第3話「龍の瞳に見つめられて」
宮廷での生活が始まってから、数日が過ぎた。
玲玉は、自分が夢を見ているのではないかと何度も頬をつねった。
朝、目が覚めると美しい侍女たちが現れ、柔らかな衣を着せてくれる。
食事は常に最高級のものが運ばれ、庭園を散歩すれば、色とりどりの花々が彼を歓迎するように咲き誇る。
だが、その平穏な日々の裏側で、玲玉の心は常に波立っていた。
自分は身代わりなのだ。
いつ、この嘘が牙を剥くか分からない。
そして何より、龍帝が自分に向ける、あの熱すぎる視線にどう向き合えばいいのか分からなかった。
◆ ◆ ◆
ある日の午後、玲玉は宮殿の奥にある古い書庫を訪れていた。
白家の地下室にいた頃のように、文字に触れているときだけが、唯一、自分の居場所を感じられる時間だった。
「……こんなところまで、何を探しに来た」
突然、背後から声をかけられ、玲玉は飛び上がらんばかりに驚いた。
「へ、陛下……。申し訳ございません、勝手に入り込んでしまい」
龍帝は苦笑いしながら、玲玉の隣に腰を下ろした。
「謝る必要はない。この宮殿にあるものはすべて、朕のものであり、朕のものはすべてお前のものだ」
龍帝は玲玉が手にしていた書物を覗き込んだ。
それは、帝国の古い伝承を記した巻物だった。
かつて龍と対をなす蛇の民が北の荒野に封じられたという、遠い昔の神話が記された箇所が開かれている。
「龍脈や古い伝承について、調べておられたのですか」
「ああ。私が、陛下にどのようにお仕えすればいいのか、少しでも知りたくて」
玲玉が小さくつぶやくと、龍帝はその手から巻物を取り、机の上に置いた。
「お前が何かを調べる必要はない。ただ、朕のそばにいて、健やかに笑っていてくれれば、それでいいのだ」
「ですが、私は陛下の重荷になりたくありません。私のこの力が、本当に国を救えるのであれば、一日も早くその使い方を学びたいのです」
玲玉は必死に訴えた。
自分に価値があることを証明しなければ、この幸せはすぐに消えてしまうのではないか。
そんな恐怖が、彼を突き動かしていた。
龍帝は静かに立ち上がり、玲玉を壁際へと追い詰めた。
逃げ場のない空間。
龍帝の放つαの魔力が、玲玉の体を優しく、けれど抗いようのない強さで包み込む。
「玲玉……。お前は、自分の価値を低く見積もりすぎている」
龍帝の顔が近づく。
吐息が触れるほどの距離。
玲玉の心臓は早鐘を打ち、全身が熱くなった。
「お前がそこにいる。それだけで、朕の荒んだ心はどれほど救われているか。お前の体から漏れ出す、その清らかな気が、どれほど朕を安らげているか、分からぬか」
「それは……陛下が優しいから……」
「優しさなどではない。朕は、お前を独り占めしたいだけだ。誰の目にも触れさせず、この腕の中に閉じ込めておきたい」
龍帝の手が、玲玉の腰を強く引き寄せた。
密着する体温。
龍帝の胸の鼓動が、自分のことのように伝わってくる。
玲玉はあまりの刺激に、頭が真っ白になった。
「陛下……苦しいです……」
「……すまぬ。お前があまりに無防備だから、つい加減を忘れてしまう」
龍帝は名残惜しそうに腕を緩めたが、その手は離そうとはしなかった。
「怖がらぬがよい。お前が嫌がることは、決してせぬ。だが、いつかお前が心から朕を求めてくれる日まで、朕はお前を離すつもりはない」
その言葉には、絶対的な王としての命令と、一人の男としての、痛いほどの愛が含まれていた。
玲玉は震えながら、龍帝の胸にそっと顔を埋めた。
怖い。
けれど、心地よい。
自分をこれほどまでに求めてくれる人がいることが、信じられないほど幸せで、恐ろしかった。
「……少し、庭を歩こう」
龍帝は玲玉の手を取り、書庫の外へと連れ出した。
◆ ◆ ◆
庭園には、月明かりが降り注いでいた。
白く輝く蓮の花が池に浮かび、夜風が甘い花の香りを運んでくる。
二人は無言で歩き続けた。
繋がれた手から伝わるぬくもりが、玲玉の孤独な心を少しずつ溶かしていく。
ふと、玲玉の足元に咲いていた小さな花が、青白く光を放った。
「あ……」
玲玉が息を呑むと、その光は波紋のように広がり、周囲の枯れかけていた木々が次々と芽吹き始めた。
「これが、私の……」
「そうだ。お前の力が、龍脈と響き合っている証だ。無自覚であっても、お前はすでにこの国に命を吹き込んでいるのだよ」
龍帝は誇らしげに微笑んだ。
玲玉はその光景を、目に涙を浮かべて見つめていた。
自分の力が、誰かを不幸せにするための「呪い」ではなく、誰かを救うための「光」になり得る。
その事実が、何よりも彼を救っていた。
「陛下。私……頑張ります。陛下のお役に立てるよう、もっと自分の力を知りたいです」
初めて、玲玉の口から前向きな言葉がこぼれた。
龍帝はその瞳を見つめ、玲玉の額に優しく口づけを落とした。
「ああ。共に歩もう、玲玉。お前の行く道は、朕がすべて照らしてやる」
月夜の下、二人の影は重なり合い、帝国を包む静かな奇跡の予感を告げていた。




