第89話:『蠢動』
王都、王立魔導局本部庁舎の地下深くに位置する特別作戦室。
青白く発光する大型魔導戦略ボードを囲むように、いくつかの緊張した影が立っていた。
中央に陣取るドミニク・シルヴェストルの表情は、先日の敗走劇の衝撃からか、以前よりもさらに険しく、冷徹な光を帯びていた。
「――第3独立魔導機兵大隊の報告は以上だ」
側近の魔導士が、低い声で場に告げる。
「被害は全機体の駆動系・武装の機能停止のみ。人的損害は、奇跡的にもゼロ……。相手は我々の予測を完全に超えた技術と意思を持っています。局長、もはや通常の討伐隊では――」
側近の言葉を、ドミニクは静かに、しかし有無を言わせぬ圧力で遮った。
「わかっている。問題は、あの機体の『強さ』ではない」
ドミニクは鋭い視線を戦略ボードの上に落とした。
「問題なのは……あの力を持つ者が、これから『誰のために、どこへ向かって牙を向くのか』だ。あんな規格外の理が個人の裁量で野放しにされていること自体が、王国にとって最大の安全保障上の脅威なのだよ」
「では、やはり排除を……」
「いや、『回収』だと言ったはずだ。我が国が管理し、その技術を完全に掌握する。……そのためには、生半可な手駒では足りん」
ドミニクが指先を小さく動かすと、戦略ボードの端に新たな機密書類のデータが投影された。そこには、王国の正規軍とは異なる、漆黒と白銀で彩られた特殊な機体のシルエットと、一つの恐るべき部隊名が浮かび上がっていた。
「――『白銀の檻』を動かせ」
側近が、思わず息を呑んで声を裏返らせた。
「特務魔導騎士団……ですか? あそこを動かすとなれば、王国全土に激震が走りますが……!」
「構わん。彼らであれば、旧文明の遺物の解析も、厄介な防衛機構を無力化する手段も持ち合わせている」
ドミニクの目が、冷たく据わった。
「『白銀の檻』――過去百年間で、たった三度しか呼ばれなかった王国の最終切り札だ。暴走した古代魔導兵器の封印も、国家反逆級魔導師の拘束も、すべて彼らは完遂してきた。……一刻も早く、あの巨人を我々の手中に収めるのだ」
王国の歯車は、もはや一つの個人の戦いを超え、国家の覇権を揺るがす「国家総動員の奪取計画」へと本格的に動き始めていた。
その部隊の影は、すでに現場へと迫っていた。
漆黒の移動式特務戦術車両のなか。
冷たい青色灯に照らされた空間で、特務魔導騎士団『白銀の檻』の隊長――レオン・アルヴェルトは、無言で愛用の魔導剣の手入れをしていた。
引き締まった体躯、鋼のような意志を宿した灰色の瞳。その佇まいは、軍人というよりも冷徹な処刑人に近い。
「隊長、現地の観測データが更新されました。相手は旧文明最終型……アイン・ソフ。かつて世界を滅ぼしたとされる機体です。本当に、我々だけで制圧できるのでしょうか」
不安げに尋ねた部下に、レオンは手を止めることなく、低い声で答えた。
「できるできないではない。命令だ」
「しかし……王国軍の報告では、相手は我々の命を奪わず、ただ無力化したとか。ならば、話し合いの余地が――」
レオンは静かに視線を上げ、部下を射抜いた。
「甘いな。軍人としての誇りを持つのは勝手だが、忘れるな。我々は『白銀の檻』だ。命令なら殺す。だが、命令がなければ殺さない――それだけのことだ。相手がどんな思想を持っていようと、国家の統制を乱す異物は、すべて檻に収める。それが俺たちの仕事だ」
そのレオンの言葉を、車両の隅で腕を組んで聞いていた人物が、冷ややかに鼻で笑った。
白銀の檻・副隊長にして、王立魔導局から派遣された主席旧文明研究者。
彼の眼鏡の奥の目が、狂気的なまでの好奇心に歪んでいた。
「ふっ……『防衛型魔導守護機』だと? 笑わせる。旧文明の連中が遺したのは、徹底的な破壊と淘汰のシステムだけだ。そんな美しい設計思想なんてものは歴史のどこにも存在しない」
研究者は手元の端末を叩き、アイン・ソフの構造解析データを貪るように見つめた。
「あれほどのオーパーツを、田舎のガキが一人で動かせている理由……それを解剖すれば、我が国の魔導技術は一気に数百年先へ進む。早くそのコックピットを引き剥がして、中身の構造を丸裸にしてやりたいものだな」
冷徹な武人と、狂気的な知性。
王国が誇る最強にして最悪の特務部隊が、着々と牙を研いでいた。
一方、その動きは王国内だけに留まっていなかった。
広大な国境線を挟んだ隣国――軍事大国として知られるアインツベルク帝国の首都、その厳重な地下諜報室。
薄暗い部屋の壁一面に張り巡らせられた魔導モニターには、数日前に平原で起きた一連の戦闘データ、そしてアイン・ソフの巨大なシルエットが映し出されていた。
「…これが、王国軍の第3独立魔導機兵大隊をたった一機で無力化したという『異物』か」
低い声で呟いたのは、帝国軍情報局の最高責任者を務める初老の男だった。
「間違いありません、閣下。王国側はこれを隠蔽しようと必死ですが、現地の魔導波長データから、旧文明の最終型魔導機兵……『アイン・ソフ』の反応を確実に捉えております」
「ほう…。かつて世界を滅ぼしたと噂される機体が、今更になって王国の片田舎に姿を現したというわけか」
男は面白そうに口元を歪め、ワイングラスを傾けた。
「王国はこれを自分たちの新兵器としてひた隠しにするか、あるいは恐れて排除しようとするだろう。だが…どちらにせよ、あの機体を手に入れた者が、次代の勢力図の頂点に立つことは確実だ」
「我が帝国としても、静観しているわけにはいきませんね」
「あぁ。王国の動向を監視しつつ、我が国の特務班も極秘裏に現地へ潜入させろ。…もし王国があの巨人が手に負えなくなると見るや、丸ごと奪い取るぞ」
世界はすでに、アレンとアイン・ソフという「予測不能な理」を中心に、不気味なうねりを上げて動き始めていた。
そのころ―― 辺境の静かな工房跡地。
昼間の騒がしさが嘘のように静まり返った作業スペースで、アレンは使い慣れた工具を手に取り、静かに魔導義手のメンテナンスを行っていた。
カチャ、と小さな金属音が心地よく響く。
少し離れた場所では、エレノアが温かいハーブティーの入ったカップを二つ置き、複雑な表情でアレンの背中を見つめていた。
「ねえ、アレン……」
「ん?」
「知ってる? 昨日の件で、王都の魔導局だけじゃなく、あちこちの商会や、変な組織の魔導波長までこの辺りで急に増えてるのよ。…世界中から狙われる存在になったって、自分で分かってる?」
アレンは手を止め、軽く息を吐いた。
「…あぁ、大体な」
「怖くないの?」
エレノアの問いかけに、アレンはしばらく沈黙した後、ゆっくりと振り返った。その瞳には、かつてのような迷いや恐怖の色ではなく、不思議なほど真っ直ぐな光が宿っていた。
「怖いよ。そりゃあ、またいつあんな大軍が押し寄せてくるか分からないし、命がいくつあっても足りないかもしれない」
「だったら……」
「だけど、もう逃げるためにこの力を使うつもりはない」
アレンは自分の左腕――魔導義手となったその腕を、そっと握り締めた。
「師匠が残してくれたのは、逃げるための道具じゃない。誰かが泣かないために、最後まで立ち続けるための盾だ。…だから、俺はここで引く気はないさ」
その言葉の力強さに、エレノアは小さく息を呑み、そしてふっと表情を曇らせた。彼女の瞳に浮かんでいたのは、かつての追放された少年を案じる、切実な色だった。
「…あなたは世界を守る盾になるって言ったわね」
「ああ」
「でも…盾だって、いつかは壊れるのよ。あなたが一人で全部を受け止めて、いつか取り返しのつかないことになったら…私は、そんなの嫌よ」
エレノアの震える声に、アレンはハッとしたように目を見開いた。
「英雄になったアレン」ではなく、「昔のままの、大切な日常を共にするアレン」を心配してくれる彼女の言葉が、胸の奥を強く突く。
アレンは優しく苦笑し、静かに首を振った。
「大丈夫だ。俺は一人で背負い込む気はないさ。…お前も、ここにいてくれるんだろ?」
「っ…当たり前でしょ。私を置いて勝手に壊れたりしたら、絶対に許さないんだから」
二人の間に、少しだけ温かく、そして切ない静けさが戻る。
しかし、その日常の絆を嘲笑うかのように、アレンの脳裏でアークの低い合成音が突如として警告を響かせた。
『――警報。局所的異常魔力反応を検知』
『対象:王立魔導局特務魔導騎士団『白銀の檻』』
アレンの表情から笑みが消え、鋭い緊張が走る。
「…アーク、今の反応は…?」
アークの青い光が激しく明滅し、これまで聞いたこともないような不規則なノイズ混じりの音声を返した。
『警告。対象データ照合……。旧文明最終封印コード……保持者……』
『エラー。当該部隊の機体群より、機体識別番号[アイン・ソフ:プロトタイプ・零号機]の残留波長を検知』
「なんだと…!?」
アレンが目を見開く。
アイン・ソフの他にも、同じルーツを持つ「何か」が存在するというのか。
アークはさらに冷徹な合成音で告げた。
『――全システム、戦闘待機状態へ移行。敵部隊、すでに射程圏内です』
静寂を切り裂く歯車が、音もなく噛み合い、狂い始めた。
(第89話:『蠢動』・完)
次回「第90話:『白銀の檻』」へ続く




