第7話 おもちゃの薬
――リンデル、騎士学校。治癒室。
「……というわけで、郊外の小さな家に、一人で住んでるんです」
ライルはセレナ先生の向かいに座り、ミミについて知っていることを話し終えた。
母親を亡くし、一人で暮らしていること。
ひどい人見知りで、いつも棚の陰に隠れていること。
顔を合わせようとせず、ほとんどしゃべらないこと。
けれど、手当てをするときだけは、まるで別人のように落ち着いていること。
そして――ポーションが、とんでもなく不味いこと。
「なるほどね……」
セレナ先生は机の上で指を組み、しばらく考え込んでいた。
「出血を止めてから傷を洗い、きちんと保護する。足首を診たときも、状態を確かめてから固定していた。……それが、五歳の子の手当てだなんて」
先生は顔を上げた。
「ライル。一度、その子をここへ連れてきてもらえないかしら」
「えっ」
「話を聞いてみたいの。どこで、誰から、あんな手当てを教わったのか」
ライルは困ったように頭をかいた。
「……来てくれるかどうか。俺が仲間を三人連れていっただけで、棚の陰に隠れたきり出てこなくなる子なんです」
「そう。……無理にとは言わないわ」
セレナ先生はやわらかく笑った。
「でも、もし本当に魔法を使わずにあれだけのことができるなら、きっと、たくさんの人を助けられる。私はそう思うの」
*
ギルベルトさんの足を手当てしてから、ひと月ほどが過ぎた。
トマくんがくれた野の花は、もうしおれてしまった。
でも、一輪だけ押し花にして、母のノートの間に挟んである。
その日の昼過ぎ。
ドンドンドンドンッ!
「ひっ……!」
突然、扉がものすごい勢いで叩かれた。
「ミミちゃーーーん!! いるーーー!?」
(こ、この声……!)
私は慌てて扉に駆け寄り、そっと隙間を開けた。
そこにいたのは、深い緑色のフードつきマントを着た、小さな女の子。
――ではなく。
小さな女の子の上半身が、すっぽり隠れてしまうほどの、山盛りのかごだった。
「……レ、レイン……さん……?」
「当たりーっ!」
かごの横から、ひょこっと顔が出る。
とがった耳が、ぴこぴこと揺れていた。
「ごめんね、ミミちゃん! 遅くなっちゃった! でも、見て見て! いっぱい採ってきたよ!」
*
テーブルの上に、レインさんの採ってきた薬草が、どさっと広げられた。
どれも、私が実物を見るのは初めてのものばかりだった。
月の光みたいに、ほんのり青白く光る苔。
しずくの形をした、透きとおった実。
葉の裏が銀色に輝く、細長い草。
「これが月光苔でしょ。こっちが星しずくの実。それから銀葉草! ぜーんぶ、森のずーっと奥にしか生えてないんだよ!」
レインさんは指を折りながら、得意げに説明してくれた。
「すぐに持ってこようと思ったんだけどね、場所がすっごく遠いし、生える季節が決まってるのも多くって。あっちの谷に行って、こっちの泉に行って、また谷に戻って……ってしてたら、こんなにかかっちゃった!」
(そんなに……何度も、森の奥まで……)
私のために。
胸が、きゅっとなった。
私は母のノートを開いた。
ページをめくる指が、だんだん速くなっていく。
『月光苔――高い熱を、ゆっくりと下げる。森の奥の、月の当たる岩にだけ生える』
『星しずくの実――傷のふさがりを、ぐんと早める。とても貴重』
『銀葉草――ほかの薬草の効き目を、強める』
今まで、材料がなくて作れなかった薬。
読むだけで、諦めるしかなかったページ。
その材料が、目の前にある。
「……す、すごい……」
気づけば、声に出ていた。
「こ、これ……全部……お、お母さんのノートに、載ってて……。ず、ずっと……作ってみたかった、お薬の……材料で……っ」
夢中になって説明しかけ、はっとする。
(あっ……! わ、私、こんなにしゃべって……!)
慌てて顔を伏せると、レインさんがにこにこしていた。
「ほんと!? よかったぁ!」
その笑顔につられるように、胸の奥がぽかぽかした。
「……あ、ありがとう……ございます……」
「どういたしまして! これで、この前のお礼、ちゃんとできたかな?」
こくこくこく。
私は何度も何度もうなずいた。
*
「それでね、ミミちゃん。今度、あのトカゲの討伐に、もう一回行くんだ」
空になったかごを足元に置き、レインさんがふと真面目な顔になった。
「……ミ、ミドリキバトカゲ……ですか……?」
「そう! この間は負けちゃったけど、今度はギルドで仲間を集めて行くの。リベンジだよ!」
レインさんは腰の短剣を、ぽんと叩いた。
(……また、あのトカゲのところに……)
あの日の、赤紫に腫れ上がった足首。
真っ赤な顔。浅い息。
思い出しただけで、胸がひやりとした。
私は棚から、小瓶を一本取り出した。
アオツユ草の根とニガヨモギで作った、ミドリキバトカゲの毒消しだ。
「……あ、あのっ……! こ、これ……持っていって、ください……」
小瓶に、使い方を書いた札を結びつける。
『どくけし。ミドリキバトカゲに かまれたら のむ。おとなは ぜんぶ。こどもは はんぶん。のんだら うごかない。かならず ちゆしさんへ』
「わあっ、ミミちゃんのお薬!」
レインさんは小瓶を受け取り、大事そうに両手で包んだ。
「……ま、まずい……です、けど……」
「知ってる!」
即答だった。
(うぅ……や、やっぱり……)
レインさんは、けらけら笑う。
「でも、これがあれば心強いね。お守りにする!」
小瓶をマントの内ポケットに、そっとしまった。
「……き、気をつけて……ください……。む、無理は……しないで……」
「うん! また来るね、ミミちゃん!」
ぴょんぴょんと跳ねるように帰っていく背中を、私は窓から見送った。
――今度は、ちゃんと手を振った。
小さく隠すことも、せずに。
*
――リンデル、冒険者ギルド。
昼間から酒の匂いが漂う、にぎやかな酒場兼受付。
その一角で、ミドリキバトカゲ討伐の顔合わせが行われていた。
「おいおい、冗談だろ」
大柄な男が、どかっとテーブルに足をのせ、レインを見下ろした。
顔には古い傷。背中には大剣。
いかにも腕っぷしの強そうな冒険者だ。
「討伐の仲間が、こんなチビのエルフかよ。子守りに行くんじゃねえんだぞ」
「チビじゃないもん! 十五歳だもん!」
「エルフの十五なんざ、ガキと同じだろ」
周りの冒険者たちが、どっと笑った。
男の名はガロン。
このあたりでは名の知れた、ベテラン冒険者だった。
「それに聞いたぜ。お前、前回あのトカゲにやられて、泣きながら逃げ帰ったんだってな」
「泣いてないもん!」
レインはむっとして、マントの内ポケットから小瓶を取り出した。
「それに、今回はこれがあるもん! 毒消しのポーション!」
ガロンは小瓶をひょいと取り上げた。
「なんだこりゃ。どろどろの緑色じゃねえか。……札まで付いてやがる。『どくけし』? なんだ、このガキの落書きみてえな字は」
「返して! それ、ミミちゃんが作ってくれたの!」
「ミミ? ああ、郊外で小さな魔女ごっこをしてるガキか」
ガロンは鼻で笑った。
「子どもの作った薬なんざ、おもちゃだろ。持ってくだけ荷物だ」
小瓶を持った腕を、ゴミ箱に向かって振りかぶる。
「だめっ!!」
レインはテーブルに飛び乗り、ガロンの手から小瓶をひったくった。
小さな体で、ぎゅっと両手に抱きしめる。
「……これは、ミミちゃんが、あたしのために作ってくれたの。おもちゃなんかじゃない」
いつもの元気な声とは違う、まっすぐな言葉だった。
ガロンは、ふんと鼻を鳴らして肩をすくめた。
「勝手にしろ。足だけは引っ張るなよ、チビ」
レインは小瓶を内ポケットに戻し、きゅっと口を結んだ。
*
――森の奥。
ミドリキバトカゲの巣は、苔むした岩場の陰にあった。
戦いは、思っていたよりもうまく進んだ。
冒険者たちが正面から注意を引きつける。
短剣のほかに弓も携えてきたレインが、木の上から矢を射かける。
そして、ガロンの大剣が、とどめを刺した。
どさり。
大きなトカゲが、地面に倒れる。
「へっ、ちょろいもんだ」
ガロンは剣を肩に担ぎ、トカゲの死骸へ近づいた。
――そのときだった。
がさっ!
岩陰から、もう一匹。
ひと回り小さなトカゲが飛び出してきた。
「ガロン、後ろっ!!」
レインの叫びは、ほんの一瞬、遅かった。
がぶりっ!
鋭い牙が、ガロンのふくらはぎに深々と食い込んだ。
「ぐあっ……!」
仲間の剣が、すぐに二匹目を斬り伏せる。
だが、ガロンはその場に膝をついていた。
ふくらはぎに、二つの噛み跡。
その周りが、みるみる赤紫色に変わっていく。
「く、くそ……っ! た、大したこと、ねえ……!」
立ち上がろうとした体が、ぐらりと揺れた。
額から脂汗が噴き出している。
「ガロン、動いちゃだめ!」
レインは駆け寄った。
あの日、ミミが自分にしてくれたことを思い出す。
(動かさない。腫れが広がらないか確かめて……それから、毒消し!)
「横になって! 足、動かさないで!」
「な、何、仕切って……」
「いいから!!」
レインの剣幕に、ガロンは目を丸くした。
仲間に支えられ、岩場に体を横たえる。
レインは腫れた足に無理な力がかからないように気をつけながら、マントの内ポケットから小瓶を取り出した。
どろりとした、緑色の液体。
がたがたの字で書かれた、小さな札。
『おとなは ぜんぶ。こどもは はんぶん。のんだら うごかない。かならず ちゆしさんへ』
「はい、これ飲んで! 全部!」
ガロンは小瓶を見て、顔をしかめた。
「……それ、さっきの……」
レインは、にやっと笑う。
「ほら、おもちゃの薬だよ!」
「ぐっ……」
ガロンは言葉に詰まった。
けれど、ふくらはぎの痛みに顔をゆがめながら、小瓶をひったくる。
そして、一気に飲み干した。
「――ぐっ……!? ま、まっず……! な、なんだこれ、草と……土……っ!」
「知ってる!」
レインは胸を張った。
「でも、効くんだから!」
*
仲間たちはガロンを支え、なるべく足を動かさないようにして街まで運んだ。
ギルドに着く頃には、ふくらはぎの腫れはそれ以上広がっていなかった。
熱も、ほとんど出ていない。
そのままギルドの治癒師に診てもらうと、治癒師は目を丸くした。
「ミドリキバトカゲの毒にしては、ずいぶん軽く済んでいるな。噛まれてすぐに毒消しを飲んだのか。それに、足もあまり動かさずに運んだんだな。適切な対処ができていたようだ」
周りの冒険者たちが、ざわめいた。
「おい、ガロン。お前、何を飲んだんだ?」
「さっき、チビのエルフに飲まされてたやつだろ」
「おもちゃの薬、って言ってなかったか?」
ガロンは包帯を巻かれたふくらはぎを見下ろしたまま、むすっと黙り込んでいる。
何も言い返せなかった。
しばらくして、ぼそっと口を開く。
「……おい、チビ」
「チビじゃないもん。レインだもん」
「……レイン」
ガロンはそっぽを向いたまま、頭をがしがしとかいた。
「その、ミミとかいうガキ……いや、その魔女の薬。どこに行けば、手に入る?」
レインは満面の笑顔になった。
「郊外の森の入り口の、小さなおうち! でもね、ミミちゃん、すっごく人見知りだから、大きな声を出したらだめだよ!」
その日から、冒険者たちの間に、こんな噂が流れるようになった。
『郊外の小さな魔女の毒消しは、とんでもなく不味いが、本物だ』
*
そんなことになっているとは、少しも知らないまま。
私は家のテーブルで、レインさんが採ってきてくれた月光苔を、そっと乳鉢に入れていた。
母のノートを開く。
今まで、材料がなくて作れなかった薬のページ。
すりこぎを、ゆっくりと回す。
ほんのりと青白い光が、乳鉢の中できらきらと揺れた。
(……お母さん。新しい薬、作れるよ)
窓の外では、夕日が森の向こうへ沈んでいくところだった。




