくる軽い足音が聞こえた。
「はい、どうぞ。……あの建造物は塀かしら。随分と理想とはかけ離れているようだけど」
一階から上がってきたラーニーが、表面に結露を浮かべたグラスを差し出しながら、モニターへと視線を向けた。彼女の手には、よく冷えたスパイス入りのバターミルクが注がれている。
「おお、ありがたい。体内の水分保有量が下限値を下回っていたんだ」
ヴィジャイはグラスを受け取ると、冷たいバターミルクを喉を鳴らして一気に飲み干した。渇ききった細胞に冷感が染み渡り、彼は大きく息を吐き出して口元を手の甲で乱暴に拭う。
「ここを見てくれ」
空になったグラスをデスクの端に置き、ヴィジャイは再びコンソールを操作して画面の一部を拡大した。粗い衛星画像とドローンからの映像が、ウィンドウに重なって表示される。
「ハイウェイ脇に大きな塀が作られ、オーロヴィル中心部へ通じる道にもゲートが出来ているんだ」
「住民を閉じ込めようとしているのかしら」
ラーニーが怪訝そうに眉をひそめ、ヴィジャイの肩越しに画面を覗き込んだ。
「いや、これだけ強引に追い出しているところを見ると、単なる隔離じゃない。もっと巨大で、何か裏黒いものを感じるな……」
ヴィジャイの視線の先で、ゲートの映像が明滅した。
オーロヴィルの住民になるためには厳密な登録審査が必要だが、これが突如として政府によって極端に厳格な基準へと引き上げられた。
更にはその理不尽な新基準が既存住民にも遡及して適用され、事実上の強制的な追い出しが横行しているのだ。
「私の理想が壊されていく……。オーロヴィアンになる夢も、もう捨てた方がいいみたいね」
ラーニーはモニターの光から目を逸らし、自嘲気味に息をついた。
「まあ、俺たちはグラモハを解雇という不名誉な理由で、強制的にアーリーリタイアは出来たんだけどな」
ヴィジャイが強がりのような冗談を飛ばすと、彼女は呆れたように肩をすくめる。
「それ、世間じゃアーリーリタイアとは言わないでしょ」
二人はかつて、巨大企業グラモハを早期退職し、揃ってオーロヴィアンになる事を夢見ていた。企業の歯車としてのあらゆるしがらみを捨て、政治や宗教、国籍を超えた自由で調和の取れた平和なコミュニティで静かに暮らす。そのささやかな憧れは、今や無残に打ち砕かれようとしている。
「実は今、オーロヴィルから追い出された元住民の一人にコンタクトを取っているの。もしかしたら、表には出ない何かを聞けるかもしれない」
ラーニーが声を潜めて言うと、ヴィジャイの目に鋭い光が戻った。
「それは是非聞かせて欲しいところだ」
厳重な情報統制が敷かれた今、住民しか知り得ないような裏事情こそが、この不気味な事態の真実に近づく唯一の手がかりになるかもしれないと二人は直感していた。
「そうだ、コンタクトと言えば……」
ヴィジャイは手元のキーボードを叩き、別のウィンドウを立ち上げた。
「日本の柚木とは相変わらず連絡が途絶えたままだ。そっちはどうだ?」
「こっちもよ。美桜とは全く連絡がつかないの。あらゆる回線を試したけれど、全部弾かれるわ」
ラーニーの声に焦りが滲む。かつて彼らは、グラモハ在籍時に柚木健と佐伯美桜の良きライバルとして、仮想空間『ヘブン』のアーキテクチャ開発の最前線でしのぎを削り合った仲だった。
しかし、当時グラモハの副社長だった笹山智行が、日本サイバトロニクス社のCEOに就任することが決まった途端、ヴィジャイたちは濡れ衣を着せられ不当に解雇されたのだ。
「奇妙なのは、それだけじゃない」
ヴィジャイはコンソールの青白い光を顔に浴びながら、信じ難いデータを示すように画面を指差した。
「日本サイバトロニクス社の在籍研究員名簿から彼らの名前が完全に消去されている。それどころか、あれほど尽力していた『ヘブン』の住民票データにすら、二人の名前が存在しないんだ。まるで、最初から世界にいなかったかのように」
「それって……」
ラーニーが息を呑む。
「やはり、里村博士と同じ目に遭ったっていうの!?」
「そう思った方がいいな。……全く、最悪だ。残念だよ」
ヴィジャイはギリッと奥歯を噛み締め、やり場のない怒りを込めて暗いモニターを睨み据えた。
それから数日後。
ヴィジャイとラーニーの拠点となっている家屋の一階、カフェ『ラーブタ』に、深い疲労と警戒心を滲ませた一組の夫婦が訪れた。
政府の強硬姿勢に強烈な不満を持ち、もし自分たちの体験が同じ思いをした者たちの役に立つのならと、ラーニーからの密かなリクエストに応じてくれたのだ。
店内には、ラーニーが丁寧に淹れたスペシャリティコーヒーの深い焙煎香と、焼き上げたばかりのラムレーズンスコーンの甘い香りが漂っていたが、テーブルに着いた夫婦の表情は暗く沈んだままだった。
「自然と調和した私達には最高の場所だったのに……ある時から、オーロヴィルには全く似合わない、無機質で巨大な高級住宅が次々と建築されるようになったの」
彼らはかつて、ソリチュード・ファームに併設されているカフェで、自ら育てた作物を使ってコミュニティに料理を振るっていたという。妻は冷めたコーヒーカップを見つめながら、悔しそうに唇を噛んだ。
「それも一つや二つじゃない。長年かけて豊かな土を育てた農園を、無残に重機で潰して、その上に建てたんだ。アンナプルナ、オーロオーチャード、それに俺たちのソリチュードも……全部潰された」
夫がギリッと奥歯を鳴らして言葉を引き継ぐ。
「私達の反対にも全く耳をかさずに、一方的にね!」
「ああ。平和的なデモを起こした奴から武装した警備隊に拘束され、問答無用で追放が始まったんだ」
妻の悲痛な叫びに同調するように、夫も震える拳を木製のカウンターテーブルに強く押し当てた。その指の関節は白く鬱血している。
ひとしきり感情を吐き出した後、夫は周囲を警戒するように声を潜めた。
「それから、これはあくまで逃げ延びた者たちの間の噂なんだが……。北部のランドゥールなど、古い廃墟が残るような政府直轄地の歴史的な地域でも、同じ様に住民が追い出され、不可解な接収と開発が進んでいるらしい」
その言葉に、ヴィジャイとラーニーは険しい顔を見合わせた。
豊かな自然や歴史あるコミュニティを暴力的に排除し、巨大な建造物を乱立させる不可視の力。一体、何が始まろうとしているのか。
二人の背筋に冷たいものが走った。得体の知れない何者かが、世界そのものを根底から大きく変貌させている。――しかもそれは、人類にとって最悪の方向へと向かっているのだと、彼らの直感が告げていた。
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ぜひ本編『天国の嘘』、スピンオフもよろしくお願いします。




