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魔法が使えない魔女見習い、前世の医学で薬屋を始めます  作者: ゆっきー
第2章 街の小さな薬屋

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第19話 霧の谷

 出発の朝は、よく晴れていた。


 ハンナさんが、店の前で、大きな包みを三つ押しつけてきた。パンと、チーズと、干した果物。


「谷に着く前に、ちゃんと食べるんだよ。腹が減ってると、足もとがふらつくんだからね」


「……は、はい」


「それと、ミミちゃん」


 ハンナさんは、私の帽子を、きゅっと深くかぶせ直した。


「こわくなったら、帰っておいで。草なんかより、あんたのほうが大事なんだから」


 *


 街の北門に、ガロンさんが立っていた。斧をかついで、にやにやしている。


「よう。俺も谷の入口まで送ってやるぜ」


「いらなーい」


 レインさんが、ばっさり切った。


「おじさん、足が重いもん。森の中だと、あたしたちの倍の時間かかるよ」


「……おい、エルフの嬢ちゃん。言い方ってもんがあるだろうが」


「ほんとのことじゃん」


「ほんとだから腹が立つんだよ」


 ガロンさんは、ぶつぶつ言いながら、私の帽子の上に大きな手をのせた。


「——嬢ちゃん。谷の底に降りるな、とは言わねえ。ただ、霧が濃くなったら、すぐ上がれ。あそこの霧は、生き物みてえに動く」


「……は、はい」


「それと、これ」


 ガロンさんが、私のかごに、小さな瓶を放りこんだ。はちみつだった。


「帰ったら甘いポーション作るんだろ。足りなかったら困るからな」


 レインさんが、両手を上げて跳ねた。


「おじさん、好き!」


「調子のいいやつだな」


 *


 森に入ると、空気が変わった。


 日の光が、葉の間からまだらに落ちてくる。足もとは苔で、歩くたびに、ふかりと沈む。


 レインさんが先を歩いて、ときどき立ち止まっては、耳をぴくぴくさせた。


「右のほう、水の音。……それと、ちょっと向こうに魔物。寝てるね。起こさないように、こっち」


「……よ、よくわかり、ますね」


「エルフだもん」


 リナ先輩が、後ろから私の荷物を半分持ってくれた。


「ミミちゃん、しんどくなったら言って。意地を張られるのが、いちばん困る」


「……は、はい」


「よろしい」


 昼をすぎたころ、木がまばらになって、地面が下りはじめた。


 そして、目の前が、白くなった。


 谷だった。


 向こう側の崖が、見えない。深さも、幅も、わからない。白い霧が、ゆっくりと渦を巻いて、下から上へ、上から下へと動いている。


 風はないのに、霧だけが動いていた。


「……うわ」


 リナ先輩が、小さくつぶやいた。


「……これ、方角わかんなくなるやつだ」


「あたし、わかるよ」


 レインさんが、腰のひもを一本取り出して、私の手首とつないだ。それから、もう一本をリナ先輩の手首に。


「はい、つながった。これで、はぐれない」


 *


 崖を、斜めに降りていく。足もとは岩で、ところどころ、ぬるりと滑った。


 降りるにつれて、霧の色が変わった。白から、うっすらと青へ。


 岩の表面が、ぼんやりと光っていた。


 月光苔だった。七話で、レインさんが採ってきてくれたもの。それが、この谷では、岩じゅうに生えていた。


「……い、いっぱい、ある……」


「でしょ。ここ、すごいんだよ」


 レインさんが得意げに胸を張った。


「でも、ここまで来る人がいないの。だから、誰も知らない」


 谷の底に近い、岩棚のところだった。


 リナ先輩が、足を止めた。


「……ミミちゃん。これ、見て」


 岩棚の苔が、ごっそりとはがれていた。人の足で、何度も踏まれた跡だった。


 その先に、土がえぐれた場所がある。何かを、根ごと引き抜いた跡。穴が、いくつも、いくつも並んでいた。


「……ほ、ほかの、ひとが……」


「来てるね。しかも、何人も」


 リナ先輩は、穴のふちを指でさわった。


「土が、まだ湿ってる。……今日か、昨日」


 胸の奥が、冷たくなった。


 ギルドに依頼を出して、七日間、誰も受けなかった。戻らずの谷だから。危ないから。


 それなのに、ここに人が来ている。


「……ミミちゃん、落ちこむのはあと」


 リナ先輩が、私の背中を軽く叩いた。


「残ってるかどうか、先に見よう」


 ——そのときだった。


 レインさんの耳が、ぴんと立った。


「止まって」


 声が、低かった。


 下の霧の中で、ごり、と音がした。石と石がこすれる音。それが、ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。


 霧の中に、影が浮かんだ。


 馬車くらいの大きさの、背の低いトカゲだった。皮膚が、岩そのものに見える。ごつごつして、灰色で、苔まで生えていた。


 イワハダオオトカゲ。


(……う、動けない)


 足が、石になったみたいだった。


 リナ先輩が、私の前に出て、剣を抜いた。でも、構えながら、小さく言った。


「——レインちゃん。あれ、斬れる?」


「むり。剣、折れるよ」


「だよね」


 リナ先輩は、あっさり剣を鞘に戻した。


「じゃあ、逃げよう」


 レインさんが、足もとの石を拾って、谷の奥へ思いきり投げた。


 かこん、と乾いた音が、霧の向こうで跳ねた。


 トカゲの頭が、ゆっくりとそちらを向く。そして、ごり、ごりと、音のしたほうへ歩いていった。


「……い、いまの……」


「目がよくないんだよ、あいつ。音でさがすの」


 レインさんは、ひもをくいと引いた。


「今のうち。上の岩棚、行こう」


 岩棚をひとつ上がったところで、私は、足を止めた。


 風が、谷を吹き上がってきた。


 ——そのとき、音がした。


 りん。


 小さな、小さな音だった。すず虫の声より細い。


「……いま」


「え、なに?」


「……おと、しませんでした、か」


 三人で、息をひそめた。


 もう一度、風が吹き上がる。


 りん、りん。


 崖の中腹に、それは咲いていた。


 紫色の、釣り鐘の形をした花。茎の先から、いくつも連なって垂れ下がっている。


 風が吹くたび、花と花がふれ合って、かすかに鳴っていた。


 母のノートの絵と、同じだった。


「……むらさき、つりがね……」


「鳴るんだ」


 リナ先輩が、ぽかんと口を開けた。


「……だから、鈴か」


 足場は、人ひとりがやっと立てるくらいの幅しかなかった。


 レインさんが、ひょいと先に立って、手を差し出してくれた。


「ミミちゃん、こっち。足、ここ置いて。ゆっくりでいいよ」


 私は、革の手袋をはめた。母のノートに、何度も書いてあった。さわった手で、目をこすってはいけない。


 花を三房。葉を八枚。根は二株だけ、土ごと。


 それ以上は、採らなかった。


「もっと採らなくていいの?」


「……か、かれちゃい、ます」


 私は、残った株に、そっと土を寄せた。


「……らいねんも、ここに、あってほしい、ので」


 布で包んで、かごの底に入れて、さらに布をかけた。


 その上に、月光苔を少しと、ふつうの薬草を重ねる。毒草だけを剥き出しで持ち歩くのが、こわかった。


「よし、帰ろう。日が暮れる前に、森を出たい」


 リナ先輩が、空を見上げた。


 霧の向こうで、日が、もう傾きはじめていた。


 *


 谷を上がりきって、森へ入ったところだった。


 向こうから、人が歩いてきた。


 五人。革の鎧を着た、大きな男の人たちだった。腰に剣を下げている。冒険者に見えたけれど、ギルドの記章はつけていなかった。


 先頭の男が、大きなかごを背負っていた。


 そのかごから、紫色の花が、あふれるほどはみ出していた。


 *


(……っ)


 私は、思わず、帽子のつばを引き下ろした。


 男たちは、私たちを見て、ちらりと笑った。


「おい見ろよ、子どもだ」


「こんなとこで、何してんだ。親はどうした」


 レインさんが、私の前に立った。


「……ミミちゃん、行こう」


 私は、うなずいた。


 でも、すれちがうとき、どうしても、かごを見てしまった。


 紫色の、釣り鐘の形をした花が、山のように積まれていた。根も、葉も、まとめて引き抜かれて、土がぼろぼろと落ちている。


 そして、男たちは、素手だった。


 男たちの足音が、遠ざかっていった。


 しばらく歩いてから、レインさんが、くるりと振り返った。


「ねえ、ミミちゃん」


「……は、はい」


「あの花、揺れてたよね」


「……は、はい」


 レインさんの耳が、ぴくりと動いた。


「——鳴ってなかった」


 私は、足を止めた。


 風は、さっきから、ずっと吹いていた。


 あのかごは、歩くたびに揺れていた。花と花が、何度もふれ合っていた。


 なのに。


 りん、とも、鳴らなかった。


「……せ、せんぱい」


「うん」


「……あれ……ちがう、くさ、です」


 森を抜けるころには、日が落ちかけていた。


 街の門の灯りが、遠くに小さく見えている。


 リナ先輩が、歩きながら、ぽつりと言った。


「……ミミちゃん。あの人たち、素手だったね」


「……は、はい」


「もし本物だったら、今ごろ、全員倒れてる」


 リナ先輩は、前を見たまま続けた。


「倒れてないってことは、やっぱり、別の草。……で、あの量」


「……は、はい」


「売る気だ」


 *


 街に入ったのは、夜だった。


 大通りの、ずっと先。店の明かりが、一軒だけ、ぽつんとついていた。


 前は空き家だったはずの場所だった。


 真新しい看板が、灯りに照らされている。


『死神の鈴 入荷 ——心ノ臓ニ効ク、幻ノ霊草』


 きれいな、整った字だった。

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