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魔法が使えない魔女見習い、前世の医学で薬屋を始めます  作者: ゆっきー
第1章 郊外の小さな魔女

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第6話 にぎりしめた、銅貨一枚

ライルさんたちが帰ってから、一週間ほどが過ぎた。


 あの日もらった焼き菓子は、毎日ひとかけらずつ、大切に食べている。


 甘くて、さくさくしていて。


 私の作るポーションとは、まるで正反対の味だった。


(……お、おいしい。どうしたら、こんな味になるんだろう……)


 その日は、朝から雨が降っていた。


 しとしとと屋根を打つ音を聞きながら、私は乳鉢で薬草をすりつぶしていた。


 ――コン。


 小さな音がした。


(……風、かな?)


 ――コン、コン。


 さっきより、少しだけ強く。


 でも、扉を叩く音は、大人にしてはずいぶん低いところから聞こえた。


 私は乳鉢を置いて、そろそろと扉に近づいた。


「……あ、あの……ここ、まじょさんの、おうち、ですか……?」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、小さな男の子の声だった。


 *


 扉を少しだけ開けると、雨の中に男の子が一人で立っていた。


 七歳くらいだろうか。


 つぎはぎだらけの服は、雨でぐっしょり濡れている。


 髪の先から、ぽた、ぽた、と雫が落ちていた。


 男の子は両手を胸の前で、ぎゅっと握りしめている。


(……子ども、一人? こんな雨の中を……?)


 知らない人は怖い。


 だけど、目の前の男の子は、私より少し大きいくらいだった。


 それに、こんなに濡れていたら、この子まで具合が悪くなってしまう。


「……あ、あの……な、中に……入って、ください……」


 自分でも驚くくらい、すんなりと言葉が出た。


 *


 男の子をかまどの前に座らせ、乾いた布を肩にかけてあげた。


 男の子は布にくるまり、かちかちと歯を鳴らしながら、ぽつりぽつりと話してくれた。


「……ぼく、トマ。街の、はしっこに、住んでる」


「お母さんが、ずっと、ねてるの。お熱があって、せきが、ごほごほって……。ごはんも、あんまり、たべられないの」


「お父さんは、いないから……ぼくが、なんとかしなきゃって……」


(お父さんが、いない……お母さんと、二人きり……)


 私は、いつもの棚の陰には隠れていなかった。


 トマくんの少し横に立っている。


 小さな子が相手だと、不思議と、少しだけ平気だった。


「……お、お母さん……い、いつから、お熱が……?」


「えっと……みっか、まえ……ううん、よっか、まえ」


「……い、息……く、苦しそう、ですか……?」


 トマくんは少し考えてから、首を横に振った。


「せきをすると、くるしそうだけど……ねてるときは、すーすーって、ねてる」


「……お、お水は……飲めて、ますか……?」


「うん。ぼくが、くんでくると、のんでくれる」


(熱と咳が、四日くらい。水は飲めていて、眠っているときは息も落ち着いている……)


 でも、私はお母さん本人を診ていない。


 何が原因なのかは、まだわからない。


(……せめて、熱と咳をやわらげる薬なら……)


 そのとき、トマくんが胸の前で握りしめていた両手を、そっと開いた。


 小さな手のひらに、銅貨が一枚。


 雨と汗で少しくもった、銅貨が一枚だけ。


「……ぼくの、おこづかい、ぜんぶ」


 トマくんは、うつむいたまま言った。


「これで、おくすり……かえますか……?」


 *


 足りない。


 熱冷ましのポーションと、咳をやわらげる煎じ薬。


 どちらも用意するには、銅貨一枚ではとても足りない。


 トマくんにも、それがわかっているのかもしれない。


 銅貨を差し出す小さな手が、かすかに震えていた。


 私は、その銅貨をじっと見つめた。


 ――母が、帰ってこなかった朝。


 扉を開けたら、知らない大人たちがいて。


 母の帽子があって。


 私は、何もできなかった。


 母のために、何ひとつ。


(……でも、この子は……)


 まだ、間に合うかもしれない。


 この子のお母さんは、家で待っている。


 だからトマくんは、こんな雨の中を一人でここまで来たんだ。


 私は、トマくんの手のひらを両手でそっと包んだ。


 そして、銅貨ごと、その手をぎゅっと閉じさせる。


「……お、お金は……」


 喉が、ひりひりする。


 でも、これだけは言わなきゃ。


「……お金は……い、いいです……」


 トマくんが、ぱっと顔を上げた。


「……え……?」


「そ、それは……トマくんが、持ってて……ください……」


 トマくんは、閉じられた自分の手を見つめていた。


 それから、こくりとうなずいた。


 *


 熱冷ましのポーションを一本。


 それから、咳をやわらげる煎じ薬の包みを三つ。


 私は母のノートを開き、大人用と子ども用の量を間違えないように、何度も確かめた。


 トマくんのお母さんは、大人。


 でも、薬を持って帰るのは七歳のトマくんだ。


(……わかりやすく、書かないと……)


 私は紙の札を二枚用意した。


 一枚は、お母さんのため。


 もう一枚は、トマくんが読めるように、できるだけ簡単な言葉で。


『おかあさんの くすり。


 みどりの びん → あさと よる に ひとくち のむ。


 つつみ → おゆで にて、あさ ひる よる に のむ。


 おみずは すこしずつ、なんども のむ。


 あたたかくして やすむ。


 いきが くるしい、みずが のめない、ねつが つづく ときは、すぐ ちゆしさんに みてもらう』


 最後のところだけ、ほかの文字よりずっと大きく書いた。


 薬は、苦しい症状をやわらげるためのもの。


 それだけで、病気の原因まで治せるとは限らない。


「……と、トマくん……これ……読め、ますか……?」


 トマくんは札をじっと見つめ、ゆっくりと声に出して読んだ。


「……おかあさんの、くすり。みどりの、びん……あさと、よる、に……」


 最後まで読み終えると、こくりとうなずいた。


「よめる。ぼく、ちゃんと、やる」


「……お、お母さんにも……見せて、ください……ね」


「うん!」


 私は薬を布でくるみ、さらに油紙で包んだ。


 雨で濡れないように、端まできっちり折り込む。


 それから、母の古いマントを取り出して、トマくんの肩にかけた。


 五歳の私には大きすぎて、ずっとしまってあったマント。


 七歳のトマくんにも、まだ少し大きかったけれど。


「……か、帰りも……雨、だから……」


 トマくんはマントの端をぎゅっと握り、何度も何度も頭を下げた。


「ありがとう……まじょさん……ありがとう……!」


(ま、魔女さんって……私、まだ……)


 否定しようとして、やめた。


 今は、そんなことより。


 雨の中を走っていく小さな背中を、私は扉の隙間から、見えなくなるまで見送った。


(……お母さん、元気になりますように……)


 *


 それから、五日後。


 よく晴れた朝だった。


 コン、コン。


「まじょさーん!」


 聞き覚えのある元気な声に、私は扉を少し開けた。


 そこにいたのは、トマくんと――その手を握った、痩せた女の人だった。


「……っ!」


 知らない、大人の人。


 私は反射的に、扉の陰へ半分隠れた。


「まじょさん! お母さん、元気になったよ!」


 トマくんが満面の笑顔で言った。


 女の人はまだ少し顔色が悪く、ときどき小さく咳をしていた。


 それでも、自分の足でしっかり立っている。


 女の人は、扉の陰の私に向かって、深く、深く頭を下げた。


「本当に……本当に、ありがとうございました。この子から全部聞きました。お代も受け取らずに……」


(い、いえ……そ、そんな……)


 私は首を横に振ることしかできなかった。


 すると、女の人がそっと何かを差し出した。


 野の花を束ねた、小さな花束だった。


 黄色や、白や、薄紫色の、名前も知らない小さな花たち。


「この子と、朝いちばんに摘んできたんです。こんなものしか、お返しできなくて……」


「まじょさんの、おかあさんの、マントも!」


 トマくんが、きれいに畳んだ母のマントを両手で差し出した。


「お母さんが、ちゃんと、あらってくれたよ!」


 私は、花束とマントを受け取った。


 花の、甘い匂い。


 洗いたての、母のマントの匂い。


 それが胸いっぱいに広がって、言葉が詰まった。


「……よ、よかった……です……」


 声が、少しだけ震えた。


「……お、お母さん……元気に、なって……ほんとうに……よかった……」


 トマくんのお母さんが、目元をそっと押さえた。


 トマくんは、ぴょんぴょん跳ねながら手を振る。


「まじょさん、またね! こんどは、ぼく、けがしたら、くるね!」


(……け、怪我は、しないほうが……いいです……!)


 思わず心の中で突っ込んでしまった。


 でも、トマくんの笑顔を見ていたら、なんだか私も、少しだけ笑いたくなった。


 二人が帰ったあと、私は花束を、母が使っていた水差しに生けた。


 薬草の匂いばかりだった部屋に、ほんの少しだけ、花の香りが混ざった。


 *


 その頃、リンデルの街の市場では。


「聞いた? 街のはずれのトマくんちのお母さん、元気になったんだって」


「郊外の小さな魔女さんの薬だってさ。しかも、トマくんがお小遣いしか持ってなかったのに、お代はいらないって」


「まあ……。あの魔女さまの娘さん、子どもにも優しいのねえ」


 そんな噂が、八百屋の店先からパン屋の窓口へ、井戸端へと、少しずつ広がっていった。


 *


 ――リンデル、騎士学校。


「ライル。少し、いいかしら」


 訓練を終えて廊下を歩いていたライルを、落ち着いた女性の声が呼び止めた。


 振り返ると、白いローブをまとった女性が立っている。


 騎士学校で生徒たちの怪我を診ている、治癒師の教官だ。


「セレナ先生。どうかしましたか?」


「この前の、ギルベルトの足首のことよ」


 セレナ先生は腕を組み、少しだけ声を落とした。


「あの固定をしたのは、あなたが話していた郊外の女の子なのね?」


「……はい。ミミっていう子です」


「それに、二か月半ほど前のあなたの肩の傷。街で治癒魔法を受ける前に手当てしたのも、その子なのよね」


 ライルは、うなずいた。


 セレナ先生はしばらく黙り込んでから、静かに言った。


「……不思議なのよ」


「不思議、ですか?」


「治癒魔法を使えば、かすかな魔力の痕跡が残るの。私たち治癒師には、それがわかるわ」


 セレナ先生は、自分の手のひらに視線を落とした。


「あなたの肩には、街で受けた治癒魔法の痕跡があった。けれど、最初に診たとき、すでに傷はきちんと手当てされていたでしょう?」


「はい。ミミが血を止めて、薬を塗って、包帯を巻いてくれました」


「ギルベルトの足も同じよ。治癒魔法をかける前に固定を確認したけれど、魔法の痕跡はなかった。それなのに、固定の仕方も、足先の状態を確かめた手順も、驚くほど丁寧だったわ」


 ライルは、思わず息をのんだ。


「魔法に頼らず、あそこまで落ち着いて手当てできる人は、そう多くない。……それが、五歳の女の子だなんて」


 セレナ先生は、まっすぐにライルを見た。


「ライル。その子のこと、もっと詳しく聞かせてくれないかしら」

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