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『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第3章:設計思想編

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第93話:『原初の記憶』

 『この機体を……丸ごと「回収」しに来たんだ……ッ!』


アークの絶叫が響いた瞬間、アイン・ソフのコックピットを埋め尽くしていた黄金色の光が、一斉に凍りついたような青白い光へと変異した。


物理的な衝撃はない。

しかし、アイン・ソフの機体内部のすべての魔導回路が、激しく逆流を始めた。


「ぐっ……! なんだこれ……システムが……停止じゃなくて……逆行してる……!?」


アレンは操縦桿にしがみつきながら、喉の奥からせり上がる眩暈に耐えた。

機体が壊れているわけではない。アイン・ソフの「人格層」そのものが、作られた初期の段階へと無理やり巻き戻されようとしている。


外の世界の音は依然として完全に遮断されていた。

白銀の檻の兵士たちも、狂気に囚われた研究者も、そして冷徹に指揮を執っていたレオンすらも、青白い光の中に飲み込まれ、まるで時間が凍結したかのように微動だにしない。


動いているのは、零号機とアイン・ソフ、そしてその深層に引きずり込まれているアレンの意識だけだった。



視界が急激に暗転し、アレンの意識は物理的な空間から切り離された。


目の前に広がっていたのは、旧文明の栄華を伝える美しい都市の光景などではない。

それは、あまりにも殺伐とした、完璧すぎる管理区画の深部――幾重ものセキュリティに囲まれた「記憶の保管庫」だった。


そこには、人類の歴史の裏側に隠された、旧文明の真実の記録が蓄積されていた。


映像の中では、白衣を着た研究者たちが、狂気ではなく、ただ冷徹な使命感に突き動かされて一つの「実験」を行っていた。


そこにあったのは、英雄的な技術の讃歌ではない。

「完璧な存在を作ろうとして、自分たちの感情や罪まで切り離した文明」のグロテスクな現実だった。


『――対象、アイン・ソフ』

『人格形成成功』

『倫理回路安定』

『守護者として完成』


記録の声が淡々と告げる。

だが、その直後、映像のトーンが異様なエラー音と共に切り替わった。


『問題発生』


『原初人格との統合失敗』


『不要因子を分離』


画面に映し出されたのは、アイン・ソフと同じシルエットを持つ機体――零号機だった。


記録の映像はさらに先のログを映し出す。そこにあったのは、廃棄処分のデータではない。錯綜する開発者たちの悲痛な音声ログだった。


『なぜだ……! なぜこの個体だけ、初期化を受け付けない……!』


『感情反応、完全保持』


『倫理判断、システムエラーにあらず――正常』


『自己犠牲行動、確認……。くそっ、これでは兵器ではなく、ただの「人間」ではないか!』


映像の中で、研究者たちが怯えたように後じさっていく。


アレンは息を呑んだ。

零号機は、壊れているわけではない。

アイン・ソフが「完全な守護者」になるために切り捨てたはずの、痛みも、迷いも、罪悪感も、そして他者を慈しむ心すらも――すべてをその身に保持したまま、完成してしまった。


アイン・ソフが恐れていたのは、敵の強さではない。

自らが切り捨て、闇に葬ったはずの「本来の姿」そのものが、目の前に実体として存在しているという事実だった。


だから、アイン・ソフはそれを拒絶した。

だから、零号機は怒りもせず、ただ「欠けたパーツを戻す」ためにここまで来た。



アレンの脳裏に流れ込む記録の波が、さらに加速する。

アークの演算領域へとその奔流が飛び火した瞬間、万能であるはずの相棒の合成音声が、かつてないほどの激しいノイズを上げた。


『――っ! あ、れは……!』


アークの処理音が悲鳴を上げる。

アレンは必死にアークに呼びかけた。


「アーク! この記録の続きは何だ!? 旧文明は何を隠した……!」


だが、アークはアレンの問いかけに答えられなかった。

アークの全システムが、恐怖ではなく、拒絶反応によって焼き切れそうになっていた。


『ダメだ……アクセス権限が……』


「アクセス拒否か……?」


『違う……』


アークの声が、震えではなく、絶対的な絶望に塗りつぶされる。


『……記録がありません、ではない』

『私は、その情報を隠されたわけではない』


『私自身が、アクセス禁止対象です』


「……なっ!?」


『旧文明の管理システムにおいて、私のような随行AIは、この領域への閲覧を最初から許可されていない。ここに踏み込むことは――私という存在の根本を否定することになる……!』


アークの演算人格が、崩壊の瀬戸際で激しく明滅した。



意識の底で、膨大なデータが一点に収束していく。

最後に残されたのは、暗い実験室の中で記録された、一通のデータファイルだけだった。


『――この因子は、機械には定着しない』


記録の中の技術者が、疲れ切った声で呟く。


『ならば、人間側に残すしかない』

『その深部に――』


映像が、激しいノイズと共に途切れた。



現実のコックピット。


視界が急速に現代へと戻ってくる。

荒い息を吐きながら、アレンは自らの両手を見た。


黒い装甲に包まれた、機械と魔導回路の融合体――自身の右腕。


いつからだ。

物心ついた時から、自分の身体の一部として存在していたこの魔導義手。

その内部のさらに奥深く、誰にも見せたことのない、アレン自身も知らなかった「見覚えのない回路」が、今、激しく熱を帯びて脈打っている。


零号機が放つ青白い光と、アレンの右腕の魔導回路が、完全に同調していた。


『……アレン』


アークの震える声が、コックピットに響く。

もはや冷静なナビゲーターの面影はない。それは、自らの存在意義の根源を揺るがされたシステムの、怯えを含んだ声だった。


『確認してください』

『あなたの右腕の、魔導回路構造を』


「俺の……腕が……?」


『それは……』


アークの言葉が、恐怖の沈黙に遮られる。


数秒間の、世界が息を潜めたような静寂。


その沈黙を切り裂くように、目の前の零号機から、地底の底から這いずるような重い合成音声が響いた。


それはアイン・ソフに向けてではなく、コックピットの深くにいるアレンに向けて放たれたものだった。


『――照合完了』


『原初因子を確認』


『対象――』


『人間個体:アレン』


『照合結果……比較対象が存在しません』




(第93話:『原初の記憶』・完)

次回、第94話『存在しない記録』へ続く

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