第25話 ガレアの客
「死神の鈴を、お譲りいただきたい」
静かな声だった。
カーテンの内側で、私は息を止めていた。
(……どうしよう。どう答えるのが正解。「ありません」はうそだ。「売れません」なら理由がいる。理由を言うには、しゃべらないといけない。しゃべれない。ああ、心臓がうるさい)
「——うちは、毒草は売ってませーん」
レインさんの声だった。わざと明るい声を出している。こういうとき、レインさんは私より先に立つ。
「あら。お店の方ですか」
「お店の人です。用心棒もしてます」
「それは頼もしい」
男の人は、気を悪くしたふうもなく、小さく笑った。
「申し遅れました。わたくし、セヴェルと申します。ガレア帝国から参りました、薬種商でございます」
*
(……ガレア帝国)
初めて聞く名前だった。
でも、「帝国」なら、昼間ギルドで聞いたばかりだ。海を渡った先の、隣の大陸にある大きな国。船と、波の印。エマさんは、国の名前までは言わなかった。
小窓の下に置かれた革のかばん。留め金の金具に、やっぱり、あの模様が彫ってある。
(……間違いない)
「ミミ殿。少しだけ、お時間をいただけますか」
セヴェルさんは、ていねいに言った。
「ご不快でしたら、すぐに帰ります」
私は、カーテンの布を、両手でつかんだ。
帰ってほしい。今すぐ帰ってほしい。でも、聞かなければいけないことがある気がした。何を聞けばいいのかは、まだわからなかった。
「……お、お話、だけなら」
*
セヴェルさんの話は、よどみがなかった。
帝国では、死神の鈴は、ちゃんとした薬の材料として扱われていること。弱った心臓に使う薬が、すでにあること。それを作れる薬師が、帝国にはいること。
そして、この国では、誰も扱っていないこと。
「わたくしは、商人です。手に入るところから買い、必要なところへ運ぶ。それだけの仕事でございます」
セヴェルさんは、かばんから小さな布袋を出して、カウンターに置いた。
ことん、と重い音がした。
「言い値で結構です。これは手付けとお考えください」
レインさんが、袋の口を開けた。
そして、動きが止まった。
「……ミミちゃん」
「……は、はい」
「金貨」
(……き、金貨)
泥棒に払われた前金は、銀貨五枚だった。桁がちがう。こっちは本気だ。
「……う、うちの、草は」
私は、必死に声を出した。
「……まだ、薬に、なっていません」
「存じております」
セヴェルさんは、やわらかく言った。
「だからこそ、です」
「……え」
「ミミ殿。失礼を承知で申し上げます」
声が、ほんの少しだけ、近くなった。
「——あなたは、あの草を、まだ薬にできない。ちがいますか」
のどが、詰まった。
言い返せなかった。本当のことだったからだ。
三房の花と、八枚の葉と、二株の根。あれから何度もノートを開いて、何度も母の字を思い出して、そのたびに手が止まっている。量をまちがえれば、薬は毒に戻る。試す相手は、いない。
鍛冶屋のおじいさんは、杖をついて、まだ待っている。
「作れる者の手に渡れば、明日にでも薬になります」
セヴェルさんは、静かに続けた。
「あなたの手の中では、ただの毒のままだ。……どちらが、人のためになりましょうか」
(……ずるい)
言い方が、ずるい。
でも、まちがってはいない。それが、いちばん苦しかった。
私は、帽子のつばを、ぎゅっと握った。
握りながら、考えた。
お客さんが来たとき、私はいつも何をしている。 小窓の向こうの声に、必ず聞くことがある。熱はあるか。いつからか。ごはんは食べられるか。
どんなに急いでいても、どんなに相手がこわくても、それだけは、聞いてきた。
だから、今回も、聞けばいい。
*
「……一つだけ、聞いてもいいですか」
自分でも驚くくらい、声がはっきり出た。
「どうぞ」
「……その薬は、だれが飲むんですか」
店の中が、静かになった。
セヴェルさんは、すぐには答えなかった。
「……と、おっしゃいますと」
「……どこの、だれが、どんなふうに悪くて、何年くらい悪くて、ほかに何を飲んでいるのか」
私は、一つずつ言った。
「……それを聞かないと、量が決められません。……この草は、量をまちがえたら、人が死にます」
「それは、わたくしではなく、帝国の薬師が決めることです」
「……その薬師さんは、飲む人に、会いますか」
「…………」
「……会わない人の薬を、わたしは、出せません」
長い間があった。
やがて、セヴェルさんは、小さく息を吐いた。
「……お答えする義理は、ございません」
それだけだった。
私は、カウンターの上の布袋を、両手で押し返した。重かった。
「……お引き取りください」
*
セヴェルさんは、怒らなかった。
声を荒らげもしなかったし、ねばりもしなかった。袋をかばんにしまって、留め金をぱちんと閉じた。
「承知いたしました。無理を申しました」
「…………」
「宿は、大通りの『銀の錨』におります。十日ほど滞在いたします」
セヴェルさんは、一歩下がった。
「お気が変わりましたら、いつでも」
白い革の靴が、扉のほうへ向かう。
そして、扉に手をかけたところで、止まった。
「ああ、それと」
声の調子は、さっきまでと同じだった。おだやかで、ていねいだった。
「谷は、あなたのものではありませんからね」
鈴が鳴って、扉が閉まった。
「……なにあれ」
レインさんが、鼻にしわを寄せた。
「最後の、なに? 自分で採りに行くぞって言ってるんでしょ、あれ」
「……たぶん、そうです」
「むかつく!」
レインさんは、カウンターをばんばん叩いた。
私は、カーテンの内側で、しゃがみこんでいた。足が、やっと震えはじめたところだった。いつも、終わってからだ。
*
夕方、リナ先輩が来た。
いつもどおり、仕事帰りにふらりと顔を出して、いつもどおりお茶を出したら、レインさんが全部しゃべった。身ぶりつきで、三回くらい同じところを繰り返した。
リナ先輩は、最後まで聞いて、お茶を一口飲んで、それから言った。
「……おかしくない?」
「……なにがですか」
「その人、自分で採れるって言ったんでしょ」
リナ先輩は、カップを置いた。
「じゃあ、なんで最初に泥棒を雇ったの」
(……あ)
「採れるなら、雇う必要がない。谷が危ないって言っても、金はあるんだから、腕のいい人を雇えばいい」
リナ先輩は、指を折った。
「実際、雇ってるよね。五人。かごいっぱいに採ってきた」
「……は、はい」
「——で、あれ、偽物だった」
背中が、すうっと冷たくなった。
男たちは、谷まで行った。危ない谷を抜けて、たくさん採って、意気揚々と帰ってきた。
でも、持っていたのは、別の草だった。
本物は、崖の中腹にしか咲かない。見た目がよく似た草が、そばに生えている。見分けるには、風を待って、音を聞くしかない。
(……あの人たちは、見分けられなかった)
「ミミちゃん」
リナ先輩の声が、低くなった。
「あの人が欲しいのは、草じゃないよ」
「…………」
「——見分けられる人間が、欲しいんだ」
*
その夜、三人で夜ごはんを食べた。
ハンナさんが鍋を持ってきてくれて、話を聞いて、黙ってシチューをよそった。それから、おかわりを私の皿に勝手に入れた。
「食べな」
「……は、はい」
「あんたは、心配事があると食べないから」
レインさんは、屋根裏に上がる前に、はしごの途中で止まって、こっちを振り返った。
「ミミちゃん」
「……はい」
「あたし、しばらく寝るとき、短剣そばに置いとくね」
「……そ、そこまでは」
「する」
それだけ言って、上に消えた。
*
ベッドに入って、天井を見た。
上で、ごろんと音がする。
ノートに、今日のことを書いた。
『ガレア帝国。きょう、名前を 知った。海を わたった さきの 大きな国。
セヴェルという 人が 来た。やくしゅしょう。宿は「銀の錨」。十日。
金貨を 出された。ことわった。
「それは だれが 飲むんですか」と きいた。答えなかった。
——リナ先輩が 言った。あの人は 草では なく、見分けられる 人間が ほしいのだ、と。
わたしは、まだ あの草を 薬に できていない。それも ほんとうのこと。』
ペンを止めて、しばらく考えてから、最後に一行だけ足した。
『——いそいで 打った鉄は、折れる』




