第20話 鳴らない鈴
朝、裏口の扉が吹っ飛ぶ勢いで開いた。
「ミミちゃん大変! 行列! めっちゃ行列!」
レインさんが、息を切らして飛びこんできた。私はまだ寝巻きで、髪は爆発していて、手には歯みがき用の塩を持っていた。朝のいちばん無防備なところを見られた。
(……え、うちの店に行列? まだ開けてないのに?)
「ちがうちがう、うちじゃないの! あっち! きのうの、変な看板の店!」
*
着がえて帽子をかぶって、通りの角からこっそりのぞいた。
新しい店の前に、人がずらりと並んでいた。三十人はいる。お年寄りが多い。杖をついた人、家族に支えられた人、椅子を持ってきて座っている人。
店先には、きのうの看板。『死神の鈴 入荷 ——心ノ臓ニ効ク、幻ノ霊草』
その横で、でっぷりした男の人が、両手を広げて声を張り上げていた。指輪が三つ光っている。遠くからでも匂いがするくらい、香水をつけていた。
「さあさあ、お立ち会い! 戻らずの谷より、命がけで持ち帰りました、幻の霊草でございます! 息切れ、足のむくみ、夜眠れぬ胸の苦しさ——すべて、この一本で!」
(……い、言いきった。言いきっちゃだめなやつだ、それ)
「お一人さま、一本かぎり。銀貨五枚!」
(ぎ、銀貨五枚!?)
私のポーションは、一本が銅貨三枚だ。銀貨五枚だと、ざっと……考えるのをやめた。目の奥がちかちかした。
「あれ、ゼルマンって商人だって」
いつの間にか、隣にリナ先輩が立っていた。朝から情報が早い。
「三日前に、この街に来たばっかり。店は借り物。……で、ミミちゃん。並んでる人、よく見て」
言われて、行列の先頭を見た。
腰の曲がった、小さなおじいさん。杖をついて、足はぱんぱんにむくんでいる。手には、布の小袋を大事そうに握っていた。
(……か、鍛冶屋の、おじいさん)
うちに毎月来てくれる人だ。私が、まだ薬を作れていない人だ。
その小袋の口から、銀貨が見えていた。たぶん、ずっと貯めていたものだった。
(……だめ)
足が、勝手に動いた。
*
「……あ、あの」
声が、小さすぎて、誰にも届かなかった。人の背中と、腰と、杖ばかりが目の前にある。心臓が耳の中で鳴っていて、息の吸い方を忘れそうになる。
(むりむりむり。人、多い。多すぎる。全員うしろ向いてる。……でも、おじいさん、もう三番目)
私は、帽子のつばを両手でつかんで、思いきり引き下ろした。顔が見えなければ、少しだけ、できる。
「——その、くさ、にせものです!」
通りが、しん、となった。
三十人が、いっせいに振り返った。
(……あ)
(……やりすぎた)
逃げたい。今すぐ、店に帰って、作業台の下に入りたい。
でも、おじいさんが、こっちを見ていた。
「……おや。ミミちゃんかい」
ゼルマンさんが、ゆっくりと人をかき分けて出てきた。においが近づいてくる。
「おやおや、どちらのお嬢ちゃんかな。お母さんは?」
「……し、しんでます」
「おっと。これは失礼」
まるで失礼だと思っていない声だった。ゼルマンさんは、両手を広げて、お客さんたちのほうを向いた。
「皆さま、お聞きのとおりです。子どもというのは、何でも口にするものでしてねえ」
笑い声が、ぱらぱらと上がった。
(……う)
「わたくしの草は、王都の薬師様が目利きをなさった本物。そちらのお嬢ちゃんは、見たこともないでしょう」
「……み、みました」
「ほう?」
「……きのう。……たに、で」
ゼルマンさんの笑顔が、ほんの少しだけ固くなった。
「……谷で?」
「……は、はい。……わたし、きのう、きりのたに、いきました」
人垣が、ざわりと動いた。
レインさんが、私の横に飛び出してきた。
「あたしとリナさんも、きのう谷に行ったの! 帰り道で、この店の男の人たちとすれちがったよ。
五人いて、かごいっぱいに草を積んでた。——それ、素手で持ってたよね?」
「……素手?」
お客さんの一人が、首をかしげた。
リナ先輩が、人垣の外から、はっきりした声で言った。
「死神の鈴は、毒草です。葉にも花にも根にも毒がある。素手でさわって、その手で目をこすったら、それだけで大ごとになります」
リナ先輩は、ゼルマンさんを見た。
「あなたの店の人、素手で山ほど抱えてましたけど。……誰も、倒れてませんよね?」
(……せんぱい、強い)
ゼルマンさんは、ふん、と鼻を鳴らした。
「扱いに慣れておるのですよ。素人とはちがう」
そして、ちらりと私を見下ろした。
「——それで? 子どもが、何を根拠に偽物などと」
*
私は、かごから、布の包みを取り出した。
きのう採ってきた、本物。手袋をはめてから、そっと開く。
紫色の、釣り鐘の形をした花が、三房。
ゼルマンさんの店の束と、見た目はそっくりだった。並べたら、私だって一瞬まよう。
「……これ、ほんもの、です」
「ふむ。そっくりですな。それが何か?」
「……ふります」
「は?」
私は、茎を持って、ゆっくり振った。
りん。
りん、りん。
小さな、すず虫より細い音が、通りに落ちた。
人垣が、ざわっとなった。
「……今、鳴ったか?」
「鳴ったぞ。鈴みたいな音だ」
「だから、死神の鈴かい」
私は、ゼルマンさんの店の束を指さした。
「……それも、ふって、ください」
ゼルマンさんは、動かなかった。
「……くだらん。乾かせば、鳴らなくなるのですよ」
「……かわいて、ません」
私は言った。
「……まだ、みずみずしい、です。きのう、ぬいたばかり、です。……つちが、ついてます」
「振れよ」
人垣の後ろから、太い声が飛んだ。ガロンさんだった。斧をかついで、にやにやしている。
「振るだけだろ。減るもんじゃねえ」
「振ってみな!」
「おれも聞きてえ!」
声が重なって、だんだん大きくなった。ゼルマンさんの額に、汗が浮いた。
それでも、商人だった。
ゼルマンさんは、束を一つ手に取って、ばさりと振った。
——何も、鳴らなかった。
もう一度、強く振った。葉がこすれる、がさがさという音だけがした。
通りが、しん、とした。
「……こ、これは、個体差というもので」
「ゼルマンさん」
人垣を割って、ギルドの制服が出てきた。エマさんだった。帳面を抱えて、にっこり笑っている。笑っているのに、ぜんぜん笑っていなかった。
「お話の途中、失礼します。一つだけ、確認させてください」
「な、なんだね」
「毒草の取り扱いには、ギルドか、王国の許可が必要です。ご提示いただけますか」
「…………」
「死神の鈴は、登録されている毒草です。許可なく売れば、罰金と、商売の停止になります」
エマさんは、帳面をぱたんと閉じた。
「ですので、こうなります。——本物なら、無許可で毒草を売ったことになります。偽物なら、詐欺です」
(……に、にげみちが、ない)
「どちらでしょう?」
エマさんの声は、とてもやさしかった。
ゼルマンさんは、口をぱくぱくさせて、それから、後ろへ一歩下がった。
そして、走った。
「——逃げたぞ!」
「つかまえろ!」
でも、三歩で終わった。通りの角から出てきたライルさんに、襟首をつかまれたからだ。
「おはよう、ミミ。……朝から、えらい騒ぎだな」
「……ら、ライル、さん」
「衛兵、呼んであるから」
ライルさんは、ゼルマンさんをひょいと持ち上げたまま、あくびをした。
*
騒ぎが終わって、お客さんたちが帰りはじめた。
並んでいた人たちは、みんな、お金を財布に戻していた。
最後に残ったのが、鍛冶屋のおじいさんだった。
おじいさんは、布の小袋を握ったまま、私の前に立っていた。
「……ミミちゃん」
「……は、はい」
「あんたは、こういうのは、作れんのかね」
胸が、ぎゅっとなった。
言いたいことは、一つしかなかった。
「……い、いま、は……つくれません」
私は、帽子のつばをつかんだまま、頭を下げた。
「……ごめんなさい。……でも、つくります」
きのう採ってきた三房を、両手で包んだ。
「……つくりかた、わかってません。……ひとつ、まちがえたら、どくに、なります。……だから、じかん、かかります」
「どのくらいだね」
「……わかりません」
私は、正直に言った。
「……でも、できたら、いちばんに、もっていきます」
おじいさんは、しばらく黙っていた。
それから、小袋を、ぽんと帯にしまった。
「——待っとるよ」
おじいさんは、杖をこつんと鳴らした。
「わしは、あんたの母ちゃんの薬で、三十年生きとるんだ。娘の薬なら、いくらでも待てる」
*
その夜。
店の作業台に、はちみつの瓶を置いた。ガロンさんがくれたやつだ。
約束だった。帰ってきたら、甘いポーションを作ること。
レインさんは、椅子の上で、もう待ちきれないという顔をしていた。
「まだ? まだ?」
「……ま、まって、ください」
いつもの毒消しに、はちみつを溶かす。かき混ぜる。色は、やっぱり緑だった。
レインさんが、一口飲んだ。
目が、まんまるになった。
「……あまい! あまーい! ミミちゃん、これ、あまい!」
「……に、にがくない、ですか」
「にがいけど、あまい! にがあまい!」
リナ先輩が、横から一口もらって、顔をしかめた。
「……うん。にがい。でも、まあ、飲める」
それから、ふっと笑った。
「——前の世界の薬も、こうやってシロップを足してたよ。子どもが飲めないから」
(……あ)
「ミミちゃん、それ、売れるよ」
ノートに、今日のことを書いた。
『しにがみの すず。
かぜで、りん、と なる。にせものは ならない。
ゼルマン。にせものを 銀貨五まいで うっていた。つかまった。
かじやの おじいさん、まっててくれる。
——つくりかたは、まだ わからない。でも、まつと いってくれた。
あまい ポーション、できた。レインさん、三ばい のんだ』
ペンを置いて、ランプを見た。油は、まだ半分より上だった。
(……きょうは、よくやった、かな)
そう思ったら、急に、足が痛くなってきた。




