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第五章

 ベッドの上で僕は、ゆっくりと目を開いた。眠っていたわけではないが、夢と現の境界はとても曖昧だった。故郷に帰ってきて以来、昔のことを思い返す機会は確かに多かった。しかし、泥酔して屋上へと忍び込んだあの日以来、その頻度も鮮明さも、間違いなく増していた。

 以前は、思い返すことも出来なかった。思い出すことへの恐怖心のようなものさえあった。だけどそれは、あの夜から少しだけ事情が変わっていた。

 泥酔して現実感のない中、僕はあの屋上を訪れた。そしてそこで星を見た。あの時、まるでかつての一夜を追体験したようなあの瞬間に、僕の記憶にかかっていたヴェールのようなものがふっと掻き消えた、そんな感覚があった。もしかしたら僕は、心の中で記憶の影をどんどんと膨らませ、過剰にそれに怯えていたのかもしれない。あの頃の記憶は、未だに直視するのは躊躇われるものではありながらも、それでも確かにもう「記憶」と言う地位に戻っているようだった。それは記憶以上に恐ろしい何かではなく、特別な意味を持ちながらも、まぎれもなく過去だった。僕はそれが過去になっていることに、多分今まで気づくことが出来なかったのだ。あの晩、アルコールに痺れた頭で境界線を踏み越えたことが、確かに何かを打ち崩していた。

 それが良いことなのかは分からない。もしかしたらある人は、それをトラウマの解消とでも言うのかもしれない。過去を乗り越えたのだと言う人もいるだろう。でも僕には、それとは少し違う気がしていた。記憶がヴェールを取り去られたのと同時に、僕自身からも何かが取り去られてしまった。それが何なのか考えてみても、どうしても分からない。正体を確かめようにも、もう既にそこには存在していないのだからどうしようもない。ただただ何かが欠けていた。何かを取り去られた僕はゼンマイを巻かれたからくり人形のように、無意味に身体を動かしながら毎日を過ごしているとしか感じられなかった。

 ベッドから身体を起こし、本棚の前に歩いていく。その一画、天文関係の本が並んでいる場所に、一冊の文庫本が挟まるように立てられていた。僕はそれを手に取り、ベッドに戻る。『銀河鉄道の夜』は、何度も読み返したせいで他の本よりも少しだけくたびれていた。長いこと取り出していなかったから、少し埃っぽい。息を吹きかけて、その埃を取り除いた。

 ページをぱらぱらとめくり、いくつかの短編を通り過ぎる。半分ほどめくったところで、銀河鉄道の夜という文字に行き当たった。「ではみなさんは、そういうふうに……」書き出しを心の中で読み上げる。その一節は先輩の声で読み上げられた。初めて言葉を交わしたあの日の、少し芝居がかった先輩の声で。息が詰まる。

 しばらく読み進めたが、何だか入り込めなかった。長い間読書なんかしていなかったものだから「本を読む」と言うことのテンポがつかめないようで、文章の上を視線が滑り始める。僕は諦めて、再びページをぱらぱらとめくった。いくつかの章が流れ、やがて章立てがない長い部分に差し掛かる。長い長い旅が終わる。ほんとうのさいわいは、一体なんだろう。このあとジョバンニは、どういう風に生きるのだろう……

 僕は本を閉じてゆっくりと立ち上がると、元あった場所に丁寧にそれを仕舞った。それから机の上に投げ出してあった四つ折りの紙を開き、記してあった番号に電話をかけた。


「いやあ、良かったよ。もしかすっと兄ちゃん、このまま連絡くれねえんじゃねえかって思ってたからな。ホテルもキャンセルしちまうとこだった」

 僕が用務員室に入ると、田浦は嬉しそうにそう言った。夕方の校舎にはまだ沢山の生徒が残っており、部活動に精を出す少年達の元気な掛け声や、吹奏楽部の練習する管楽器の音がにぎやかに響いていた。

「まあ仕事はこの前言ったとおりだ。お前さんはここの卒業生だから、チェックリストにある場所は全部分かるだろう」

 手渡された紙を見ると、確かにそこに書いてある場所は全部把握できている場所だった。その中に「屋上」と言う文字を見つけて、少し複雑な気持ちになった。

「下校時間になったらそいつらを回って、開いてる鍵をこいつで閉める」

 田浦の手には、いくつもの鍵が連なった鍵束が握られていた。

「それから窓の鍵を確かめながら構内を一周して、あとは夜中に一回見回り、朝の六時に印のついた場所の鍵を開けて回るだけの仕事だ。何か質問は?」

「印のついていない場所は、閉めたままということですよね?」

「ああそうだ。そこいらは普段は鍵がかかってる場所だからな。使った後の閉め忘れなんかがないか確かめるだけで良い。閉め忘れてたら、閉めてくれ」

 屋上にも、印はついていなかった。今はもう、普段から施錠されているからだ。

「そいじゃ、よろしく頼むよ。ああそうだ、夕方五時には事務室は閉まっちまっちまうから、明日はそれより前に来てここの鍵を受け取ってくれ。早く来る分には構わんから。んで週末は事務室があいてないから、返すのは月曜の朝だ」

「わかりました」

 こうして僕は、正式に仕事を引き受けることになった。それは故郷に帰ってから僕がやった、最初の意味のある行動だった。


 夜中の校内は、これ以上ないほどに静まり返っていた。もちろん人は一人もいない。それは夕方に自分で見回り、施錠したのだから良く分かっていた。真っ暗な廊下を照らすのは、僕の手にした懐中電灯のオレンジ色の光を除けば、ぼんやりと浮かび上がる消火栓の表示灯くらいのものだった。ビニールのサンダルが床を踏みつけるたびに、キュッキュッと耳障りな音が響く。ほかに何も音がないものだから、そんな小さな音がうるさいほどに耳に届いた。

 見回りとは言っても大した仕事ではしなかった。あまり広い学校ではないから、一周するのにもそう時間はかからない。施錠したドアや窓が開いていないことをひとつひとつ確かめ、不審な人物、つまり数日前の僕のような人物がいないことを確かめて回る。田浦は「サルでも出来る」と言っていたが、まさにそのとおりだと思った。

 小さい頃は、暗闇が怖かった。多分人一倍怖がりな子供だっただろう。眠る前、電気を消した部屋ではなるべく目を開けないようにしていたし、暑い夏でも布団から足を出して眠る事さえ出来なかった。夜中に不意に目が覚めた時などは地獄だった。目に入る全てのものが恐ろしく思え、布団を被って、枕に顔を埋めて、意識が途切れるのをひたすら待った。そんな自分が、誰もいない暗い校舎を一人で歩き回ると聞いたら、かつての僕はきっと信じないだろう。いつから自分が変わったのか、考えてみても答えは出なかった。

 校内を回るとき、僕はしばしば過去の幻影と出会うことになった。図書室は、先輩と出会った場所だった。そして多分、最も長く先輩と過ごした場所でもあった。鍵を開けて中に入ることは出来たが、僕はそうしなかった。

 三年生の教室のうち一つに、先輩を呼び行ったことがあった。高校生の頃は一つ年上の集団、と言うだけで少し緊張していたのを覚えている。先輩の姿はすぐに見つかった。彼女は一つ年上の集団の中でも、一人だけ飛びぬけて大人の雰囲気を持っていた。僕が声をかけるのを躊躇っていると、彼女の方から僕の姿を見つけてくれた。妙に救われた気がした。

 写真部の部室の前を通ると、現像作業のことが思い返された。あの日二人で現像したフィルムは、とうとう使われることはなかった。僕はドアに貼り付けられた「写真部」と言うプレートを指先で撫でてみる。滑らかな表面はザラついていて、少しだけ指先が黒くなった。それを擦って落としながら、僕は見回りを続けた。

 幻影は唐突にふわりと浮き上がり、まとわりつくように僕の周りを飛び回っては、そして消えていった。中には少し長い間僕にまとわりつくものもあった。でもそのひとつひとつは、何だか僕にとって切実なものを訴えかけては来なかった。少し前まで、そのような記憶の断片は僕を苛む存在だったはずだ。でもやはりあの夜から、どうしようもなく、何かが欠けていた。

 狙ってやっていたわけではないが、見回りの最後は屋上だった。用務員室のある一階から順に見回るので、どうしてもそうなるのだ。屋上に続く階段は、それまでの階のものとはやはりどこか異質だった。その先で行き止まりになっている関係上、構造自体が違うのもあるだろう。だが、一般生徒の生活に組み込まれている階段と、屋上に出る「だけ」のために存在する階段では、存在の出発点からそのあり方が違うように感じられるのだ。

 階段を登りきると、重たい金属のドアがある。はめ込まれた四角い窓から外を見ると、空に大きな月が浮かんでいるのがちょうど見えていた。ドアノブを回してドアを押し、鍵がかかっていることを確かめると、懐中電灯の光で四角い窓から外を照らした。非常階段のドアはしっかりと閉じられているし、もちろん人影もない。月明かりに照らされた小さな部室は、あの日見た南京錠でしっかりと閉ざされているようだった。僕はそれらを確認すると、屋上に出ることなく階段を引き返した。このドアの外の点検は、チェックリストには入っていない。

 用務員室に戻り、一応内側から鍵を閉める。暗い中を懐中電灯の光だけで歩いていたので、部屋の蛍光灯は必要以上に眩しく感じられた。僕は鍵の束と懐中電灯、それからチェックリストの挟まったボードを机の上に投げ出すと、ソファーに身を横たえた。

 必要な仕事をする以外は、何をしていても良いと言われている。校内に残っていることだけが条件だ。部屋には小さく古びたテレビが置いてあるが、こんな時間にはもうほとんど番組はやっていない。本を読む、と言う気分でもない。僕は次の仕事に備えてアラームをセットすると、目を閉じて眠気がやってくるのを待った。ソファーの座面はへたっていて、決して寝心地が良いものではなかった。僕は身体を丸めて、なるべく身体がソファーの上に収まるような状態を作り出す。顔を背もたれの方に向けると、少しだけ落ち着く気がした。小さいころ必死で毛布に身体を収めて眠ろうとしていた頃を思い出す。目を閉じた僕の耳には、空調が黴臭い空気を吐き出す音が延々と聞こえていた。


 アラームが鳴ったとき、僕は一睡もしていないと思った。そう長い時間ではなかったし、音の鳴る直前までものを考えていた気がしたからだ。しかし目を開けると外からはもう朝日が差し込んでいたし、空調を効かせていたはずの室内でも首元は汗でじっとりと湿っていた。多分、気付かないだけでいくらか眠っていたのだろう。ソファーから身を起こすと、妙な姿勢だったせいか少しだけ身体が痛かった。僕は二、三度肩を回すと、机の上から鍵束とチェックリストを拾い上げ、一日目最後の仕事にとりかかった。懐中電灯は、もう必要ない。

 渡り廊下を歩き、部室棟の鍵を開けに行ったとき、一人の少年がコンクリートの段差に腰掛けているのを見つけた。膝の間に顔を埋め、じっとその場で部室が開くのを待っているようだった。近づいてくる僕の足音を聞くと、少年はパッと顔を上げ、挨拶をしようとしたのか小さく口を開いた。しかし僕の姿を見て、そのまま一瞬躊躇ったように固まる。それから僕の手にした鍵束を見ると、ようやく合点がいったという様子でぎこちなく「おはようございます」と言った。僕もそれに、なるべく笑顔で返事をする。彼は多分、誰より早く朝練にやってきた部員なのだろう。それにしても少し早過ぎる気がしたが、高校生の頃と言うのは時としてそんな風に体力が有り余っていたりするものだ。

 僕が部室の鍵を開けて回る間、少年はそれを監視するように見守っていた。テニス部の部室のドアを開け、隣の女子テニス部のドアに取り組んでいると、彼が部室に入っていくのが見えた。彼はテニス部員だった。良く見ると、ボロボロになるまで使い込まれたラケットのケースを背負っていた。

 部室棟の独特の空気は、サッカー部時代を思い出させる。僕もかつて彼のようなスポーツ少年だったのだということは、何となく不思議な事実だった。部室へと走り込んだ彼は、男子としては少し小柄な方なのだろうか。記憶の中の自分と比べても、どこか幼く感じられた。でも多分、僕もああいう風だったのだ。記憶の中の自分は、いつも事実より少し大人に描かれる。僕もあんな風にまっすぐで、エネルギーを持て余していて、それでいて少し頼りない手足を必死で振り回すようにして毎日を生きていたのだろう。サッカー部をやめなかったら、僕は、どうなっていたのだろうか。

 必要な場所の鍵を開けて回ると、すっかり身体も目を覚ましたようだった。僕は用務員室のコーヒーメーカーを勝手に使ってコーヒーを淹れた。ソファーに座って啜ったコーヒーは、田浦が淹れたものより少し薄かった。

 日中には、僕の仕事はなかった。僕は一度家に帰り、シャワーを浴びてからベッドでぐっすりと眠った。用務員室にもシャワーはあったしソファーで寝なおすことも出来たのだろうが、部活動で賑わう昼の学校で、快適に過ごせる自信はなかった。運動部の掛け声や吹奏楽部の練習の音が気にかかるというのもあった。だが何より、そういう空間は高校生の若いエネルギーで彩られているようで、どうにも肩身が狭かったのだ。どうやらもう今の僕には、昼の学校よりも夜中の学校の方が、むしろ居心地が良いらしかった。

 帰る前にトイレに行こうと思ったが、昔使っていた生徒用のトイレは何だか入りにくかった。僕は少し考え、職員用トイレの存在を思い出してそちらを使った。トイレの中の構造はほとんど変わらなかったが、何となくそちらの方が落ち着く気がした。自分が学生だった頃には、わざわざ生徒用と職員用が分けられている意味が良く分からなかった。今ならそれが分かる。こっち側に来ないと多分、分からないものなのだろう。世界は大体、そう言う風になっている。


 二日目の仕事も滞りなく進んだ。僕はひとつひとつの鍵を丁寧に閉め、閉まっているかを確かめるためにガタガタと小さく揺らした。のチェックリストも丁寧に記入する。もう校内を回るのは四周目、鍵を閉めて回るのも二周目だったから、作業も幾分か手馴れてきた。それにしたがって、僕にまとわりつこうとする幻影たちも存在感を薄めていった。僕の仕事は一層、無味乾燥なものになった。

 その日最初の仕事を終えて、用務員室に戻った。何もやることのない僕は、少しでもこの空虚な時間と戦うために、見たくもないテレビの電源を入れた。東京にいる間はほとんどテレビを見ることもなかったのだが、故郷に戻ってからは意味もなくテレビを見る時間が増えていた。見たい番組があるわけでもないし、次の日にはもう忘れているような下らない番組も少なくなかったが、それでもテレビを見ている間は「テレビを見ている人」になることが出来た。それは決して、小さなことではなかった。

 見たことのないお笑い芸人が何やら話しているのを聞きながら、僕はお湯を沸かした。この部屋にはコーヒーメーカーなんてものはあるくせに、お湯を沸かす道具は昔ながらのヤカンしか存在しなかった。コーヒーメーカーはそれなりにきれいで、この部屋にある何よりも新しいようにも見えるから、もしかしたら最近田浦が持ち込んだものなのかもしれない。そんなことを考えながらテレビ画面を見つめていたら、やかんが甲高い音を立ててお湯が沸いたことを知らせてくれた。火を止めて、夕食として買っておいたカップラーメンにお湯を注ぐ。割り箸で蓋を押さえ、こぼさないように慎重に、ソファーの前の机まで運んだ。運んでいる途中で、机の上でお湯を注げば良かったのだと気がついた。

 二分と少し経ったところで蓋を開け、麺をほぐして食べ始める。何も考えずにカレー味なんて買ってしまったが、部屋に臭いがついたら田浦に申し訳ないなと、今更ながらに思った。後で換気をしておこう。

 食事を終えると、ビニール袋から漫画雑誌を取り出した。少しでも退屈を紛らわせればと、カップ麺と一緒に買っておいたのだ。最近はどの雑誌も読んでいなかったから、とりあえず昔毎週読んでいたのと同じものを選んだ。パラパラとめくってみたが、当然ながら僕の知っている作品はほとんど残っていなかった。残っていたものも、間が開きすぎていて話が全く分からない。僕はとりあえず頭から一つずつ読んでいった。あまりにも面白くないものは流石に飛ばしたが、それ以外は基本的に全て、きちんと読んでいった。いくつもの物語の断片が頭に流れ込み、そして流れ去っていく。新連載はそんなに面白くはなかったが、僕みたいな一見さんには、一番優しく感じられた。

 読み終えた雑誌を机の上に置き、壁にかかった時計に目をやった。漫画雑誌には大した満足感はなかったが、一応暇を潰すにはいくらか役に立ってくれたようだった。それでもまだ、夜中の見回りまではかなりの時間が残っていた。もう一度漫画を読み直す気にもなれず、リモコンを手にとって、点けたままだったテレビのチャンネルを回した。どのチャンネルも似たような、興味のそそられることのない番組ばかりだった。そのうち一つで古い洋画をやっていて、僕は手を止めた。映画は今しがた始まったばかりのようだったので、僕はとりあえずそれを見ることにした。

 ありふれたラブストーリーだった。若い男女が知り合い、それから劇的な恋に落ちた。二人はお互いに運命を信じていたし、二人の前には何の不安もないように思われた。そして二人は当然のようにすれ違い、少しずつ溝は深まっていく。どこにでもある、本当にありふれたお話だった。恐らくこれから彼らは更に面倒な問題にぶつかり、一度決別し、それから最後には愛の力で劇的な仲直りをして、感動的な音楽とともにエンドロールが流れるのだ。そんな映画やドラマを腐るほど見た。だけど不思議と、僕の周りではあまり聞かない話だった。


 目を覚ますと、映画はとっくに終わっていた。最後まで見ることは出来なかったが、結末はもう分かっていたのであまり惜しくは感じなかった。テレビからはゴールデンでは出来ない悪ふざけに興じる芸人の笑い声が響いていて、時計を見るとそれに相応しい時間だと分かった。少し予定より早いが、テレビの電源を落として見回りの支度をした。

 懐中電灯の明かりを頼りに校内を回りながら、折り返し地点を越えたな、と考えた。僕が仕事を引き受けたのは三日間で、合計九回学校内を回る事になっている。そのうち五回目の今は、ちょうど折り返し地点だった。三日も泊り込むのは長いかとも思ったが、やってみれば意外とそうでもなかった。もちろん暇を潰すのには骨が折れたが、それ以上の苦労は何もなかったからだろう。しかしその見回りが終わると、僕は今までにないほど手持ち無沙汰になった。この時間には、もうろくにテレビもやっていないし、昨日のように寝ようとしてもどうしても眠くはならなかった。日中にもかなりしっかり寝ていたし、先ほども映画を見ながらたっぷりと眠ってしまっていた。昨日と同じようにソファーの上で丸くなり、意識が遠のくのを待ったが、一向に眠気が訪れる気配はない。何度も時計を見ては、その進みの遅さにイライラしつつ、やはり昨日の夜はそれなりに眠れていたのだと言うことを思い知った。

 しばらく努力はしてみたものの、ついに眠気がやってくることはなかった。僕は遂に諦めてソファーから身体を起こすと、腹立たしい思いで髪の毛をかき乱した。眠れないものは仕方ない。どうにかして朝の六時まで、時間を潰す方法を考えることにした。買ってきた漫画雑誌を再び開き、パラパラとめくる。しかし面白いと思うこともなく何とか読みきったそれは、ちっとも僕に時間を忘れさせてはくれなかった。僕は諦めて、雑誌を机に放り出す。

 何か少しでも興味を惹かれるものを探して、部屋の中を歩き回ってみた。しかし用務員室の中には本当に必要最低限のものしか置いていないようで、興味を引かれる対象は何もなかった。唯一興味深かったのはカレンダーで、毎月世界遺産の写真が掲載されているそれを、僕はじっくりと一枚一枚めくっては観察した。あっという間に十二月が訪れ、バチカン市国の写真でカレンダーは終わってしまった。

 僕はいよいよやることがなくなって、田浦の机に座った。古くなったキャスターつきの椅子がギイと鳴る。そのとき、僕はあることを思い出した。田浦が僕に仕事を説明した時、鍵束を取り出した引き出しの中に他にも色々な鍵が入っていた。それは何かと訊くと、古くなって取り替えられたり、今は使われなくなった場所の鍵なんかが入ったままなのだと彼は答えたのだ。仕事には関係ないから気にするなと言われたその引き出しを、僕はおもむろに開いた。

 そこには形や大きさ、素材までも様々な鍵が無造作に投げ込まれていた。タグがついているものも一部にはあったが、ほとんどが何の鍵も分からないまま転がっているようだった。使わなくはなったものの、鍵だから捨てるに捨てられない……そう言う理由でここにそのまま残されてしまっているのだろう。ほとんどの鍵はさび付いたり、見るからにくたびれたりしていて、一本一本が歴史を感じさせた。僕はその中に、一本だけやけに真新しい、小さな鍵を見つけ出した。多分それが、僕の求める鍵だ。僕はそれを手に取ると、握り締めたまま用務員室を出た。

 僕が向かったのは屋上だった。今までの見回りでは、閉じていることを確認するだけだった屋上の鍵を、鍵束の中から探す。懐中電灯の光の中でようやくそれを見つけると、鍵穴を回して屋上に出た。生ぬるい風が頬を撫でる。僕はそのまま迷わず、かつて天文部の部室であった建物に近づいた。

 ドアには「天文部」と書かれたプレートがついたままになっていた。そして元々鍵のついていなかった簡素で薄いドアには、あの夜に見た通り、南京錠が取り付けられていた。

 この屋上は、先輩が飛び降りたことによって立ち入り禁止となった。それに伴い、屋上にあった天文部の部室も利用できなくなり、そのまま天文部は無期限活動停止、実質廃部になってしまっていた。おそらくこの南京錠は、その時に取り付けられたものなのだろう。十年近く雨曝しになっていたそれはそれなりにくたびれていたが、それでも周囲のドアや建物に比べるといくらか真新しさがあった。僕はそこに、真新しいまま「使われない鍵」となっていた小さな鍵を差し込む。サイズはピッタリだった。錆びた鍵穴に少し引っかかりながらも、小さな鍵は吸い付くように、南京錠の鍵穴の奥までしっかりと収まっていた。少し力を入れて捻ると、パキッという小さな音とともに南京錠が外れた。あの日開かなかった扉が、遂に開いた。


 部屋の中は埃と、それからカビの臭いがした。足を踏み入れると、床の上がザラついているのを感じる。壁のスイッチを切り替えたが蛍光灯は点かない。おそらくブレーカーが落とされているのだろう。僕は壁の上の方を懐中電灯で照らして回った。程なくしてブレーカーらしきものが見つかり、つまみを上に押し上げる。蛍光灯がパチパチと光り、部室の中を照らし始めた。

 時間がそのまま止まっていたかのように、あの頃のままの光景がそこにはあった。床や長机の上に埃が積もって白っぽくなっていることを除けば本当にそのままだった。そう広くはない部室の中、腰ほどの高さの本棚には天文学関連の書籍がずらりと並び、その上には大きな天球儀が飾られている。壁には銀河や星座の描かれたポスターが貼ってあるが、それらは日に焼けて色あせてしまっていた。部屋の片隅には天体望遠鏡や、天体観測に出かけるときに使っていた様々な道具が積み上げられており、僕はその中に大きなプラスチックの箱を見つけた。箱の上に積もった埃を丁寧に払い、止め具を外す。蓋をズラして中を確認すると、それは思ったとおり、作りかけのプラネタリウムの箱だった。僕はそれを慎重に持ち上げて長机の所まで運び、机に積もった埃を軽く払ってその上に乗せた。

 こんなにも深く、先輩との時間の痕跡に足を踏み入れていることは、自分でも不思議だった。僕の中のその記憶は、僕が故郷に帰ることすら許さなかったはずだ。僕はそれに慎重に蓋をして、開かないように重石を載せていた。なのに今僕は、軽々とその中に手を突っ込もうとしている。何の躊躇いもなく、そして何の感慨もなく……

 自分で自分が分からなかった。あの夜から、何かがおかしいのだ。何かが欠けていると言う感覚とも関係があるのかもしれない。もしかしたらあの夜、閉ざしていたはずの蓋が無理矢理こじ開けられ、その中身がぶちまけられたのかもしれない。そしてそこには、何もなかった。僕が作り出していた記憶への畏怖のようなものは実体を持ってはいなくて、そこにあると思っていた先輩の後ろ姿なんて、もうどこにもなかったのかもしれない。

 先輩が、消えた。その考えは僕の胸を強く締め付けた。僕はずっと、十年前のあの日からずっと、先輩から逃げていたはずだった。先輩はあの日、死んだ。僕を置いて、あっさりと、自分でその命を絶った。僕は置いていかれたのだ。誰よりも慕って、誰よりも憧れて、そして誰よりも特別に思っていた人から。そして僕は、その事実から逃げ続けた。ひたすらに逃げた。目を逸らして、見ないようにして、思い出さないように、何とかして痛みから遠ざかるように……そうやって生きてきた。いつしかその呪縛は、僕の一部にでもなっていたのかもしれない。いつの間にか僕は、その傷跡に依存でもしていたのかもしれない。

 だから僕は患部に手を触れて、傷口を抉り出して、そして、再び激しい痛みに襲われるのを期待しているのかもしれない。見たくない記憶を直視し、先輩の痕跡に触れ、ああ僕はまだ囚われてるんだって、そう確認したがっているのかもしれない。

 わからない。自分の中はびっくりするほど冷え切っているようで、この夜中の学校のように静まり返っていて、自分の声が聞こえなかった。そのくせ淀んだ空気やコールタールのような重苦しい何かが、ぐるぐると渦巻いているようにも思われた。

 考えても仕方がなかった。とにかく今僕は、何故だかわからなくとも、こうする必要があると思った。この先輩が残した作りかけのプラネタリウムを、片付けてしまう必要がある。その気持ちは、使命感とも呼ぶことが出来そうだった。

 座面に積もった埃を払い、パイプ椅子に腰掛けた。それから箱を開け、土台を取り出し、基盤を取り出し、赤で書き込みがなされた設計図を取り出す。設計図は全て手書きで、そこに並んでいるのは先輩の字だった。丁寧で、ひとつひとつが綺麗に整っている。走り書きされた赤の書き込みまでも、どこか洗練された趣を見せる。彼女自身を表すような字だった。僕は先輩の説明を思い返しながら、その設計図に目を通した。


 結局その日は、設計図を理解する頃に空も幾分か白み始め、作業も少ししか進まないうちに六時のアラームが鳴った。僕は長机の上をそのままにして、ブレーカーを落とすと部室を元のように施錠した。プラネタリウム製作というのは、思った以上に暇つぶしとして有用だった。設計図の理解には頭を使ったし、基盤を土台に組みつけたり、リスフィルムを目的の形に切り抜いたりするのは精密さを要する行為だったので、時間が経つのを忘れさせてくれた。思えば集中して何かを行う、ということ自体が随分と久しぶりでもあった。

 自宅に帰って熱いシャワーを浴びていたら、身体の奥から心地良い疲労感が湧き上がって来た。手早く髪を乾かして、温かいベッドでぐっすり眠りたい、そう思った。変な時間に散々眠ったせいで先ほどまで全く眠気を感じていなかったはずなのに、人間の身体は現金なものだと思った。どれだけ食べてもお腹は空くし、睡魔は毎日やって来るのだ。

 僕はシャワーを出て、髪の毛をドライヤーで乾かすと、大きくあくびをしながら自室に向かった。とりあえず昼頃までゆっくり眠って、その後のことは起きてから考えよう。時間はたっぷりあるのだから。焦る必要は何もないのだ。

「健治」

 部屋に戻ろうとする僕は、動物が低く唸るような野太い声で呼び止められた。リビングのドアを開けて出てきたのは、兄の遼治だった。

「お前、何甘えてんだ」

 リビングからは逆光になっていてよく見えなかったが、彼の目は僕を責めるように見据えているようだった。

「甘えてるって――」

「じゃあ何だ。何もしないでだらだらと過ごしてると思ったら、今度は連日朝帰り。ガキか、お前」

「……」

 僕は何も言えなかった。用務員の代打をしているとか、そこに至った経緯だとか、それらを話したくなかったというのもある。だけど何より、自分が今の状況に甘えているという言葉は、否定しようがないと思えた。

「そんなんだったらお前、家出てけ」

「なっ……帰って来いって言ったのは兄さんだろ」

 あまりにも横暴だと思った。確かに自分に非があることは認めざるを得ない。だが、僕だって帰りたくて帰ってきたわけではない。帰って来いと言われたから、わざわざ家を引き払ってこっちに戻ってきたのだ。それを今度は出て行けだなんて、いきなり言われても困る。

「俺が呼び戻したのは今後のことを真面目に考えている弟だ。お前みたいに自堕落な奴を置いておくために呼び戻したんじゃない」

 何も言い返せなかった。

「少しは真面目に考えろ。もう子供じゃないんだ」

「子供だなんて、思ってないよ」

「じゃあ何だ。それが大人のすることか?」

 その兄の態度に、僕もだんだん腹が立ってきた。

「兄さんは良いよ、好きなことやって、それから家業継いで、何も考える事なんかなかったじゃないか。それを――」

「ふざけるな!」

 兄は突然声を荒げた。

「自分だけが苦労してるとでも思ってるのか?」

「そんな風には思ってないさ。でも少なくとも俺には俺の――」

「それが甘えだと言ってるだろうが」

「人の事情も知らないで」

「ああ、知るかそんなもん」

「ふざけんなよ! 知りもしないで偉そうなことばかり――」

「じゃあお前は……」

 兄の声は一段階低く、沈み込むようで、僕の言葉は思わず途切れた。

「お前は知ってんのか、俺の事情を。母さんの、お前の周りのみんなの事情を、全部知ってるとでも言うのか?」

「それは……」

「事情があるのは誰でも同じだ。みんなそれを背負って、それでも何とかやってんだ。もっと周りを見ろ。大人になるってのはそういうことだ。今のお前は、ただの駄々っ子だ」

「……」

 言いたいことは山ほどあった。でもそれは腹の底でくすぶっているばかりで、一つも言葉の形をとってはくれなかった。喉元までせりあがった感情を、僕は飲み込むしかなかった。形を持てない気持ちは、世に出ることも許されない。

 兄は「よく考えろ」と言い残してリビングへと戻った。僕はしばらく、そこに立ち尽くすしかなかった。


 部屋で一眠りしようと思っていたが、どうもよく寝付けなかった。兄との会話がどうしても胸に突っかかっているようだった。しばらくベッドに身を沈め、目を閉じてじっとしていたものの、結局諦めて出かけることにした。簡単に身支度をして、財布とケータイだけをポケットに突っ込むと、僕は部屋を出た。

 誰とも顔を合わせずに家を出たいと思っていたが、ちょうど洗面所から出てきた兄の妻、友恵さんと鉢合わせた。僕は軽く会釈するようにして脇をすり抜けたが、玄関で靴を履いているときに「健治さん」と、後ろから声をかけられた。僕はくたびれたスニーカーに踵をねじ込んでいた手を止め、声の方を振り返った。

「あの……遼治さんのこと、あんまり悪く思わないであげてください」

 伏目がちに彼女は言った。

「あの人不器用だからあんな言い方しかできないけど、本当は……」

「いえあれは、僕が悪いので。兄が正しいことは、分かってるんです」

「違うんです」

 彼女は慌てたように言った。

「そういうことが言いたかったんじゃなくて……」

 彼女の言わんとすることは、良く分からなかった。

「あの人本当は、画家になりたかったんですよ。美術の学校に行ったのも遊びじゃなくて、人一倍努力して、きちんとした先生に師事して……芸大への編入の話だってあったし、その先の展望だって期待されていました。でもお父さんが亡くなったとき、あの人はそれを諦めて家を継いだんです」

 彼女が語る兄の話を、僕は知らなかった。兄は好きなことをするために東京に出て、それから順当に、家業を継いだものだと思っていたのだ。

「僕のために、って言うことですか?」

「それは、違います」

 彼女はきっぱりと言った。

「じゃあ、どうして」

「お父さんの家業を、絶やしたくなかったんですって」

「そんな、でも親父は俺らに、こんな小さな商店継がなくても良いって……」

 そうだ、親父はいつもそう言っていたし、自分の代で店は閉めるから、自分たちのやりたいことを見つけろとも言っていた。もし兄が本気で夢を追っていたのなら、それこそ言いつけに従うべきだったと言えるだろう。

「兄は、親父のために夢を諦めたってことですか?」

「それも違います」

「えっ、でも……」

「あの人は自分のために、その道を選んだんです。この家と、お父さんの家業は、あの人にとって自分を育ててくれた大切な宝物だったんです。夢を諦めることが辛くても、何もできずに大切なものが消えていってしまうのは、もっと辛かった……」

 だから夢を捨てても、故郷に戻ってきた。大切なものを守るために。それが兄の事情。僕は何も知らなかった……

「どうして兄は、何も言ってくれなかったんですかね。僕はそんな話は何も……」

 僕の言葉に友恵さんは、ふっと頬を緩めた。

「兄弟、似てるんですよ」

「似てるん……ですかね?」

「はい」

 それは優しい笑顔だった。兄は良い妻を持ったなと、少しだけ羨ましくなった。


 行く当てもない僕は、とりあえずいくつかのパンと飲み物を買い、公園へ向かった。学校からほど近い位置にある公園は結構な広さがあり、日曜の今日は休日を満喫する子供たちで賑わっていた。僕はベンチの一つに腰かけて、買ってきたパンをかじり始める。安く買った調理パンは値段の割には美味しくて、少し得した気分になった。

 遊んでいるのは小学生くらいの子供が多かった。数人の子供がサッカーボールを蹴りながら走り回っていた。ほとんどの子供は出鱈目にボールを蹴っているように見えたが、一人だけ妙に球筋が鋭い少年がいた。彼は周りの取りこぼした球を上手に拾い、それを器用に周りの子たちに回していた。地元のサッカーチームにでも入っているのかもしれない。あれは元々運動神経が良いと言うだけではなく、サッカーと言うものを良く知っている動きだ。彼はその気になればワンマンプレーも出来るであろうということが、動きを見るだけでも良く分かった。しかし彼はそうしない。せいぜい小学校高学年であろうと思われる彼が、自分だけでなくみんなが楽しめるプレーを心掛けている。それは僕にとって、驚くべきことだった。もしかしたら、以前ワンマンプレーを責められたのかもしれない。もしかしたら、それが長い目で見て楽しい時間を過ごす秘訣だと知っているのかもしれない。どちらにせよ、小さい子供がそのように器用に立ち回っている姿は、見ていて何だか面白かった。

 思った以上に引き込まれてしまっていたらしい。僕はいつの間にか、すぐ近くに人が近づいてきていたことに気付いていなかった。

「もしかして、水原くん?」

 斜め上からの声に思わず顔を上げると、大きな買い物袋をぶら下げた、同い年くらいの女性がそこに立っていた。彼女の顔にはどこか見覚えがあったが、名前と繋がるまでに少しだけ時間が必要だった。それは忘れてしまうような浅い関係だったということではなく、彼女が昔に比べて格段に、大人びた顔になっていたからだった。

「もしかして、小野か?」

 かなり印象は変わっていたが、彼女はクラスメイトで同じ天文部員だった、小野祥子に違いなかった。

「そう。良かったぁ覚えててくれて。まあ今は早川なんだけどね」

 彼女はそう言うと左手を掲げるようにして僕に差し出す。彼女の薬指で光る指輪は、彼女が既婚者であることを示していた。

「結婚、してたのか」

「うん。結構前にね。水原くんは、こっちに帰って来てたんだ」

「つい最近ね。色々あって」

 僕が曖昧に誤魔化すと彼女はそっか、とそれ以上は追及しないという風だった。それから「隣いい?」と訊ねると、返事を待たずに僕の隣に腰かけた。

「良いのか? 道草して」

「うん、ちょっと休憩。あんまり重いから疲れちゃって」

 彼女は膝の上に乗せた大きなレジ袋を指さした。

「それに、せっかく久々に会ったんだし」

「そうだな、本当に久しぶりだ。あんまり変わってるから一瞬分からなかったよ」

「そういう水原くんは、あんまり変わってないね」

「よく言われるよ」

 僕が自嘲気味に笑うと、彼女は「ごめんごめん、大人っぽくなったよ」と慌てたようにフォローを入れた。

「そういう小野の方が、って今は早川だっけ」

「小野で良いよ」

 うろたえる僕を、彼女はクスクスと笑った。

「ああ、小野はすげえ大人っぽくなったなと思ってな」

「うん、まあね。今はもう一児の母だから」

「子供もいるのか」

「うん、今は夫とお留守番。そりゃあ私も変わるよねえ。いつまでも若くないなって思ったりするよ」

「いいや、まだまだ若いよ」

「良いよもう、お世辞なんて」

 彼女の笑い方は、あの頃と同じだった。同級生が父親になる、と言うのはいくつか聞いていたし、身近な武司もその一人だった。でも、同級生が母親になるというのは、今までに感じたことのない種類の衝撃のようなものを僕に与えた。

「でも良く俺のこと分かったな。そもそも忘れられててもおかしくないのに」

 故郷を出て以来一度も帰らず連絡もよこさなかった僕は、頻繁に連絡を取っていた武司や隆一を除いて、ほとんど忘れ去られていると思っていた。

「そりゃ気づくよ」

 彼女はやれやれと少し呆れたように言った。

「今だから言うけどさ、私、水原くんのこと好きだったから」

「えっ?」

「いやもちろんあの頃は、だけどね。ちょっと期待した?」

「うるせえよ」

 少しぶっきらぼうに、僕は言った。

「まあとにかくね、好きだったからよく見てたんだよ、水原くんんのこと。気付かなかったでしょ?」

「ああ、気づかなかった」

 おぼろげな記憶をたどっても、思い当る節は全くなかった。

「やっぱりね。あのころ水原くんは、ずっと違う人のこと見てたもんね」

 それが誰なのか、彼女は言わなかった。

「気付いてたのか?」

「そりゃ気づくよ、ずっと見てたんだから」

「なんか、ごめん」

 僕は何だか申し訳なくさえなってきた。

「良いよ良いよ、謝らないでよ。なんか変な感じになっちゃうじゃん」

 彼女は僕の肩を、ポンとたたいた。

「でもね、あれは流石にちょっと傷ついたかな」

「あれって?」

「うん……」

 彼女は少し言いにくそうに顔を伏せた。僕はかつての自分が何をしてしまったのか必死で思い返そうとしたが、どうしてもそんな出来事は思い出せなかった。僕が不安な思いで見つめていると、彼女はようやく口を開いた。

「あの、ああいうことがあった後にさ」

 ああいうことと言うのは、恐らく先輩の一件のことだろう。

「水原くん相当落ち込んでたから、少しでも力になりたくて頑張ったんだけどね。少しも私のことなんて見てもらえなかった。最後まで、たったの一度も。まるで私なんていないみたいで、やっぱりちょっとショックだったな」

「ごめん……」

 彼女の言うようなことは、少しも僕の記憶には残っていなかった。それだけ僕が、彼女の気持ちに、思いやりに、気付いていなかったということなのだろう。

「あの頃は自分のことでいっぱいいっぱいだったから」

「うん、分かってるから大丈夫だよ。ごめんね。ちょっと意地悪言っちゃった」

 そう言って笑うと、彼女は少しだけ真面目なトーンで続けた。

「でもね、ダメだよ一人で頑張っちゃ。支え合うために、言葉はあるんだから」

 その言葉は、なんだか心に染みた。仲間は大切、支え合って生きていかないと……そういう言葉は、僕は本来嫌いだった。ありきたりの綺麗ごと、そういう風にしか感じられなかった。でも彼女の言葉は、胸にずしりと重かった。一蹴できないざらざらとした手触りのようなものをそこから感じた。それはもしかしたら、哀しみだったのかもしれない。

「それだけ言いたかったんだ。ちょこっとね、なーんか心の隅っこに引っかかってたから。言えてすっきりしたー」

 晴れやかな表情で言うと、彼女はベンチから立ち上がった。

「今日はそろそろ帰らないと。夫と息子が待ってるし、アイスも溶けちゃう。また今度機会があったらさ、お茶でもしよ」

「ああ、そうだな」

 それから少し考えて、僕は言った。

「ありがとう」

「いやいや、むしろ自己満足だったからさ。嫌な女だよー私は」

「そんなことないさ。小野はすげえ良い奴だ」

「高校生の私が聞いたら、飛び上がるくらい喜ぶよ」

 今はもう大人の彼女は、そう言うとにっこりと笑った。

「じゃ、またね」

「おう」

 彼女が踵を返して立ち去るのを、僕は黙って見ていた。そのとき、半ば衝動的に、気付いたら僕は彼女を呼び止めていた。呼び止められた彼女は足を止め、上半身だけでこちらを振り返った。

「お前今、幸せか?」

 僕の唐突な問いに、彼女はしばし不思議そうな顔をしていたが、ゆっくり頷いて口を開いた。

「うん、もちろん」


 黒に透明な点が散らされたリスフィルムには、透明な線が点の集合を縁取るように引かれていた。現像する前に、切り取る部分を示すために引かれていた線なのだろう。僕はそれに沿って丁寧にフィルムを切り取り、そのまま透明な土台の所定の場所に張り付けていく。フィルムの番号などの情報は切り取られる外側の部分に記されているので、切り取ってからすぐに張り付けないと分からなくなってしまいかねないのだ。特に側面の台形と違い、方向まで分からなくなってしまう上面の正八角形には注意が必要だ。僕はそのフィルムを、最後に扱うことにした。

 薄いリスフィルムを扱うのには神経を使った。切り取る最中に破れてしまったり、張り付けるのに失敗してダメにしてしまうことが十分にあり得たからだ。僕は指先に全神経を集中させて、出来る限り丁寧にその作業を行った。透明な素材で作られた土台は少しずつ表面を光沢のある黒で染めていった。

 側面の最後一枚を張り終わると、ドーム型の土台は向きが非常にわかりにくくなる。混乱するのを避けるために、最後の一枚の作業に取り掛かる前に土台を基盤に組みつけ、基盤の方に目印を付けた。

 最後のフィルムを切り終わり、目印を確認してから慎重に土台に張り付ける。薄いフィルムを握る指先が、小さく震えた。過剰なくらい念入りに方向を確認し、それから遂に僕はそれを八角形の土台の上に慎重に乗せた。最後に残された上面が黒いフィルムに覆われると、十年もの長い時間をかけたプラネタリウムが、遂に完成した。

 達成感があった。一つの物を作り上げるというのは、いつもこういう種類の満足を僕に与えるものだ。しかしそれは単純に、何かを作り上げたという感慨以上のものではなかった。本当に特別な仕事を成し遂げたという感覚はあまりなく、むしろ僕の中で、あの頃の残骸を片付けてしまったかのような、そういう小さな寂しさすら頭をもたげていた。散らかった部屋を大掃除したとき、綺麗に片付いた部屋は快適なものであると同時に、どこか一抹の寂しさを感じさせることがある。僕の心も、少し綺麗に片づけられ過ぎたような、そんな気持ちになった。

 しかしまだ、本当の意味でプラネタリウムが完成したわけではない。設計図通りに組み上げることは完了したが、実際に星を投影することが出来て初めてプラネタリウムが完成したと言えるのだ。そのためには部屋の電気を消して、ケーブルをコンセントに差し込んでみる必要があった。電球の劣化、配線の不備、組み立てのズレや貼り付けの失敗……星空を映し出すのに失敗する要因は、嫌と言うほど考えられる。

 動作確認をする前に、僕は机の上を片付け始めた。机の上には切り取ったリスフィルムの切れ端やカッターナイフ、設計図、組み立てに使った接着剤などが雑然と転がっていた。この状態で星空を投影するのはあまり気が進まない。

 道具を元あった引き出しに仕舞い、散らばったフィルムの切れ端を集めてまとめる。それから設計図を使ってそれを机の端に寄せると、リスフィルムの入っていた封筒の口を開いてその中に落とし込もうとした。

 その時僕は初めて、封筒の中にまだ何か残っていることに気付いた。九枚のクリアファイルを一枚ずつ取り出しては作業していたから、そこに何かが残っていることに気付かなかった。封筒を逆さにしてみると、机の上にパサりと音を立てて二つ折りになった紙が落ちた。手に取ってみて、心臓が強く跳ねる。二つ折りの内側に文字がびっしりと書き込まれているのが透けて見え、外側には「水原健治様」と、僕の名前が記されていた。設計図に書いてあるのと、同じ字だった。

 多分これは、遺書だ。直感的にそう分かった。薄手の紙を握る手が震える。自分の身体が他人のものになったような、そんな感覚に襲われた。指先がじっとりと湿り、紙のざらついた感触が少しふやけ始めるのに気付き、僕はパイプ椅子に腰を下ろすと、その遺書を丁寧に机の上に置いた。

 僕は動揺していた。全身がじっとりと嫌な汗で濡れ、胸が詰まって呼吸も浅くなる。目の前のそれを、どう扱って良いかわからなかった。過去でしかなくなっていたものが、急に実体を持って、実体を取り戻して、僕の前に立ち現れたのだ。カラカラに乾いて今にも吹き散らされそうだった記憶は、今や抜け殻ではなかった。僕はまた状況の中にいて、もう冷ややかな観測者でいることを許されなくなっていた。全てがあの頃の続きで、この場所も、この空気も、組み上げたプラネタリウムも、目の前の遺書もあの頃の続きで、二十六歳になった僕だけが取り残された小島のように、溶け込めないままその中に浮かんでいた。

 僕は何度もその遺書を開こうとしては、震える指でまたそれを元に戻した。読まずにはいられない気持ちはあったが、それと同じくらいに読みたくない気持ちがあった。それに、他人宛ての手紙を勝手に読むことにも似た罪悪感が存在した。

 宛名には確かに、僕の名前が書いてある。水原健治と言うのは、僕以外の誰でもないはずだ。けれどもそれは同時に僕のことを指してはいない。水原健治は十七歳の少年で、先輩はその少年に向けてこれを書いた。先輩の中には二十六歳の水原健治は存在しない。

 静まり返った部室の中に、いつの間にか聞こえ始めた雨音だけが響いていた。屋上に出たときには雨は降っていなかったから、集中して作業をしている間に降り始めたのかもしれない。傘なんて持っていないから、校舎に戻る時には濡れる事になるだろう。部室に来た時、空は曇っていただろうか。曇っていたならば星空も見えなかったのかもしれない。

 そのままどれだけの時間が過ぎたかは、良く分からない。僕は何がきっかけと言うわけでもなく、ある瞬間それが自然であるかのように決意を固め、先輩の残した二つ折りの紙を開いた。


 水原健治様


 これを読んでいる時、私はこの世にいないと思う。もし私が生きていたら読むのをやめて捨てて欲しい。それは何かの間違いだから。

 君はきっと怒っているんじゃないかな。怒られるのも当然だと思う。君には本当に申し訳ないことをしたと思っているよ。

 私の死について君は知る権利があると思うから、ここに少し書き残したい。誰かに話したり言いふらすことも君の自由だ。私は君に、分からないという理由で私の死に囚われて欲しくない。君は私の最後の気がかりだ。

 私が死ぬ理由は、私に未来がなくなってしまったことだ。出来ることは何でもやった。それでも私にはもうどうすることも出来なかった。どれだけ努力しても、子供の私に出来ることには限界があった。

 私は父と二人で暮らしている。父は酒乱で手がつけられない。私がまだ小さい頃、彼に愛想を尽かして母は出て行った。私は母に捨てられたが、それは仕方ないことだと思っている。女性が一人で生きていくのはとても大変で、子供まで養うことは彼女には出来なかったんだ。彼女を責めることはできない。社会には抗いようのない理不尽が沢山あることは、今の私には良く分かる。

 話が逸れてしまった。私の父はろくでなしだが、この歳まで私を養い、高校にも通わせてくれた。そのことには感謝しなければならない。でも、彼と暮らすことは、私にとってずっと苦痛だった。彼から逃げたくて、一人で生きて行くために出来る限りの努力をしてきた。上京し、一流の大学に入り、奨学金とバイトで身を立てようと思った。少しでも良い就職をし、養育費を全て返済し、親子の縁を切るつもりだった。本気になればそのくらい出来るだろうと思っていた。私は子供だった。

 確かに努力は嘘をつかなかった。きちんと結果は出て、教師にも合格は確実と保証された。でも、努力は必ずしも報われるわけではない。私の父は、進学を許してはくれなかった。何度も何度も頭を下げたが、駄目だった。彼は私の知らない間に、私が卒業と同時に知り合いの飲み屋で働く事を約束していた。水商売だ。女を売れ、容姿を売れと、父は言った。そうして投資した金を早く返せと。

 私は諦めなかった。可能な限り頭を下げた。暴力を振るわれても、それでもやめなかった。お金は返すと約束し、そのためにも進学する方が近道だと説得した。でも父は最後まで首を縦には振らなかった。

 費用が揃わなければ勝手に受験することも出来ない。担任にも相談した。担任からは父に説得の電話が行き、私はまた殴られた。あらゆる手を尽くしたと思う。それでも状況は変わらず、そうして出願期限は過ぎた。私の未来も閉ざされた。私にはもう残った人生を切り売りし、男に媚びて、父親に養育費を返し、それから萎れるように死んでいく道しか残っていない。それは私にとって、生きていないこととあまり変わらない。だから死ぬことは、もう私にとって大きな損失ではないんだ。でも父には多分、私の死は大きな損失になるはずだ。養育費は返って来ないし、娘を死なせた父親と言うレッテルを貼られることになる。これはせめてもの復讐だ。少しでも彼が苦しむことを願う。これが私の死ぬ理由だ。


 君は私のことを尊敬していると言ってくれた。とても嬉しかったよ。でもね、私は尊敬されるような人間じゃない。こんなに無力で、身勝手で、浅ましい人間なんだ。それを君にはちゃんと知っていて欲しかった。死は暴力的だ。尊敬されたまま死んだりしたら、君の中で私は神格化されるかもしれない。君はそれに囚われてしまうかもしれない。そのことが私の気がかりだ。これは贖罪みたいなものだ。君の好意を知りながら、それを自己満足のために利用して振り回した私の罪を、少しでも贖いたい。

 いや、それもやっぱり嘘かもしれない。最後まで良い人ぶろうとする自分が嫌になるよ。私は怖いんだと思う。私の本当のことを誰にも知られず、このまま全部なかったことになるのが。死んだら全部なくなると思っているのに、そのあとのことが気になるなんて馬鹿げてるよね。死ぬのが怖いよ。この上なく怖い。だけど私の人生はもう死んでしまっているから、人工呼吸器は自分で外すことにする。死んだように生きるのが、死ぬよりももっと怖いんだ。

 長々と書いてしまった。きりがないからこの辺りでやめよう。本当は少し書き置きをしたかっただけなんだ。君に謝って、それから感謝を伝えたかった。自分勝手でごめんね。仲良くしてくれてありがとう。沢山の思い出をありがとう。流星群は本当に綺麗だった。最後に最高の思い出が出来たよ。本当にありがとう。

 私のことはなるべく早く忘れて、自分の本当の幸せを見つけてください。

 さようなら。


 笹川美鈴


 僕は元の順番に紙を重ね、トントンと机の上でそれらを整えた。そして元してあったように二つ折りにすると、フィルムの入っていた封筒の中へと滑り込ませた。最後の方は少し、筆跡も乱れていた気がした。でもそれを確かめようとは思わない。内容が頭に入ったかもわからないが、読み返そうとは思わなかった。

 読み終わっても、何かまとまった考えは浮かんでこなかった。頭の中はとても重たいもので満たされて今にもはち切れそうなほどに疼いていたが、それは怒りとか悲しみとか、もしくは哀れみだとか言う言葉では表せない気がした。雨音がさっきよりも、少し強くなっていた。

 彼女はこの場所で、これを書いたのだろうか。今僕が座っているようにこのパイプ椅子に座って、この蛍光灯の下で。その姿を想像しようとしても、何だかうまく行かなかった。僕の知っている先輩はこんなものを書かないし、少なくともそれが僕の知る先輩の全てだったのだ。好きだと、尊敬していると言いながら、僕は先輩のことを何も知らなかったのかもしれない。そして先輩が言うように、神格化してしまっていたのかもしれない。それはあの頃からなのか、それとも先輩が死んでからなのかはわからない。でも少なくとも、今僕の中にいる先輩は、どうしようもなく神格化されて歪んでいるように感じた。もう僕は先輩の顔も、正しく思い出すことは出来ないのだろう。もし僕があの頃、この遺書を読んでいたら、何か違ったのだろうか。

 先輩がこんな場所に遺書を残したことは、間違いなく大きな失敗だ。先輩は僕がきっと見つけてくれると信じていたのかもしれない。他の誰でもなく僕に届けるには、この場所が確実なのだと。もし自分が水原健治ならば絶対に見つけるだろうと、そう思ってこの場所を選んだのかもしれない。でも結果的に僕は見つけられなかった。他の部員が私物を回収しに行く中、僕だけは最後まで部室に踏み入ることはなかった。先輩もまた僕のことを、良く理解してはいなかったと言うことなのだろう。

 僕は机の上に置かれたドーム状の機械を見た。僕は何かに突き動かされるように、これを組み立てた。今になって、それは僕にとっての贖罪だったことにようやく気付く。先輩を理解できず、その死を受け入れることもできず、ずっと目を逸らして逃げていたことへの、贖罪。僕は逃げながら、どこかでずっと後ろめたくも思っていたのだ。僕は先輩に謝りたくて、そのために帰ってきたんだ。

 大きく息を吸って、それから吐き出す。パイプ椅子から立ち上がると、僕は壁際まで歩いていってスイッチに手を伸ばす。蛍光灯が消えると、予想以上に部室の中は真っ暗になった。暗くなったせいで、雨音がよりはっきりと聞こえ始めた。僕は暗闇の中でプラネタリウムから伸びるケーブルを手に取り、記憶を頼りに手探りで電源を探した。ざらついた壁を指先で探ると、程なくして固いふくらみが指先に触れる。僕は慎重に手で確かめてから、コンセントの穴にケーブルを差し込んだ。


 天井が消えたと思った。本気でそう思うくらいに綺麗だった。予想を遥かに超えた光景に圧倒され、僕はしばらくそのまま動くことも出来なかった。ただしゃがみこんだまま、呆然と天井を見上げていた。流星が一つ流れた気がした。それは素早く夜空に線を引き、強く燃え上がったように光を放つと、そのまま闇に吸い込まれるように消えていった。ふと我に返ってゆっくりと立ち上がる。壁に映った自分の影と、机の上で光を放つ小さな機械を見て、ようやくこれが映し出された星空なのだと納得できた気がした。十年もの歳月をかけてようやく、プラネタリウムが完成した。

 部室に広がる星空は息を飲むほど綺麗だったが、やはり良く見ると作り物であるのがわかる程度のものだった。壁に映し出されたそれらは全て同じ色をしているし、本物の星のように瞬くことはない。空全体も部屋の形に歪んでいるし、本棚やポスターが星の光の中に浮かび上がっていた。ここのような田舎では、晴れた夜にはもっと綺麗な夜空を見ることが出来るだろう。それこそ、僕が先輩と眺めたように。

 それでも僕はこの星空を本当に美しいと思った。作り物だろうが何だろうが、それはこの星空が美しいことを少しも否定することにはならない。先輩があんなにも熱心にプラネタリウムを作ろうとしていた気持ちが、ようやく少し分かった気がした。彼女が欲しいと思っていたものが、ここにはきっとあった。

 作り物の星空の下で、僕は初めて、十八歳の少女のために涙を流した。

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