第91話:『同位体』
漆黒の特務輸送コンテナが、内側から引き裂かれた。
だが、そこに爆炎や派手な破壊音はなかった。ただ、空間の空気そのものが凍りつくような、冷徹な静寂だけが辺りを支配する。
コンテナの残骸を押し退けて姿を現したそれは、アイン・ソフと酷似した巨大なシルエットを纏っていた。
「――これが、プロトタイプ・零号機……!」
研究者の声が、歓喜と興奮に裏返る。
アイン・ソフがどこか洗練された「守護者」の佇まいを湛えているのに対し、零号機から放たれる気配は違った。それは守護者とは対極にある、ただ目的だけを遂行する装置のようだった。
同じ旧文明の技術で作られ、同じ黄金回路が全身を走っているというのに、その光はどこまでも冷たく、生命の鼓動を一切感じさせない。
アレンはコックピットのモニター越しにそれを見据え、背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
――似ている。けれど、同じものから生まれたはずのそれに、決定的な「何か」が欠落しているような違和感があった。
「よくやった……! 動いたぞ……!」
研究者は狂喜に満ちた笑みを浮かべ、手元の端末を乱暴に叩いた。
「零号機! 起動者権限により命令する! 目の前のアイン・ソフを拘束せよ!」
しかし、零号機は微動だにしない。
研究者を見下ろすこともなければ、周囲を固める白銀の檻の兵士たちに視線をくれることもない。
ただ静止したまま、その冷たい黄金の瞳でアイン・ソフの存在そのものを測るように捉え続けていた。
攻撃態勢ではない。殺気でもない。
ただ、自分が何者なのか、目の前の存在が何であるのかを「確認」しているかのような、人間の観察とは根本からかけ離れた異質な沈黙。
そのわずか数秒の時間が、アレンには何時間にも感じられた。
「……おい、どうした? 聞こえているのか、零号機!」
研究者の命令は完全に無視された。魔導波長は繋がっている。それにもかかわらず、零号機はただ「そこに在る」だけだった。
研究者の顔から、血の気がサーッと引いていく。
「動け……! なぜだ、なぜ命令を受信しない……ッ!」
周囲を包囲していた『白銀の檻』の精鋭部隊にも、言い知れない動揺が広がっていた。
王国最強と謳われ、数々の修羅場を潜り抜けてきたベテランの兵士たちが、無意識のうちに構えていた銃口や魔導武装を少しずつ下げ始めている。
(なんだ、あの機体は……)
(殺気がない。だが、血が凍るような悪寒がする……あんなものに、俺たちは勝てるのか……?)
無線越しに兵士たちのざわめきと恐怖が混じり合う。
「素晴らしい……! 制御などできなくともいい! あの出力、あの密度……旧文明の至宝が今、この眼前に……!」と、狂ったように端末を叩き続ける研究者の姿とは対照的に、最前線の兵士たちは「あれは機械ではない、ただの厄災だ」という本能的な恐怖に支配されていた。
部隊長であるレオンだけは、微動だにせずその光景を冷静に見据えていた。
「隊長……!」
部下の怯えた声に、レオンは静かに、しかし確信に満ちた声で制止の命を下す。
「……全員、距離を取れ」
「しかし、研究者が……!」
「制御できるなどと過信するな」
レオンの瞳に、わずかな冷徹な動揺が走る。
「違う。あれは我々の兵器じゃない。お前たちは発掘して、起動させた気でいるだけだ……あんなものは、最初から人間の手綱など受け付けない」
レオンは冷ややかに研究者を一瞥し、呟いた。
「あれは敵じゃない。――我々が戦う対象ですら、ない」
レオンのその一言に、その場にいた精鋭たちの背筋が凍りついた。国家の最強戦力すら「対象外」と断じさせるほど、零号機の異質さは隔絶していた。
異様な沈黙を破るように、零号機がゆっくりと一歩を踏み出した。
たった一歩。
だが、その足音が大地を揺らした瞬間、アイン・ソフの機内環境が激しく明滅し、アークの演算に致命的なエラーが走った。
「アーク……っ! あれは何なんだ!?」
アークの合成音声に、かつて聞いたこともない恐怖の震えが混じる。
それと同時に、アレンの脳裏に、アークの処理領域から溢れ出した「未知の記憶の断片」が強制的にフラッシュバックした。
――焼け落ちる旧文明の巨大都市。
――無数の同型機が、互いを喰らい合うように大地を焦がす光景。
――そして、「零号機を起動してはいけない」という、歴史から抹消されたはずの旧文明の警告。
「ぐっ……これは……なんだ……!?」
アレンが頭を押さえて苦悶する中、アークの音声は完全に崩れかけていた。
『――解析不能』
『記憶領域へのアクセス拒否』
『該当データは……封印領域に指定されています』
今までいかなる時も即座に応答していた存在が、言葉を失い、恐怖に怯えるように処理音を響かせる。
カタ……
カタ……
まるで、機体そのものが震えているように。
『……アレン』
初めて、アークが主人の名を呼んだ。
『撤退してください』
『あれとは……戦闘してはいけません』
『今すぐ、この場から逃げてください』
圧倒的な敵を前にしても、死地を潜り抜ける時ですら冷静さを失わなかったアークが、明確に「逃げろ」と懇願している。その事実が、アレンの喉の奥を締め付けた。
――零号機が、さらに一歩、歩みを進める。
ガキィ、と重く軋むような駆動音とともに、零号機がゆっくりと腕を上げた。
その動きは攻撃ではなかった。ただ、触れようとしているだけだった。
しかしアークだけが理解していた。
あの機体が手を伸ばした先にあるものが、アイン・ソフの装甲ではないことを。
――内部に眠る「何か」だということを。
アークの処理音が、半ばパニックを起こしたように明滅を繰り返す。
『再解析』
『照合開始』
『照合率……99.98%』
アレンの目が見開かれた。
『警告』
『対象分類を変更します』
『敵性存在ではありません』
『未知存在でもありません』
『識別不能』
『……いいえ』
『訂正』
『識別完了』
アークが、答えを出すことを恐れるように――数秒間の完全な沈黙がコックピットを支配した。
アレンは息を呑む。演算システムが、自らの発する言葉に怯えている。
『照合結果を……確定します』
アークは、まるでその言葉を口にすることを拒むように、わずかに震えた。
そして。
『同位体認識』
『敵性判定――否定』
『――同一存在』
(第91話:『同位体』・完)
次回、第92話『接触』へ続く




