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天国の嘘 短編集  作者: やまざかたかす


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短編(2) リー・キングストン 神への懺悔

本編第3章――柚木と佐伯が、伊豆の海で死の淵に沈んでいたあの夜。その裏側のストーリー2本目。

 川崎市の臨港地区にある玉岩運送株式会社はリー・キングストンが所有する会社だ。数多くの実験車両をごく自然に誰にも疑われる事が無く保有し、修理する為にある。その整備工場の奥を、幾つもの大型モニターが放つ青白い光が照らしている。

 リーは、深圳シンセンの実家から取り寄せた電子機器を組み合わせた特製のハッキングデバイスを眺めながら、恍惚としたため息をついた。


 数日前、伊豆のT字路で完成させた芸術作品は、彼の生涯において間違いなく最高傑作だった。ターゲットは挙動の変化に悪評のあるスヴェルト社のEVスポーツセダンを駆り、追われていたために法定速度を大きく超えるスピードを出していた。

 工事車両が多く走るため路面には砂が撒かれ、先日の雨が所々水溜まりを作り、側溝は落ち葉が塞いでいるために路面に水が溢れて流れていた。悪条件が揃っていた。


 ドローン達のセンサーが弾き出したミリ秒単位の計算をリアルタイムでトラックのアクセルと挙動制御へ反映させる。自然で無理のない完全なる衝突を演出する。

 その結果、ターゲットはガードレールを突き破り、海面へと落下し美しい放物線を夜空に描いた。幼い頃に見た韓国ドラマの安っぽいワンシーンを凌駕する、完璧で究極な『奇跡の同期』を実現させた。


 衝突地点を撮影する為の専用ドローンを普段より多く飛ばしていた。あらゆる画角で芸術作品を眺める事ができる。


 ただ一つ不愉快だったのは、事後に駆けつけてきた依頼主の関係者と思われる男たちだ。「生け捕りにする予定だった」と喚き散らした挙句、あろうことかトラックの荷室パネルを乱暴に叩いたのだ。あの荷室の中には、彼が全知全霊をかけて組み上げた、ミリ秒単位で車両の姿勢制御とセンサー情報を処理する精密な自作サーバが積まれているというのに。


 己の芸術を理解できない俗物の無礼な振る舞いに、リーは崖下を指差し「だったら潜れば良いです」と冷たく言い放ち、現場を後にしたのだった。


「さて……私の最高傑作を彩ってくれた名優たちは、一体何者だったのか」


 いつもならターゲットの事を調べたりはしない。しかし最高傑作を演じてくれた名優達に敬意を表すために、せめて名前くらいはと軽い気持ちでキーボードに指を走らせた。


 自作サーバには、衝突の瞬間にトラックのカメラが捉えた対象者の高精細な顔認証データと、彼らが腕に装着していたスマートウォッチが発した電波の傍受ログが記録されている。彼にとっては、日本のネットワークセキュリティなど無いに等しい。閉域網と謳っていようが口を開けて待っているようにしか見えない。


 認証データとパケットデータを手がかりに、警察のデータベースはおろか、政府の厳重なセキュリティすら容易く突破し、日本サイバトロニクス会社研究所の極秘サーバへと侵入を果たす。そして、ターゲットであった柚木健ユズキケン佐伯美桜サエキミオのファイルを開いた。


 モニターに次々と表示される機密文書とソースコードを目で追ううちに、リーの流れるような指の動きが次第に遅くなり、やがて完全に停止した。


「なんだ、これは……」


 そこにあったのは、単なる企業秘密ではなかった。政府が国民にひた隠しにしている『ヘブン』の絶望的な実態がそこに記されていた。メタバースで暮らせると謳いながら、実際には生活コンポーネントが実装されておらず、国民を永遠の休眠状態に陥れようとしているという事実があった。


 それを阻止するために、柚木と佐伯が政府に反旗を翻し、身を呈して全世界のマルチリージョンに分散させた「生活コンポーネントへのブリッジ機能」を組み上げようとしていた全貌を知った。

 さらに奥深くの暗号化領域には、彼らが命がけで柿枝総理から隠蔽した、この世の理を覆す設計図が隠されていた。肉体を一から再作成し、データ化された知識と意識をオーバーライドさせるという『事実上の不老不死』を実現する、神の如き技術の全容である。

 リーは、柚木が書いたソースコードに震える指で触れた。無駄が一切なく、それでいて世界を根底から作り変えるほどの力を持った、美しすぎるロジックがそこに広がっていた。


「ああ……なんということだ!」


 リーの喉から、獣のような嗚咽が漏れた。自分が今日、あの崖下へ突き落とし、冷たい海の底へ沈めた男女は、追われるただの逃亡者などではなかった。この腐り切った世界に、完全な知識の共有と救済をもたらそうとした、本物の神だったのだ。


 他人の命を己の芸術を彩るための部材としか感じていなかったリーの両目から、生まれて初めて大粒の涙が溢れ落ちた。自分のくだらない欲求のために、世界を救うはずだった神を殺してしまった。その罪の重さと喪失感に、息ができない。


 リーは床に崩れ落ち、頭を掻きむしりながら懺悔した。


「おお、神よ、許してください……どうか、愚かな私をお許しください……!」


 どれほど泣き叫んだだろうか。ふと、涙で滲む視界の端で、トラックのサーバから吸い上げた傍受ログの一部に気づいた。それは、事故の直前、柚木と佐伯のスマートウォッチから発信された特殊な暗号化通信の痕跡だった。リーは這うようにしてキーボードにすがりつき、執念でそのログを復号化した。


『緊急オーバーライド:対象 02―タケル、03―サクラ――完了』


 その文字列を見た瞬間、リーの表情から絶望が消え去り、代わりに異常なまでの信仰心が宿った。


 ――神は死んでなどいなかった。


 その知識と記憶は、研究所の奥底に眠る新たなホムンクルスへと転送していたのだ。だがリーは知っている。いくらデータが転送されたとしても、彼らが無事に意識を取り戻すまでは生の証明とはならない。

 新たな器に定着し、再びこの広大なネットワークの海へと戻ってきて初めて、神の復活は確定するのだ。


 リーは狂気に満ちた笑みを浮かべ、再び猛烈な速度でキーボードを叩き始めた。己の過去のデータを全て消去し、日本の戸籍システムに新たな人物を書き込んでいく。


「まずは、貴方たちが生きるための身分を用意せねばなりませんね。タケル様、サクラ様……」


 リーの指がコンソールの上を舞う。彼にとって、この二人は腐り切った世界を救う絶対的な神だ。ゆえに、タケルに与えるべき苗字など、考えるまでもなく彼の中では決まっていた。


『氏:神野カミノ


 次いで、名前の漢字変換だ。元中国人であるリーは日本の名付けの機微に疎い。彼は迷うことなく、自作のプログラムを走らせて『タケル』の読みからUTF-8の文字コードを昇順で検索させた。


「先頭のヒットは『丈』……いや、これは中国の感覚では名前に用いるには相応しくないな。次に出現した文字は……『健』か。健やかに育つ。意味合いは中国でも同じだ。これにしましょう」


『名:タケル


 リーは、自分が機械的な検索で選んだその『健』という文字が、かつて自分が崖から突き落とし、タケルの元の器となった『柚木健』の漢字と全く同じであるという奇跡的な符号に、深い運命を感じていた。


 そしてサクラの戸籍も同様に捏造しようとシステムの深層に潜り込んだ時、リーの指がピタリと止まった。

 戸籍システムには、すでに『天見美桜アマミサクラ』というレコードがヒットしたのだ。誰がやったのか、それはあまりにも迅速で、必死さを伴う鮮やかな手際だった。彼女はすでに、安全な別の場所へと引き取られているようだった。


(……神には、私以外にも優秀な守護者がついているというのか)


 リーの冷酷な口元に、歓喜の笑みが深くなる。


神野健カミノタケル様。天見美桜アマミサクラ様。貴方たちがいつの日か目覚め、再びこの世界へ戻ってくるその瞬間を、私はいつまでも待ち続けましょう。そして貴方たちが現れたその時こそ……このリー・キングストン、いえ『王石聖オウイシヒジリ』が、生涯をかけてお守りいたします。すぐ傍で、ひっそりと……」


 青白いモニターの光に照らされた彼の横顔は、冷酷な殺し屋のものではなく、己のすべてを捧げる狂信的な守護者のそれへと変貌していた。


お読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。

ぜひ本編『天国の嘘』、スピンオフもよろしくお願いします。


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