00043RJDBCK「事後の世界」
津秋の家で長いこと寝ていた。
起きると、津秋が居なくなっている。
家の外に出ると、ジョーカーもいない。大狼のデュースだけだった。
俺はデュースに乗り、そして現世へと帰った。
もう真っ暗だった。
スマホの時計を見ると、20時を指している。
メールも一通。
琥太朗から、「今、どこ?」。
約束の時間は、とっくに過ぎていた。
学校の建物の隅で、
俺は自分の身を抱き寄せるかのようにして座っていた。
うずくまって、少し待つ。体が落ち着くのを待った。
起きてから、何故だか体が震えていた。
血はたぶん、全て落ちている。
左腕の包帯をほどいてみた。
傷口はほぼ、……完全にふさがっている。
傷跡は深かったはずなのに、――驚異的な回復力だ。
行かないと……。
琥太朗を待たせたきりだ。
メールで「ごめん、すぐ行く」と、送って、俺は立ち上がった。
思った以上に時間がかかった。
今日は満月だった。
無駄に大きな満月で、無駄に明るい。
できれば、新月くらいがちょうど良かった。
琥太朗は屋敷の扉の前で待っていた。
「おす。悪い、遅れて」
と、俺から声をかけた。
「あ、ああ。大丈夫か、顔色、凄く悪そうだけど……」
「大丈夫」
家の中に通される。
琥太朗の部屋に入って、俺はベッドの前に腰を下ろした。
「何か食べる?」
と、聞かれたが、俺は首を横に振り、大きく息を吐いて黙り込んだ。
琥太朗には悪いけれど、
今は何も話す気が起きなかった。
うなだれて、フローリングの模様をぼんやり眺めた。
琥太朗は気を遣ってくれたのか、一人で読書をし始めた。
勉強しようとか、料理がどうのとか、ライフルを見ようだとか。
色々言ってくれてたのに、何だか申し訳ない。
どれも今は気がすすまないから、
そっとしておいてくれるのは有り難かった。
しばらくして、ふと、
琥太朗が何を読んでいるかが気になった。
「ねえ、何読んでるの」
と、聞くと、琥太朗は本を傾けて見せてくれた。
タイトルは、『罪と罰』。
フョードル・ドストエフスキー著。
「読んだことある?」
と、琥太朗。
俺は首を横に振った。
「どんな話?」
「お婆さんを斧で殺す話だよ」
「そう……」
聞かなきゃ良かった……。
琥太朗は部屋から一旦出て、
戻ってくるとバナナをモグモグ食べていた。
一房まるごと俺に「はい」、と渡して、
「今日、何かあったの?」
と聞きながら、椅子に腰かけた。
俺は目だけ上げて琥太朗を見た。
クラスメイトをライフルで射殺してきたよ、なんて、とても言えない。
「別に、……何もないよ」
「本当?」
「本当」
「嘘だろ?」
と、琥太朗。
鋭い。
思わず笑ってしまった。
「本当だよ。本当に何もない」
「言いたくないなら別に良いけど、さ。
まぁ話したくなったら何でも言えよ。
相談に乗るぜ。
これでも俺、その手のことはよく勉強してんだ」
「相談に勉強って、……なんだか嫌だな。
そんなのますます話したくなくなるよ」
「そう言うなって。
迷える子羊の相談に乗るだけなんだから。
とても親切なボランティアみたいなもんだよ」
「じゃあ、どうやんの?」
「うーん、基本は話聞くだけだけど……、
いじめとかの場合は、その人のことを肯定し、認めてあげるとかかな」
「肯定って?」
「大体、過剰に自己評価低くなってるし、本人には何の問題もないって言うんだ」
琥太朗はほとんど目をそらさない。
ゆったりと座って俺の目をまっすぐに見つめてきていた。
「お前は悪くないぞ、お前は悪くないぞ、……ってな。
人が塞ぎ込み、殻に閉じこもっているような場合、
本人が本当に必要としている救済というのは、その場限りの解決ではないんだよ。
自分の存在やら価値観を全て受け入れ、将来を担保してくれるような相手が欲しいのだと思う。
だから、そのための方法の一つとして、まずは全肯定してやるんだ。
それがたとえ倫理的にどんなに間違っていることであろうと関係なしに、
存在から行動まで何もかも全て、肯定する。
いじめの原因なんてどうだって良いんだ。
そんなものは本質じゃない。
反省なんて全部後回し。解決策も、その後で良い。
一人の人間としてまずは認め、
『あなたは間違ってない』、
『あなたのどんな意見も、確かにその通りだ』という。
どんな人も、自分を認めてくれる相手が欲しい。
将来に対して大丈夫だといって心の支えとなってくれる相手が欲しい。
『わたしの目にはあなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している』
そう言ってくれる相手が、欲しい。
聞き手は自分に相当の負担がかかると不安に思うかもしれない。
事実、現状認識の手助けや解決策の援助、見通しの提示、応援まで考えるのなら、
相応の労力と高い才覚が要求されるわけだけど」
少し考えていると、
「どう純一くん、話してみる気になった?」
と、琥太朗は続ける。
「いや、全然。
琥太朗には何も話さないよ。今そう決めた」
「ひどい……」
「そういうのが好きだったの?」
「もちろん冗談。
本でチラッと読んだ程度だし。本気にしないで」
バナナを食べてると気分が落ち着いてくる。
不思議な味のするバナナだった。
何だかまた眠くなって、
その後は、お風呂に入り、一緒の部屋で寝た。
自分のことを全肯定する。
俺は悪くない。
俺は悪くない。
俺は……悪く……ない。




