第13話 届く声、広がる名前
——ヴァルデマー侯爵家。書斎。
「……もう一度、言ってみろ」
ヴァルデマー侯爵の低い声に、執事は背筋を伸ばした。
「は。街の薬屋ドルフが、ミミ殿の名をかたった偽物の薬を、何か月にもわたって売っていたとのことです。先日、ミミ殿の店の開店日に、客たちの前で露見いたしました」
「偽物、だと」
「ミミ殿の札をまね、『ミミの薬』と書いた札をつけて……。ただ、字があまりにきれいすぎたため、すぐに見抜かれたそうで」
侯爵の手の中で、グラスが、みしりと鳴った。
中身は、水だった。
「……あの娘は、わしの後ろ盾のもとにある。その名をかたって、民をだましたということは」
侯爵は、グラスを机に置くと、ペンを取った。
「わしの顔に、泥を塗ったも同然だ」
ペン先が、紙の上を走る。
『リンデル王城、民政をつかさどる方へ。
街の薬屋ドルフなる者、ヴァルデマー侯爵家の後ろ盾にある薬師ミミの名をかたり、偽りの薬を売りて民をあざむきたり。
以前にも、同じ薬師の薬を水で薄めて売りしことあり。
かかる者に、商いを続けさせるべからず。
速やかに、商人の資格を取り上げられたし。
ヴァルデマー』
侯爵は、封蝋に紋章を押しつけると、執事に差し出した。
「王城へ。今日のうちにだ」
「かしこまりました」
執事が出ていったあと、侯爵は、窓の外を見下ろした。
右足の親指のつけ根が、少しだけ、うずいた。
「……ふん。酒を減らしてから、痛む日が減ったわ」
誰に言うでもなく、侯爵はつぶやいた。
*
「ミミの くすりや」を開けてから、十日が過ぎた。
あいかわらず、私はカーテンの内側にいる。
でも、少しだけ、慣れてきた。
朝、店を開ける前に、ハンナさんとレインさんが来てくれる。
お昼には、トマくんがパンを届けてくれる。
夕方になると、たまに、ライルさんが様子を見に来てくれる。
小窓の向こうから聞こえる声にも、少しずつ、知っている声が増えてきた。
「ミミちゃん、この前の咳の薬、よく効いたよ」
「お嬢ちゃん、またとげが刺さっちまった」
顔は、まだ見られない。
でも、声で、わかるようになってきた。
*
その日の昼すぎ。
「次の方、どうぞー!」
レインさんの声のあとに、小窓の向こうで、聞き覚えのある、落ち着いた声がした。
「こんにちは、ミミちゃん」
(……あ)
この声は。
「……せ、せれな、さん……?」
「覚えていてくれたのね。うれしいわ」
小窓の下から、白いローブの袖が見えた。
セレナさん。
騎士学校の治癒師の先生。
小麦粉の事件のとき、私を助けてくれた人。
「今日は、お客として来たのよ。……ポーションを、一本、いただけるかしら」
「……ど、どれ……ですか……?」
「傷薬を。あなたが、ライルの肩に使った薬と、同じものを」
私は、棚から傷薬の小瓶を一本取って、札を確かめてから、小窓から差し出した。
セレナさんの白い手が、小瓶をそっと受け取る。
カウンターの上に、銅貨が置かれた。
——ふつうのお客さんよりも、少し多めに。
「あ、あの……お、おつり……」
「いいのよ。それは、お願いの分」
(……おねがい?)
「ミミちゃん。このポーションを、少しだけ、調べさせてもらってもいいかしら」
セレナさんの声は、やさしかった。
でも、ほんの少しだけ、真剣な響きがあった。
「ライルの肩を診たとき、不思議に思ったの。治癒魔法の跡が、まったくなかった。それなのに、傷はきれいにふさがりかけていた」
「ギルベルトの足もそう。冒険者のガロンの毒も、そう」
「このポーションには、魔力が、ひとしずくも入っていない。なのに、ちゃんと効く」
小窓の向こうで、セレナさんが、小瓶を光にかざす気配がした。
「わたしは、それが知りたいの。どうして、魔力なしで効くのか。……もしそれがわかれば、魔法が使えない人でも、薬で人を助けられるようになるかもしれない」
(……魔法が、使えない人でも)
どきん、と胸が鳴った。
私のことだ。
魔法が使えない、私のことだ。
「もちろん、あなたがいやなら、やめるわ。あなたのお母さまから受け継いだ、大切な薬だものね」
私は、カーテンの内側で、しばらく考えた。
母のノートは、もうない。
私の頭の中と、新しいノートの中にしか、ない。
もし、私に何かあったら。
今度こそ、全部、消えてしまう。
でも、もし、セレナさんみたいな人が、知っていてくれたら。
(……おかあさんの薬が、残る)
「……ど、どうぞ……」
私は、小窓の向こうに、小さな声で言った。
「……し、しらべて、ください……。わ、わかったこと……お、おしえて、ください……」
小窓の向こうで、セレナさんが、ふっと笑う気配がした。
「ありがとう。約束するわ」
それから、セレナさんは、少しだけ声をひそめた。
「それとね、ミミちゃん。……このポーション、とっても不味いって、ライルから聞いたのだけれど」
(……う)
「研究の第一歩として、まずは、わたしも飲んでみるわね」
(せ、せれなさん……!)
小窓の向こうで、小瓶の栓が、ぽん、と抜ける音がした。
少しの間。
「——っ……!」
小窓の向こうから、声にならない声が聞こえた。
「……なる、ほど……。これは……草と……土、ね……」
レインさんが、店の隅で、お腹を抱えて笑っていた。
*
セレナさんが帰ってから、少しして。
「失礼しまーす! こちら、『ミミの くすりや』で、合ってますかー?」
明るい、はきはきした女の人の声が、小窓の向こうから聞こえた。
「冒険者ギルドの、エマと申します! ギルドの受付をしております!」
(ぼ、ぼうけんしゃ、ぎるど……?)
レインさんが、ぱっと顔を明るくした。
「あっ、エマさん!」
「あら、レインちゃん。やっぱりここにいたのね」
小窓の下から、ギルドの紋章が入った、青い制服の袖が見えた。
そして、その後ろに、もう一つの大きな影。
「……よう」
ぶっきらぼうな声。
ガロンさんだった。
「荷物持ちだ。……ギルドの用事でな」
エマさんが、小窓の前に、一枚の紙を置いた。
「本日は、ギルドとして、正式に、薬のご依頼にまいりました!」
(せ、せいしき……?)
「最近、ミドリキバトカゲをはじめ、毒を持つ魔物の討伐依頼が増えておりまして。冒険者のみなさんの間で、ミミさんの毒消しがあれば安心だと、評判なんです」
エマさんは、ちらりとガロンさんを見た。
「特に、こちらのガロンさんが、ギルドで毎日のように宣伝してくださいまして」
「し、してねえよ! ちょっと言っただけだ!」
ガロンさんの声が、ひっくり返った。
レインさんが、また笑いをこらえている。
「そこで、ご相談なんですけれど」
エマさんは、紙を指でとんとんと叩いた。
「毎週、毒消しを三十本、傷薬を三十本。ギルドに納めていただけないでしょうか」
(さ、さんじゅっぽん……!? まいしゅう……!?)
頭の中が、ぐるぐると回り始めた。
今の私に作れるのは、一日に、せいぜい数本。
材料の薬草だって、裏の小さな庭と、レインさんが採ってきてくれる分しかない。
それに、急いでたくさん作ったら、きっと、雑になる。
分量をまちがえたら、効かないどころか、体に悪いことだってある。
「……む、むり……です……」
声が、ふるえた。
「さ、さんじゅっぽんは……つ、つくれ、ません……。ざいりょうも、たりない、し……い、いそいで、つくったら……ちゃんと、した、くすりに、ならない……」
エマさんが、少しだけ黙った。
(……おこられる、かな)
でも、小窓の向こうから聞こえてきたのは、感心したような声だった。
「……ちゃんと、断るんですね」
「え……?」
「お金になるからって、何でも引き受ける薬屋さんは、たくさんいるんです。でも、そういうところの薬は、たいてい、質が落ちる」
エマさんの声が、少しやわらかくなった。
「できる分だけで、かまいません。何本なら、作れますか?」
私は、指を折って、一生けんめい考えた。
「……ど、どくけしと、きずぐすり……あわせて……い、いっしゅうかんに……じゅっぽん、なら……」
「十本ですね。承知しました!」
エマさんは、紙にさらさらと書きこんだ。
「それと、材料の薬草のことなんですけど」
エマさんは、ぽんと手を打った。
「ギルドで、『ミミの くすりや』のための薬草採取の依頼を出しましょう! 森の奥の薬草を、冒険者のみなさんに採ってきてもらうんです。そうすれば、材料が足りないという問題も、少しは解決しますよね?」
(……!)
「はいはーい! あたし、その依頼、全部受けるー!」
レインさんが、元気よく手を挙げた。
「……まあ、俺も、たまになら受けてやってもいい」
ガロンさんが、そっぽを向いたまま、ぼそっと言った。
小窓の向こうで、エマさんがくすくすと笑った。
「では、これで契約成立ですね! ミミさん、これからどうぞ、よろしくお願いいたします!」
カウンターの上に、ギルドの紋章が押された契約書が置かれた。
私は、カーテンの内側から、そっと手を伸ばして、その紙を受け取った。
『冒険者ギルド リンデル支部 薬品納入契約 納入者:ミミの くすりや 店主 ミミ』
(……てんしゅ)
店主。 私の名前の横に、そう書いてあった。
「……よ、よろしく……おねがい、します……」
カーテンの内側で、私は、小さく頭を下げた。
誰にも見えないけれど、ちゃんと、深く。
*
——その日の夕方。リンデルの街、ドルフ薬店。
店の扉には、大きな紙が一枚、貼り出されていた。
『告。 薬商ドルフ。他の薬師の名をかたり、偽りの薬を売りて民をあざむきし罪により、本日をもって、商人の資格を取り消す。 ——リンデル王城 民政局』
店の前を通りかかった人たちが、足を止めて、その紙を読んでいく。
「あーあ。とうとう、店を閉めることになったか」
「ミミちゃんの名前を使ったのが、運の尽きだね」
「侯爵さまが、直々に王城へ書状を出したらしいよ」
閉ざされた扉の内側で、ドルフは、空っぽになった棚の前に、ぼんやりと座りこんでいた。
何十年も続けてきた、店。
その棚には、もう、一本の薬も並んでいなかった。
*
——リンデル王城。民政局の執務室。
夕日の差しこむ広い部屋で、一人の青年が、書状に目を落としていた。
年は、二十歳くらいだろうか。
淡い金色の髪を、首の後ろで一つに結んでいる。
仕立てのいい、けれど飾りの少ない服。
机の上には、たくさんの書類が積まれていた。
この国の第二王子。
街の商いや、民の暮らしを見守る役目を、父である国王から任されている。
「……ヴァルデマー侯爵が、薬屋一人のために、わざわざ書状を、か」
王子は、侯爵からの書状を、もう一度読み返した。
ドルフの資格を取り上げる手続きは、もう済ませた。
あとは、この書状を片づけるだけ——
なのに、王子の手は、書状を置こうとしなかった。
その目は、書状の中の、一つの言葉に止まっていた。
『薬師ミミ』
「……殿下?」
そばに控えていた側近が、声をかけた。
「その薬師ミミという者について、少し調べておいてくれないか」
「は。……と、申しますと」
王子は、机の引き出しから、もう一通の報告書を取り出した。
少し前に、騎士団から上がってきたものだ。
ヴァルデマー侯爵の暗殺未遂事件。
そして、その毒が、ただの小麦粉にすり替えられていたこと。
「侯爵の命を、小麦粉で救った娘がいる」
王子は、二通の書状を、机の上に並べた。
「その娘は、魔法を使わずに、傷を治し、毒を消すそうだ。……しかも、年は、五歳だという」
「ご、五歳……でございますか」
「ああ」
王子は、窓の外に目を向けた。
夕焼けに染まった、リンデルの街並み。
その中の、どこかの小さな通りに、その薬屋はある。
「魔法を使わずに、人を救う薬師、か」
王子の口元に、ほんの少しだけ、笑みが浮かんだ。
「……一度、会ってみたいものだな」




