第24話 海の向こうの印
納品の日が来た。
先週まけてもらった二本をふくめて、毒消しと傷薬が、合わせて十二本。布でくるんで、かごに詰めて、札も全部そろえてある。
「よし、行こう!」
レインさんが、かごを半分持ってくれた。屋根裏に住みはじめて四日目で、もうすっかりこの家の人の顔をしている。朝ごはんも、ハンナさんの分まで食べている。
*
ギルドの大広間は、いつもどおり、うるさかった。
朝の依頼受付が終わったあとの時間で、冒険者が酒場のテーブルに固まって、だらだらしゃべっている。笑い声と、食器の音と、椅子を引きずる音。
カウンターの前には、先に三人並んでいた。
(……待ちか)
私は、壁ぎわの椅子に座って、かごをひざに置いた。
顔は上げない。上げる必要もない。足もとだけ見ていれば、だいたいのことはわかる。土のついたブーツ、新しい革靴、片方だけ底のすり減った靴。
手持ちぶさたになって、かばんからノートを出した。
開いたのは、きのう写した絵のページだった。
細い船の形と、波のような線。
(……なんの印なんだろう)
ペン先でなぞってみる。何度見ても、知らない形だった。この街のどの店の看板にも、どの馬車の扉にも、こんな模様はついていない。
(船……だよね。たぶん。それか、三日月を横にしたやつ)
首をかしげていたら、頭の上から声がした。
「あら?」
*
「その模様、見たことあるわね」
エマさんだった。
順番が来たのかと思って、あわてて立ち上がりかけたら、「あ、そのままで」と止められた。エマさんは、カウンターから出てきて、私のノートをのぞきこんでいた。
私の口は、考えるより先に動いていた。
「——教えてください!」
自分の声が、大広間に響いた。
気づいたら、椅子から立ち上がって、身を乗り出して、エマさんのエプロンをつかんでいた。
酒場のほうが、ちょっと静かになった。何人かが、こっちを見ていた。
(……あ)
手が、ぱっと離れた。顔が熱い。
「……す、すみません」
「いえいえ」
エマさんは、楽しそうに笑った。
「ちょっと待っててね」
*
エマさんは、カウンターの奥の扉に入っていった。
しばらく、紙をめくる音と、何かが倒れる音と、「あった」という声が聞こえた。
戻ってきたエマさんは、両手で大きな本を抱えていた。表紙は革で、角がすり切れている。ずいぶん古い本だった。
「ほら、これよ」
どん、とカウンターに置かれた。ほこりが舞った。
エマさんは、ページをめくっていく。見たことのない国旗や、紋章や、硬貨の絵が、びっしり並んでいた。
そして、手が止まった。
「ここ」
私は、台に手をかけて、背伸びをした。
ページの真ん中に、絵があった。
細い船。その下に、波の線。
私がノートに写したものと、同じだった。線の数まで同じだ。
「……お、同じ、です」
「でしょう」
エマさんは、指で絵の下の文字をなぞった。
「これはね、お金の印じゃないの。国の印よ」
「……く、国の」
「ええ。この街から南へ下って、海を渡った先。——隣の大陸にある、帝国のものです」
(……ていこく)
海を渡った先の、大陸。
頭の中に、何も浮かばなかった。森の向こうも、山の向こうも、まだ見たことがない。海すら、見たことがない。
「海って、遠いんですか」
思わず聞いてしまった。エマさんは、うーん、と首をかしげた。
「馬車で十日かそこらで、港には着きます。でも、そこから船で何日もかかりますね。行ったことのある冒険者は、このギルドにも、片手で数えるくらいしかいませんよ」
「……そんなに」
「ええ。遠いです」
エマさんは、本をぱたんと閉じた。
「だから、この印がこの街で出てくるのは、めずらしいんです」
私は、ノートの絵を、もう一度見た。
帝国。
「……帝国って、どんなところなんでしょう」
ぽつりと、口から出た。
エマさんは、ちょっと考えてから、言った。
「わたしも、行ったことはありません。聞いた話だけですけど」
「……はい」
「大きいそうです。この国が、いくつも入るくらい。船がたくさんあって、港がたくさんあって、いろんなものを買い集めているとか」
「……買い集める」
「ええ。珍しいものなら、何でも」
エマさんは、さらりと言った。
——珍しいものなら、何でも。
私は、ひざの上のかごを、ぎゅっと握った。
死神の鈴。戻らずの谷にしか生えていない、紫色の毒草。この街の人でさえ、本物を見たことのない草。
(……珍しいもの)
「ミミさん」
エマさんの声が、少しだけ低くなった。
「あの銀貨のこと、ライルさんから聞きました。……気をつけてくださいね」
「……は、はい」
「ギルドでも、よその訛りの人を見かけたら、気をつけて見るようにします」
*
納品の帳面に、エマさんが数を書きこんだ。十二本、たしかに。
それから、エマさんは「ところで」と言って、カウンターの下から小瓶を一本出した。
緑色で、少しとろりとしている。見覚えがありすぎた。
「これ、冒険者から回ってきたんですけど」
「……あ」
甘いポーションだった。レインさんに作ってあげたやつが、いつのまにか旅をしていたらしい。
「ガロンさんが『嬢ちゃんが作った甘いやつ』と言って、仲間に配ったそうです」
「……く、配った」
「それで、問い合わせが来てます。あれはいくらだ、と」
エマさんは、にこにこしていた。この人がにこにこしているときは、だいたい仕事が増える。
「……あ、あれは、その。……レインさんとの、約束で、作っただけで」
「冒険者の中には、毒消しが苦すぎて吐いてしまう人がいるんです」
エマさんは、静かに言った。
「吐いたら、薬は入りません」
(……あ)
それは、考えたことがなかった。
苦いのは、しかたがない。飲めばいいのだから。——ずっと、そう思っていた。でも、飲めない人がいる。飲めなければ、どんなに効く薬でも、ただの緑色の水だ。
「……つ、作ります」
気がついたら、言っていた。
「……でも、はちみつは、高いので。……ふつうのより、少し、高くなります」
「かまいません。苦いのが平気な人は、安いほうを買えばいいんです」
エマさんは、帳面に何か書きつけた。
「では、来週から『甘いほう』も、五本お願いします」
「……は、はい」
*
帰り道、レインさんが、やたら胸を張っていた。
「あたしのおかげだね!」
「……は、はい」
「あたしが『甘いの作って』って言ったからだもんね!」
「……は、はい」
「もっと言って!」
「……レインさんの、おかげです」
レインさんは満足そうにうなずいて、かごを持ち直した。
*
夕方、店を閉める少し前だった。
扉の鈴が、ちりん、と鳴った。
「いらっしゃいませー!」
レインさんの声。それから、カーテン越しに、足音が聞こえた。
——ゆっくりした、静かな足音だった。
小窓の下から見えたのは、白い革の靴だった。
汚れが、一つもない。この街の通りを歩いてきた靴には、見えなかった。
「はじめまして。こちらが、ミミ殿の薬屋でよろしいかな」
男の人の声だった。低くて、おだやかで、ていねいだった。
でも、言葉のはしが、ほんの少しだけ、聞き慣れない形に伸びた。
この街の訛りではなかった。
「……は、はい」
「よかった。道を三度まちがえましてね」
男の人は、小さく笑った。
「——さっそくですが、ひとつ、お願いがございます」
私は、カーテンの内側で、息を止めた。
「死神の鈴を、お譲りいただきたい」
心臓が、どくんと鳴った。
どう答えればいいのか、わからなかった。わからないまま、私は、小窓の下を見ていた。
白い革の靴。その横に、革の旅行かばんが置かれていた。
かばんの留め金に、金色の金具がついている。
そこに、模様が彫ってあった。
細い船と、波の線。
(…………)
ノートに写した絵と、同じだった。




