第三話 七歳下の男爵令嬢
マルタ渾身のおめかしで着飾ったアルノーが、大人たちの間をすり抜けて走り出した。
レオンハルトはネクタイを締められている最中で、すぐに追うことができなかった。マティアスが後を追ったのを確認し、ほっと息を吐く。
ジャケットを羽織り、応接室へ向かった。
「レオンハルトだ、よろしく」
「イザベル・ハリソンと申します」
リチャードの紹介を受け、目の前の令嬢に手を差し出した。
遠慮がちに差し出された手を握り、着席を促す。
話の通り、ブルネットで色白の美しい女性だった。
美人を前に気後れする者は多いが、美人が嫌いな男は少数派だろう。レオンハルトもその点は多数派だった。
嬉しい誤算ではあるが、それだけで諸手を上げて妻にするつもりはない。美しいだけの妻ならエレノラで十分だ。
求める条件は家を切り盛りでき、領地運営に明るく、家族を大事にできる人かどうかだ。
腰を下ろすと、隣ではアルノーがソファによじ登ろうとしている。手助けしてやるとご機嫌な笑顔で見上げてくれた。
「若いお嬢さんに子持ちのおっさんを紹介されて戸惑っているんじゃないかな。っと、失礼。言葉がくだけすぎたか」
「いえ、そんな」
「アルノーが会いたいといって聞かなくてな。同席を許してほしい」
「もちろん、光栄です」
そう答えたイザベルは、アルノーに向かってにっこりと優しい笑みを向けた。アルノーも三歳ながら美人には目がない男らしく、笑顔を振りまいている。
「さっそくだがいくつか聞いておきたい。イザベル嬢はご実家で男爵の補佐をしていたと聞いたが、主な担当は?」
気を引き締めてイザベルと向き合う。
大事なのは領地運営に明るく、家族思いかどうか。心の中でそう言い聞かせる。
「一通り学びましたが、主に会計です。資産管理と予算の最適化などを任されておりました。領主夫人としての仕事も、母からは教わっています」
さすがにリチャードのお墨付きだ。受け答えも淀みがない。
年の離れた弟妹がいて、子どもの相手にも慣れているという。
レオンハルトの記憶があるとはいえ、高橋としては貴族の子どもの教育には明るくない。
イザベルは結婚すればアルノーの母親になる女性だ。少しでも厭うような素振りがあればこの話を進めることはできないと思い、確認の意味を込めて聞いてみた。
「ではアルノーの教育方針についても相談できるかな」
「私の知っている範囲であれば、何なりと」
レオンハルトはうんうんとうなずきつつ、手帳に申し分なし、とだけ書いた。そしてパタン、と音を立てて手帳を閉じるなりリチャードに視線を飛ばした。
「リチャード、こんな逸材がなぜ残っているんだ。ここいらの男は節穴ばかりなのか」
率直な感想だ。
美しく、気立てが良い。仕事もできて、それを鼻にかけるでもなく控えめで謙虚。
彼女と婚約しておきながら不貞を働いたという、名前も顔も知らない男に無性に腹が立ってくる。
「さあ。神の思し召しとしか」
「はっ。神に感謝する日が来るとはね」
リチャードのとぼけた返事に頭を掻き、居住まいを正した。友人を前に少し照れくさいので、それをごまかしたくて咳払いをする。イザベルは少し緊張したのか背筋を伸ばした。
「きみのほうは、気になることとか、何か聞いておきたいことはあるか?」
「……はい?」
若い彼女を子持ちのバツイチおっさんが妻にしていいのかという葛藤はある。だが、ヴァルデン家としては絶対に逃したくはない人材だ。
「あ、すまん。先に言っておくが、俺はあまり、というかまったく社交が得意ではない。パーティーとかは義務でない以上は出る気はないし、家での開催もできるだけ最小限にしてほしい。ケチ臭いと思うかもしれないが、今はまだ領地を立て直すほうに時間も予算も割きたいんだ」
できないことはできないと、先に伝えておく。それが誠意だろう。それで断られるなら仕方ない。残念だが別の人を探すだけだ。
「あの、私も家で仕事をすることが多かったのでドレスや装飾品も流行には疎いですし、物欲は少ない方です。社交は得意なほうではありませんが、必要があればしっかり務めます」
そんな返事を聞いて、ついホッとしてしまった。
「妹たちや親しい方を呼んでのたまのお茶会はお許しいただけますか」
「それはもちろん」
そんなことでよければいくらでも。そう言いたいが言えない自分とヴァルデン家の懐事情が歯がゆかった。
「ぼくも、イザベルとおちゃかい、するっ」
レオンハルトのもどかしさを払拭するように、アルノーが元気よく手をあげた。
「ええ、楽しみですね」
イザベルが白い歯を見せて笑った。
美人だが笑顔は可愛い系なんだな、とレオンハルトは考えていた。
「お二人さん、肝心なことを忘れていないかい」
「なんだよ、リック」
「今のレオの話し方じゃまるで共同経営者の面接だ」
「夫婦ってのはそういうものじゃないのか」
「そういう面ももちろんあるが、大切なのはおまえたち二人の相性だよ」
リチャードは呆れたようにため息をついた。
いったい何を言い出す気かと、レオンハルトは身構えた。
「アルノーに弟や妹を作るのかどうか、とかも含めてね」
「なっ……セクハラっていうんだぞ、それは」
「せく、……なんだって?」
夫婦になるなら確かにリチャードの言葉は間違っていないのかもしれない。だけどこれは通常のお見合いではない。共同経営者という指摘はむしろピッタリだ。
しかも未婚の若い女性にズケズケと、子どもを作るかどうかだなんて配慮がなさすぎる。
「そういうのは夫婦二人で話し合うもんだ。いくら仲介人といえど、口出しは無用だ」
「大切だと思うんだけどな」
「それは今後、必要があればイザベル嬢と二人で話す。おまえに聞かせる義理はない」
これ以上一緒にいさせると、まだまだ遠慮のない言葉を吐き出しそうだ。気安い関係なのかもしれないが、線引きは重要だ。
何か方法はないか、レオンハルトは頭を巡らせる。
「イザベル嬢、リックは放っておいて、少しいいだろうか」
「それなら私はマティアスにでも会って備蓄の追加支援について話をしてこよう」
「ああ、よろしく頼む」
察しがいいのは相変わらずで、リチャードは応接室を出ていった。
レオンハルトはアルノーを連れ、イザベルをとある部屋に案内した。
ここはつい最近、元妻が残した家具たちを移動させた部屋だ。窓の外には小さな庭園があって、キンモクセイが咲いている。
「ここの家具をどうしようか、途方に暮れているんだ」
「家具、ですか」
困惑するイザベルに、レオンハルトは家具を覆う白布を外してみせた。
バロック時代を思わせる重厚で威厳たっぷりのソファだ。
「まあ、とても素晴らしい装飾ですね。金彩や象嵌も」
「ソファにテーブル、キャビネット、鏡台なんかもあるが、これをどうにかしたい」
「どうにか、ですか。これらはいったい」
「エレノラ……元妻だが、彼女が王都の職人に作らせたものだ」
「そうでしたか」
「素晴らしいものとは思うが華美すぎる気もするし、もうすでに同じ用途の家具は十分にある。誰を招くでもない部屋には不相応だし、できれば橋の修繕に回せるように金に換えたいんだ」
言いながら、湯水のように金を使っていた元妻に対する、そしてそれを一度も止められなかった昔の自分に対するもやもやとした気持ちが蘇ってしまう。
イザベルは口元に手をやって、考えを巡らせているようだ。
「……。では骨董商か美術商を呼んでみてはいかがでしょうか」
「骨董商?」
「おっしゃる通り素晴らしい家具ですし、ある程度の金額で買い取ってもらえるかもしれません。他にも美術品や銀器などもあればオークションという方法もありますが、それだと費用も日数もかかりますし」
リサイクルショップのようなものがないかとは思ったが、縁がなさ過ぎて、骨董屋とは考えが及ばなかった。
ふと気づくとアルノーが白い布で遊ぼうとしているのが目に入り、慌てて抱き上げる。
「なるほど、そういう方法もあるのか。懇意にしている骨董商はいるのか、イザベル嬢」
「いいえ。ですが、学生時代の友人に詳しい子がいますので、聞いてみます」
「そうか。助かるよ」
「たすかるぅ」
アルノーはレオンハルトの語尾を真似て笑った。機嫌のいいアルノーを前に、レオンハルトもつられて笑う。
数日悩んだ家具の処分についてサラッと解決策を提示され、マティアスと二人、何をしていたんだと情けなくなる。
そして余計に思うのだ。
「俺としてはきみのような人材は一日も早く来て欲しいよ」
素直にイザベルに告げると、アルノーが
「おもってる」
と真面目な顔で続けた。
「おまえはまったく、まだ小さいくせに美人に目がないな」
アルノーが笑う動きに合わせて柔らかい髪が踊っている。レオンハルトは片手でそれを優しく撫でつけた。
イザベルが隣で耳まで赤くしていたことなど、何も気づいていなかった。
◇◇◇
「アルノー、今日はイザベル嬢の家族に挨拶に行く。失礼があってはいかんぞ」
「いかんぞぉ」
アルノーの目線までしゃがんで肩を抱きながら伝えたが、理解しているのかいないのか、本日もご機嫌なふうで答えが返ってきた。
それを優しいまなざしで眺めているのはメレルズ夫妻だ。男爵家に同行するために来てくれている。
「マーガレットは足を怪我しているの」
そう教えてくれたのは子爵夫人のクララだ。男爵夫人のマーガレットとは学生時代からの友人関係だという。
怪我が治るのを待つほうがいいのかもしれないが、できれば優秀な人材は早めに確保したい。
それに結婚の挨拶をするのに相手を呼びつけるのはいかがなものか。
以前のレオンハルトならこんな考えにはならず、夫人の怪我が治るまで待ち、あげく男爵家が来るのを待っていたかもしれない。高橋としての価値観ではありえない。
約束の時間の五分前には着いておきたいレオンハルトの一存で、一同は揃って出発した。
「ハリソン男爵、本日はお時間をいただきありがとうございます」
「ご丁寧にどうも、ヴァルデン卿。狭いところですが、どうぞ」
男爵直々の出迎えに握手を交わす。隣に控えるイザベルに軽く会釈し、アルノーも紳士らしく挨拶を済ませた。
「イザベル嬢、先日きみの友人経由で紹介してもらった骨董商とさっそく商談に入ったよ。急がせてくれたんだろう、恩に着る」
「おんにきるっ」
レオンハルトの言葉に、アルノーが続く。
「いえ、ふふっ。お役に立てて何よりです」
イザベルはアルノーに好意的で、今日も笑顔を見せてくれている。
マルタがアルノーの可愛さを引き立てる服を選んでくれたおかげかもしれない。アルノーも嬉しそうだ。
「イザベル、どうぞ」
小さな手を差し出し、エスコートを申し出ている。
レオンハルトは男爵と並び先行し、後ろをちらちらと様子見しながらも、案内された応接室に足を踏み入れた。
家族全員が揃っているらしく、レオンハルトの姿を認め、サッと立ち上がった。
男爵か、それともイザベルの教育か。どちらにせよ好ましい対応だ。
「座ったままでごめんなさいね」
男爵夫人が申し訳なさそうに言うのを、レオンハルトは膝をついて視線を合わせた。
「どうかお気になさらず。お加減はいかがですか、ハリソン夫人」
イザベルや弟妹達がその姿に驚いた顔をしたが、レオンハルトとしてはそうするのが当然なので、無意識の行動でもあった。
ハリソン一家の紹介を受けてテーブルに着くと、リチャードが口火を切った。
「さっそくだけど、レオンハルトの意向は伝わっているね」
ウィリアムもヴィルヘルムもうなずいているが、上の妹のレイチェルはレオンハルトに猜疑的な目を向けている。
「ご家族の不安はもっともだと思います、これまでの私をご存じならば余計にね」
レオンハルトは素直にそう言って、頭を掻いた。情けないような、恥じ入るような、そんな気持ちだ。
だけどこれからは違う。そんな気持ちも伝えたかった。
「若くて有能なお嬢さんだ。心配も多いでしょう。しかしヴァルデン家にとっては救世主といっても過言ではありません。一同で大切にするとお約束します」
盛りすぎかとも思ったが、急いでその思いを打ち消す。
そんなことはない。彼女がヴァルデン家に必要なのは間違いのない事実だ。
「あいっ、おやくそくしますっ」
アルノーが張り切った様子で、小さな手を握りしめている。
心強い援軍だ。
男爵の前にも関わらず、息子の頭を撫でていた。次の一言を言うために、勇気をもらうつもりで。
「だから、お嬢さんをください!」
勢いよく頭を下げる。テーブルにぶつけても構わない勢いだ。
うろたえるような声が前方からいくつか聞こえるが、「ほっほっほっ」と朗らかに笑う声が聞こえ、続いてくすくすと小さな笑い声も上がった。
「おまえ、なんだそれは」
隣でリチャードが不思議そうにレオンハルトに言うのを受け止める。
それはそうだよな、こういうの、この世界にはないよな。そんな思いで頬を掻く。
「いや、一度やってみたくて」
前の人生では結婚はしなかったし、恋人の親に挨拶をした経験もない。
漫画やドラマの世界の話とは思ったが、一度やってみたいというのは紛れもなく本音だった。
リチャードに言い訳をするのも違う気がして、ハリソン家に向き直る。
「とにかく、ハリソン家のみなさんを失望させるようなことはしないと誓います」
「ちかいますっ」
またしても援軍アルノーが背中を押してくれる。練習したわけでもないのに、よく見ているものだと感心してしまう。
まだ数か月ではあるが、親子の時間をしっかり確保してきたことがよかったのだろうか。
イザベルが咳払いしたので、視線を向けた。しっかりと目が合い、その視線のまっすぐさに思わずドキッとしてしまう。
「謹んでお受けいたします、レオンハルト様。よろしくお願いいたします」
「ああ、ありがとう。こちらこそよろしく頼む」
ヴァルデン家に救いの女神が来てくれると思うと、喜びは隠し切れない。
アルノーがレオンハルトとイザベルを何度も交互に見つめていて、その目はどこか不安に揺れている。安心させるようにうなずきながら頭を撫でてやったらそれで伝わったのか、これまでにないほど喜びに満ちた笑顔になった。
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もう少し続きます。




