第14話 小さな薬屋の、小さな体
冒険者ギルドとの契約から、ひと月が過ぎた。
「ミミの くすりや」は、毎日、朝から晩まで、お客さんでいっぱいだった。
「ミミちゃん、熱冷ましをひとつ!」
「お嬢ちゃん、この前の貼り薬、またもらえるかい?」
「うちの子が転んで、ひざをすりむいちまって……」
小窓の向こうから、声が途切れることはなかった。
侯爵さまを救った薬師。
偽物を見抜かれた、がたがたの字の札。
ギルドが正式に契約した、毒消し。
噂が噂を呼んで、今では、となりの街からも、お客さんが来るようになっていた。
*
朝。
まだ空が暗いうちに、私は起きる。
裏の庭で、薬草に水をやる。
ギルドの冒険者さんたちが届けてくれた、森の奥の薬草を仕分ける。
乾かすもの。すぐに煎じるもの。すりつぶすもの。
店を開ける前に、その日の分の薬を作る。
昼。
カーテンの内側で、お客さんの声を聞く。
質問して、薬を選んで、札を確かめて、小窓から渡す。
その合間に、札を書く。
夕方。
店を閉めたら、ギルドに納める薬を作る。
毒消しと傷薬、合わせて十本。
分量をまちがえないように、一本ずつ、ていねいに。
夜。
新しいノートを開く。
その日に来たお客さんのこと。効いた薬。効かなかった薬。
思い出した、母のノートのページ。
気づくと、いつも、ランプの油が切れかけていた。
(……もう、こんな時間)
ベッドに入るのは、夜中を過ぎてから。
そして、また、まだ暗いうちに起きる。
*
「ミミちゃん、お昼ごはん、ちゃんと食べた?」
カーテンの外から、ハンナさんが声をかけてくれた。
「……あ、あとで……たべ、ます……」
「さっきも、そう言ってたじゃないか」
「……つぎの、おきゃくさん、が……まって、るので……」
ハンナさんが、困ったように、ため息をついた。
トマくんが届けてくれたパンは、カーテンの内側の小さな机の上で、すっかり冷たくなっていた。
*
そんな日が、何日も続いた。
ある朝、いつものように薬草を仕分けていたら、手がすべって、小瓶を一本、床に落とした。
ぱりん、と音がして、緑色の液体が床に広がる。
(……あ)
拾おうとして、しゃがみこんだとき、目の前が、ぐらりと揺れた。
(……?)
すぐに、もとに戻った。
(……きのう、ちょっと、ねるのが、おそかったから)
私は、床をふいて、新しい小瓶を作り直した。
その日、ペンを持つ手が、なんだかいつもより重かった。
*
——同じ頃。リンデルの街。
「ミミの くすりや」の前の行列に、一人の男がまぎれこんでいた。
茶色の地味な外套に、目深にかぶった帽子。
どこにでもいる、旅の商人のような格好。
でも、その背筋は、まっすぐに伸びすぎていた。
第二王子の側近、クラウス。
(殿下のお言いつけとはいえ……王城の人間が、街の薬屋の行列に並ぶことになるとはな)
クラウスは、行列に並びながら、まわりの人々の話に耳をすませていた。
「ミミちゃんの薬は、ほんとうによく効くよ」
「顔は一度も見たことないんだけどね。カーテンの向こうから、ちっちゃい声で、ちゃんと話を聞いてくれるんだ」
「この前、うちの子が夜中に熱を出したときも、次の朝いちばんに来たら、すぐに薬を出してくれてさ」
「侯爵さまの後ろ盾だっていうけど、ちっとも偉ぶらないんだよねえ」
(……ずいぶんと、民に慕われているようだ)
クラウスは、手帳に小さく書きこんだ。
やがて、クラウスの番が来た。
「次の方、どうぞー!」
とがった耳のエルフの少女に案内されて、クラウスはカウンターの前に立った。
カーテンのかかった、小さな窓。
その向こうから、かすれた、小さな声がした。
「……い、いらっしゃい、ませ……。ど、どこが……わるい、ですか……?」
(……これが)
クラウスは、少しだけ目を見開いた。
本当に、幼い子どもの声だった。
でも、その声は、ひどく、疲れているように聞こえた。
「……少し、胃の具合が悪くてね」
「……い、いつ、から……ですか……? ごはんの、まえ……あと……? いたい、ばしょは……」
小さな声で、一つずつ、ていねいに質問が続く。
クラウスは、思いつくままに答えた。
小窓から、小瓶が一本、差し出された。
「……い、い、の……くすり……です……。ごはんの、あとに……」
そこで、声が、ふっと途切れた。
「……?」
カーテンの向こうで、何かが、ことん、と倒れる音がした。
「ミミちゃん?」
エルフの少女が、カーテンをめくった。
次の瞬間、店の中に、悲鳴が響いた。
「ミミちゃん!! ミミちゃん、しっかりして!!」
*
——気がつくと、天井が見えた。
見慣れた、新しい家の天井。
薬草を吊るすための、横木。
(……あれ……?)
体が、重い。
頭が、ぼーっとする。
「ミミちゃん! 気がついた!?」
レインさんの顔が、すぐ目の前にあった。
目が、真っ赤だった。
「……れいん、さん……? おみせ……」
「お店なんか、どうでもいいの!!」
レインさんの声が、ひっくり返った。
「ミミちゃん、カーテンの中で、ばったり倒れたんだよ!? 呼んでも、全然起きなくて……っ」
レインさんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
(……たおれた……? わたしが……?)
「目が覚めたのね」
落ち着いた声がして、白いローブの人が、ベッドの横の椅子に座った。
セレナさんだった。
「レインちゃんが、騎士学校まで走ってきてくれたのよ」
セレナさんは、私の手首にそっと指を当てて、脈をみた。
それから、額に手を当てる。
「熱は、少し。脈は、速くて弱い。唇も、からからに乾いてる」
セレナさんは、静かに私を見た。
「ミミちゃん。最後に、ちゃんとご飯を食べたのは、いつ?」
「……え、っと……」
思い出せなかった。
「最後に、ちゃんと眠ったのは?」
「…………」
答えられなかった。
セレナさんは、ふう、と小さく息をついた。
「病気じゃないわ。……働きすぎよ」
(……はたらき、すぎ)
「まだ五歳の体なのよ。大人だって、こんな毎日を続けたら倒れるわ」
セレナさんの声は、怒っているわけじゃなかった。
でも、ちくりと、胸に刺さった。
*
セレナさんが、ぬるいお湯に、塩と蜂蜜を少しだけ溶かしたものを、木のさじで少しずつ飲ませてくれた。
「ゆっくりでいいわ。少しずつ」
口の中に、ほんのりと甘くて、しょっぱい味が広がる。
(……あ)
知っている。
これは、体の水分が足りなくなったときに、飲ませるもの。
私だって、知っていたはずのこと。
(お客さんには、『おみず、たくさん、のんで』って、いつも言ってたのに)
(『ちゃんと、ねて』って、言ってたのに)
自分は、何もしていなかった。
ふと、遠い記憶がよみがえった。
積み上げた参考書。
とっくに冷めたコーヒー。
何日も、まともに眠っていなかった夜。
胸が、ぎゅっと締めつけられて。
視界が、暗くなって。
(……おなじ、だ)
前の人生で、私は、無理をしすぎて、倒れた。
そして、そのまま、目を覚まさなかった。
今度は、目を覚ました。
でも、もし。
(……わたし、また、おなじこと、してた……)
ぽろぽろと、涙がこぼれた。
「ミミちゃん? どこか、苦しい?」
セレナさんが、のぞきこんだ。
私は、首を横に振った。
「……ご、ごめん、なさい……」
誰に謝っているのか、自分でもわからなかった。
セレナさんに。
レインさんに。
店に来てくれたお客さんたちに。
それから——
前の人生で、無理をして倒れた、自分に。
*
次の日。
目を覚ますと、ベッドのまわりに、人がたくさんいた。
ハンナさん。レインさん。
ライルさん。トマくん。
セレナさん。
そして、ギルドのエマさんまで。
(……ひっ)
思わず、毛布を頭までかぶった。
「ミミちゃん、そのままでいいから、聞いておくれ」
ハンナさんの声が、毛布ごしに聞こえた。
「みんなで、話し合ったんだよ。これからの、お店のこと」
毛布のすきまから、そっとのぞく。
ハンナさんが、一枚の紙を広げていた。
がたがたじゃない、大人の字で、こう書いてあった。
『ミミの くすりや やくそく
一、おみせは、ひるから ゆうがたまで。
二、七日に一ども、おやすみの ひを つくる。
三、ごはんは、みんなと いっしょに たべる。
四、よるは、ランプの あぶらが はんぶんに なったら ねる。
五、つかれたら、すぐに いう。』
「全部、ひらがなにしといたよ。ミミちゃんの札に合わせてね」
ハンナさんが、にっこり笑った。
「一つ目と二つ目は、お店に貼り出しておくからね。お客さんにも、ちゃんとわかってもらわないと」
「三つ目は、あたしが見張るよ。毎日、ご飯を作りに来るからね」
「四つ目は、俺が見張る」
ライルさんが、腕を組んだ。
「夜、騎士学校の帰りに、窓の明かりを見に来るからな。ランプがついてたら、扉を叩くぞ」
(そ、そんな……)
「ギルドの納品も、しばらくお休みにしましょう」
エマさんが、やさしく言った。
「冒険者のみなさんには、わたしから説明しておきます。……それに、ガロンさんが『ミミが倒れたなら、俺らが毒にやられないように気をつけりゃいいだけだ』って、みんなに怒鳴ってましたから」
(が、がろんさん……)
「五つ目は」
レインさんが、ベッドのふちに、ぽすんと座った。
「あたしと、約束!」
レインさんは、小指を差し出した。
「つかれたら、すぐに言うこと。ミミちゃん、我慢しすぎ! ミミちゃんが倒れたら、あたし、泣いちゃうんだからね!」
もう、泣いてるのに。
私は、毛布の中から、そっと手を出した。
小さな小指と、小さな小指が、からまった。
「……や、やくそく……します……」
毛布の中で、私は、もう一度、泣いた。
でも、さっきとは、ちがう涙だった。
*
三日後。
「ミミの くすりや」の扉に、大きな貼り紙が出された。
『おしらせ おみせは、ひるから ゆうがたまで です。
七日に一ど、おやすみの ひが あります。
ミミが げんきで いられるように、ごきょうりょく ください。』
店の前を通りかかった人たちが、貼り紙を読んで、うなずき合った。
「そりゃあそうだ。まだ五歳なんだもんなあ」
「倒れたって聞いたときは、心臓が止まるかと思ったよ」
「うちらが無理させちまったのかもねえ」
「休みの日は、そっとしといてやろう」
*
——リンデル王城。民政局の執務室。
「……以上が、薬師ミミについての報告です」
クラウスが、手帳を閉じた。
第二王子は、窓辺に立ったまま、黙って報告を聞いていた。
「民に、深く慕われております。顔も見せず、声も小さく、ひどく人見知りでありながら、一人ひとりの話を、それはていねいに聞いておりました」
「そして、倒れた、と」
「は。働きすぎによるものだそうです。……ですが、翌日には、街の者たちが集まって、店の決まりごとを作っておりました」
クラウスは、少しだけ口元をゆるめた。
「店の扉に、『ミミが げんきで いられるように、ごきょうりょく ください』と、貼り紙がしてありました。……街の者たちは、皆、それを守っているようです」
王子は、しばらく何も言わなかった。
それから、ふっと笑った。
「王城の命令よりも、よほど、よく守られていそうだな」
「……は」
「クラウス。その薬師が元気になったら、教えてくれ」
王子は、窓の外の、夕暮れの街を見下ろした。
「やはり、一度、この目で確かめたい。……王子としてではなく、ただの、一人の客としてな」




