第23話 屋根裏の住人
朝の店は、ひどいありさまだった。
棚はまだ斜めに傾いているし、床には緑色のしみが残っているし、裏の窓は枠ごと抜けていて、風がすうすう入ってくる。割れた瓶は四本。中身は全部こぼれて、拭き取ったあとも、青くさい匂いが床にしみついていた。
私は、机の上に紙を広げて、数を書き出した。
『われた びん 四本。なかみは、ねつざまし 二、きずぐすり 一、どくけし 一
——きょうの ギルドのぶん、たりない』
ペンが、そこで止まった。
(……あ。あした、納品の日だ)
*
ギルドの大広間は、朝から冒険者でいっぱいだった。
私は入り口で三回ほど帰りたくなって、そのたびにレインさんに背中を押された。
「ほら、エマさんそこ。しゃべるのはミミちゃん」
「……れ、レインさん、ひどい」
「鍛える!」
受付のカウンターの前に立って、私は紙を差し出した。
「……あ、あの。あしたの納品、二本、足りません」
エマさんが、紙を受け取って、ふんふんと読んだ。それから、にっこり笑った。
「はい、承知しました」
「……え、あの。……お、怒らないんですか」
「泥棒に入られたんですよね?」
「……はい」
「わたくしども、昨夜の騒ぎで、ミミさんの店の毒草を狙った者がいたことまで把握しております」
エマさんは、帳面をぱたんと閉じた。
「ギルドが契約しているのは『薬』であって、『無理』ではありません。足りない分は、来週に回します」
(……い、いい人だ)
「ただし」
エマさんの笑顔が、ほんの少し動いた。
「夜に一人で寝ているのは、もうやめてくださいね。わたくし、心配で眠れませんでした」
「……は、はい」
「エマさん、だいじょうぶ!」
レインさんが、横からぐいっと顔を出した。
「あたし、今日から住むから!」
*
引っ越しは、昼前に終わった。
なにしろ、レインさんの荷物は、かばんが一つだけだった。
屋根裏に上がって、床に中身を広げたら、こうだった。替えの服が二枚。毛布が一枚。短剣の手入れ道具。木の実が五つ。きれいな石が三つ。鳥の羽が一本。
私は、しばらく黙って見ていた。
「……あの。……石と、羽は」
「拾った」
「……木の実は」
「おやつ」
「……服、二枚、ですか」
「洗えば着られるもん」
これは、ハンナさんに言おう、と思った。たぶん、明日には服が三枚増える。
屋根裏は、ほこりだらけだった。
窓から光が入ると、ほこりがきらきら舞って、ちょっときれいだった。でも吸いこむと、きれいどころではなかった。二人そろって、しばらくせきこんだ。
箒で掃いて、水ぶきをして、ハンナさんが持ってきてくれた古い敷物を敷いた。それだけで、ずいぶん部屋らしくなった。
ハンナさんは、寝具を抱えて階段を上がってきて、部屋をぐるりと見回した。
「狭いねえ」
「へいき!木の上よりひろい!」
「あんた、木で寝るのをやめな」
*
午後、看板の話になった。
言い出したのは、レインさんだった。
「ねえ、看板に『用心棒 レイン』って足していい?」
「……だ、だめです」
「なんで!」
「……薬屋なので」
「じゃあ『ようじんぼう あり』は?」
「……それだと、用心棒を売っているみたいです」
ハンナさんが、台所から口を出した。
「『レインもいます』でいいじゃないか」
「それだ!」
「……そ、それも、だめです」
結局、看板は何も足さないことになった。レインさんは三十分ほどむくれていたが、おやつが出たら直った。
*
夕方、裏口から、こつこつと音がした。
開けると、小さなおじいさんが立っていた。杖をついて、足はむくんでいる。手に、布の包みを下げていた。
「……か、鍛冶屋の、おじいさん」
「窓が壊れたと聞いてな」
おじいさんは、裏庭の窓のところまで、ゆっくり歩いていった。枠を指でなぞって、ふん、と鼻を鳴らす。
「枠ごといっとる。金具がもたんかったんだ。安物を使っとるな、この家は」
「……す、すみません」
「あんたが建てたんじゃないだろう」
おじいさんは、包みを開いた。中から、黒い金具がいくつも出てきた。真新しい。朝から打ったのだ、とすぐにわかった。
おじいさんは、座りこんで、窓枠を直しはじめた。
杖を横に置いて、むくんだ足を投げ出して、金づちを握る。手つきは、すごく速かった。
私は、横で金具を渡す係をした。
直しながら、おじいさんは、何も聞かなかった。薬のことも、毒草のことも、泥棒のことも。
だから、こっちから言った。
「……あの。……薬は、まだ、できていません」
「知っとる」
かん、かん、と金づちの音がした。
「……時間が、かかります」
「知っとる」
おじいさんは、顔も上げなかった。
「わしはな、窓を直しに来たんだ。薬をもらいに来たんじゃない」
「…………」
「盗人に窓を壊された家が、そのままになっとるのが、気に入らんだけだ」
日が落ちるころ、窓は直った。
前より、ずっとしっかりしていた。押しても引いても、びくともしない。
「これで、そうそう破れん」
「……ありがとう、ございます。……お代は」
「いらん」
「……で、でも」
「いらんと言っとる」
おじいさんは、杖をついて立ち上がった。それから、少しだけ、こっちを向いた。
「……ただ、一つだけ、たのむ」
「……はい」
「あの草をな、あわてて使おうとするな」
おじいさんは、裏庭のほうを見た。物置のほうだ。
「わしは、長いこと鉄を打っとる。急いで打った鉄は、見た目はできとるが、折れる」
かん、と杖が石を鳴らした。
「あんたの薬も、同じだろう」
*
夜。
店の扉が、こつこつと叩かれた。ライルさんだった。
騎士学校の制服のままで、手に小さな布の袋を持っている。
「衛兵から預かってきた。……昨日のやつらが持ってた、前金だ」
テーブルの上に、中身が出された。
銀貨が、五枚。
私は、ランプを近づけて、一枚を手に取った。
——知らない模様だった。
この国の銀貨には、菩提樹の葉が彫ってある。街の名前のもとになった木だ。
でも、この銀貨に彫ってあるのは、葉ではなかった。細い船のような形と、波のような線。
「……こ、これ」
「ああ。この国の金じゃない」
ライルさんは、腕を組んだ。
「エマさんに見てもらった。海の向こう、南の国の銀貨だそうだ。……この街じゃ、まず使えない」
レインさんが、銀貨を一枚つまみ上げて、ランプにかざした。
「じゃあ、金を出したやつは」
「よそから来てる。しかも、まだこの街にいる」
ライルさんは、私の顔を——正確には、帽子のつばのあたりを見た。
「ミミ。しばらく、夜は一人で出歩くな」
「……は、はい」
「それと、戸締まりは必ず」
「……は、はい」
「——お前、前にも鍵をかけ忘れてただろう」
「……う」
私は、銀貨を一枚、手のひらにのせて、ランプにかざした。
船と、波。見たことのない形だった。
どうして、よその国の人が、うちの毒草を欲しがるんだろう。しかも、前金が銀貨五枚。盗人に払う額としても、たいした金ではない。ためしに突いてみた、くらいの。
(……ためして、どうするんだろう)
「……あ、あの。ライルさん」
「ん?」
「……これ、お返しします」
私は、五枚を布の上にそろえて、ライルさんのほうへ押しやった。
「……盗んだ人が、もらったお金です。……それに、たぶん、調べるのに、いるものです」
「ああ、もちろん返す。預かってきただけだからな」
ライルさんは、銀貨を袋に戻した。
「見せておいたほうがいいと思ってな。……明日、衛兵に返す」
「……ありがとうございます」
私はノートを開いて、ペンを取った。模様だけ、写させてもらった。
細い船と、波の線。何度か描き直して、やっと、だいたい同じ形になった。
「……絵、へたくそですけど」
「いや。特徴は出てる」
ライルさんは、のぞきこんで、うなずいた。
「それ、持っておけ。同じ印をどこかで見たら、すぐ俺に言え」
「……はい」
*
寝る前、屋根裏のはしごの下で、声をかけた。
「……レインさん。おやすみなさい」
上から、ばたばたと足音がして、頭が逆さまに出てきた。
「おやすみ!なんかあったら、足で天井たたいて!」
「……あ、足で、ですか」
「そのほうが早いでしょ!」
頭が引っこんだ。
*
ベッドに入って、天井を見た。
ときどき、上で、ごろんと寝返りの音がする。
この家で、ほかの人が立てる音を聞きながら眠るのは、母がいなくなってから、はじめてだった。
ノートに、今日のことを書いた。
『ギルド、二本 まけてもらった。来週 まとめて。
レインさんの にもつ、かばん 一つ。石と 羽が 入っていた。
かじやの おじいさんが、窓を 直してくれた。お代は うけとらない。「急いで打った鉄は、折れる」
どろぼうの 前金、ぎんか 五まい。南の国の もの。ライルさんに かえした。もようだけ うつした。
——よその国の だれかが、死神の鈴を ほしがっている。
——きょうから、天井の 上に レインさんが いる』
ペンを置いて、ランプを消した。
上で、また、ごろんと音がした。




