第3話 ちゃんと、言ったのに
レインさんが帰ってから、ひと月ほどが過ぎた。
あれから、家の扉を叩く人が、ほんの少しだけ増えた。
ライルさんと同じ騎士学校の生徒さんが、すり傷の薬を買いに来たり。
森で薬草を採っていた街の人が、「ここが魔女さまの娘さんの家かい?」とのぞきに来たり。
もちろん私は、そのたびに棚の陰に隠れた。
でも、隠れたままでも、薬は渡せる。
私は小瓶ひとつひとつに、小さな紙の札を結びつけるようにした。
『のむ くすり。いちにち 二かい。こどもは はんぶん』
『きずに ぬる くすり。のんでも よい』
五歳の手で書いた、がたがたの字。
でも、口で説明できない私にとっては、これがいちばん確かな伝え方だった。
(ちゃんと使い方を守らないと、薬は効かない。どんなにいい薬でも)
*
その日の昼すぎ。
扉が、ドンドンと乱暴に叩かれた。
「おい! いるんだろう! 開けろ!」
(ひっ……!)
低くて太い、大人の男の人の声。
私は手に持っていた乳鉢を、危うく落としそうになった。
(む、無理……絶対無理……! 居留守、居留守……!)
ドンドンドン!
「郊外の小さな魔女ってのは、ここだろう! 薬を売ってると聞いたぞ!」
(……く、薬の、お客さん……?)
お客さんなら、出ないわけにはいかない。
私は震える足で扉に近づいて、ほんの少しだけ、すきまを開けた。
すきまの向こうに立っていたのは、お腹の大きな中年の男の人だった。
上等そうな服。指にはぎらぎらした指輪。
そして、鼻をつくような、いろんな薬の混ざった匂い。
男の人は、すきまからのぞく私を見下ろして、ふん、と鼻を鳴らした。
「なんだ、本当にガキじゃないか」
(ガ、ガキ……)
「わしは街で薬屋をやっている、ドルフという者だ」
ドルフさんは、ずかずかと家の中に入ってきた。
私は、あわてて棚の陰に逃げこむ。
ドルフさんは、部屋の中を見回した。
天井から吊るした薬草。棚に並んだ小瓶。母が使っていた鍋。
「……ふん。相変わらず、草くさい家だ」
(相変わらず……?)
ドルフさんは、棚の陰の私に目を向けた。
「ほう、お前があの魔女の娘か。母親の薬は、確かによく効いたがな」
(お母さんのこと……知ってるの……?)
「おかげで、こっちは商売あがったりだった。街の連中ときたら、わしの店を素通りして、みんなこんな草くさい家まで足を運びおって」
ドルフさんの声には、とげがあった。
「だが、子どもの作った薬なんぞ、まともに効くわけがない」
胸の奥が、ずきんと痛んだ。
言い返したい。
でも、言葉が出てこない。
私は棚の陰で、ぎゅっとスカートを握りしめることしかできなかった。
ドルフさんは、棚に並んだ小瓶を、一本ずつ手に取って眺めはじめた。
「熱冷ましに、傷薬か。……まあいい。どうせ売れ残りだろう。この値段で引き取ってやる」
テーブルの上に、銅貨が、ちゃりちゃりと何枚か投げ出された。
ライルさんが置いていってくれた銅貨より、ずっと少ない。
小瓶は、十本以上あるのに。
(そ、そんな……それじゃ、薬草代にも、ならない……)
「なんだ、文句があるのか?」
ドルフさんが、じろりとこちらをにらむ。
私は、ぶんぶんと首を横に振った。
振ってから、自分が「文句はありません」と答えてしまったことに気づいた。
(ち、ちがう……そうじゃなくて……)
でも、もう遅かった。
ドルフさんは、持ってきた大きな袋に、棚の小瓶を次々と放りこんでいく。
ガチャ、ガチャと、瓶どうしがぶつかる音。
(あ……あっ……)
袋に入れるときに、瓶に結んでいた紙の札が、何枚もちぎれて床に落ちた。
ドルフさんは、それを拾おうともしない。
(ふ、札……! 使い方の、札……!)
このまま行かせちゃいけない。
それだけは、わかった。
私は、棚の陰から、半分だけ体を出した。
「……あ、あの……っ」
「なんだ」
「つ、つかい、かた……」
声が、震える。
「み、みどりの、びんは……の、のむ、くすり、です……いちにち、二かい……こどもは、はんぶん……」 「ちゃいろの、びんは……き、きずに、ぬる……」
「り、りょうを、まちがえたら……き、ききません……み、みずで、うすめても……」
しゃべっているうちに、だんだん早口になっていく。
「ぜ、ぜんぶ、ふだに、かいて、あって……でも、ふだが、とれちゃったから……だから……っ」
「あー、うるさい、うるさい」
ドルフさんは、手をひらひらと振った。
「薬のことなら、ガキに言われんでもわかっとる。わしは何十年も薬屋をやっとるんだぞ」
そう言い捨てて、袋をかついで、ドルフさんは扉を出ていった。
ばたん、と、乱暴に閉まる扉。
しんとした部屋に、私と、床に散らばった紙の札と、少しの銅貨だけが残された。
(……ちゃんと、言ったのに)
私は床にしゃがみこんで、ちぎれた札を、一枚ずつ拾い集めた。
(ちゃんと、言ったのに……聞いてなかった……)
*
——リンデルの街、ドルフ薬店。
「さあさあ、見ていきな! あの郊外の魔女さまの家から仕入れた、とっておきのポーションだ!」
店先で、ドルフは声を張り上げた。
魔女さま、という言葉に、通りの人たちが足を止める。
「魔女さまって、あの……亡くなったっていう?」
「娘さんが、まだ一人で薬を作ってるって噂は聞いたけど……」
「そうとも! その娘が作ったポーションだ!」
ドルフは、ミミから安く買い叩いた小瓶を、店の棚にずらりと並べた。
——ただし、そのままではない。
店の奥で、ドルフは小瓶の中身を大きな鍋に空け、水をたっぷり足してかき混ぜていた。
一本分を、三本分に。
(ふん。どうせガキの作った薬だ。薄めたところで、わかりゃせん)
緑の瓶も、茶色の瓶も、中身はどちらもどろりとした緑色の液体だ。
札がなければ、見分けはつかない。
「これは……傷に塗る薬、ということにしておくか。そのほうが、高く売れる」
ドルフは、適当に新しい札を書きなぐって、瓶にぶら下げた。
そして値札には、ミミに払った銅貨の、何倍もの値段をつけた。
*
三日後。
「おい、ドルフ! この薬、全然効かないぞ!」
店の扉を乱暴に開けて、農家の男が飛びこんできた。
「息子の熱が下がらないって言ったら、あんた、これを額に塗れって言ったよな!? 毎日塗ったのに、ちっとも下がりゃしない!」
「う、うちの母ちゃんの切り傷も、塗っても塗ってもふさがらないよ!」
「高い金を払ったのに、ただの草の汁じゃないか!」
次から次へと、客が押し寄せてくる。
「な、なにを言う! あれは魔女の娘の薬だ! 効かないのは、あのガキの腕が悪いからだ!」
ドルフは顔を真っ赤にして、怒鳴り返した。
そのときだった。
「……おかしいねえ」
人だかりの後ろから、静かな声がした。
腰の曲がった、小柄なおばあさんが、一本の小瓶を手にして立っていた。
「あたしも、ここで一本買ったんだよ。孫が熱を出してね」
おばあさんは、小瓶を持ち上げて見せた。
その瓶の首には、ドルフの書いた札ではなく、がたがたの字で書かれた、小さな紙の札が結ばれていた。
『のむ くすり。いちにち 二かい。こどもは はんぶん』
「一本だけ、この札が残ってたんだよ。だから、この札のとおりに、飲ませた」
おばあさんは、にっこりと笑った。
「次の日には、孫の熱は、すっかり下がったよ」
店の中が、しんと静まりかえった。
「……え?」
「飲む薬、だったのか?」
「じゃあ、塗れって言ったのは……」
客たちの目が、一斉にドルフに向けられた。
「そ、それは……!」
ドルフの額に、だらだらと汗が流れる。
一人の客が、棚に残っていた瓶を手に取って、光にかざした。
「……おい。この瓶、底の方が、やけに薄くないか?」
「水っぽいぞ、これ」
「まさか、水で薄めて売ってたのか!?」
「ち、ちがう! ちがうんだ!」
ドルフの叫びは、怒った客たちの声に、あっという間にかき消された。
おばあさんは、手の中の小瓶と、がたがたの字の札を、愛おしそうに見つめた。
「……あの子は、ちゃんと書いてくれてたんだねえ。母親とおんなじだ。薬の渡し方が、ていねいだよ」
*
その日を境に、ドルフ薬店の前を素通りする人が、ぐんと増えた。
代わりに、街の片すみで、こんな噂がささやかれるようになった。
「郊外の小さな魔女の薬は、札のとおりに使えば、ちゃんと効くらしい」
「街の薬屋で買うより、直接行った方がいいってさ」
*
そんなことになっているとは、少しも知らないまま。
私は家のテーブルで、新しい紙の札を書いていた。
あの日、床から拾い集めた札は、ぜんぶ書き直した。
今度は、紙をひもで瓶にしっかり巻きつけて、簡単にはちぎれないようにした。
(ちゃんと、言ったのに……聞いてもらえなかった)
あの日のことを思い出すと、まだ胸がちくりとする。
(でも……書いたものは、残る)
声が小さくても。
顔が見られなくても。
紙に書いておけば、私の代わりに、ちゃんと伝えてくれる。
私はがたがたの字で、もう一枚、札を書いた。
『のむ くすり。いちにち 二かい。こどもは はんぶん』
そのとき、扉が、コン、コン、と控えめに叩かれた。
「……ごめんください。郊外の魔女さまの娘さんは、こちらかね……?」
知らない人の声。
私は札を握りしめたまま、いつものように、棚の陰に飛びこんだ。




