第86話:『邂逅』
平原のど真ん中を切り裂くようにして突如として姿を現した、漆黒の巨影――アイン・ソフ。
その圧倒的な魔力の奔流と地響きは、数十キロメートル離れた王国東部の主要都市に至るまで、はっきりと観測されていた。
「――何だと!? 東部第4区画の観測陣が沈黙しただと……!」
王国都心部、白亜の城壁に囲まれた王立魔導局の本部庁舎。
その最上階にある緊急司令室で、魔導局長官であるドミニク・シルヴェストルは、部下から差し出された最新の魔力探知の報告書を叩きつけるように机に置いた。
庁舎内の空気が凍りつく。
周囲に控える側近や魔導士たちは、誰一人としてまともに息を吸うことすらできていないような重圧に呑まれていた。
「局長……魔力濃度の変動推移からして、自然発生の災厄、あるいは既存の魔獣の類ではありません。あれほどの規模、かつ未登録の超高密度魔力炉……。間違いなく、旧文明の『遺産』の起動です」
「そんなことは分かっている!」
ドミニクは怒気を孕んだ声を上げながら、窓の外に広がる王国の大空へと視線を走らせた。
彼の脳裏には、数日前に地方の工房跡周辺から微弱に検知されていた「不審な魔力反応」のデータがよぎる。あの時、徹底的な調査を命じておけば、こんな不測の事態は防げたはずだった。
「数十年も前、旧文明の遺産が暴走し、わずか数時間で一つの都市を灰燼に帰した歴史を、私は忘れていない。あんな規格外の機体が野放しになれば、我が王国の魔導覇権が揺らぐどころか、国家そのものが崩壊しかねん。……直ちに『特務騎士団』に出撃を命じろ。あの巨人を回収するか、それが不可能なら完全破壊せよ」
ドミニクの冷徹な指令が下った直後、司令室の魔導通信機が一斉にけたたましい音を立てて明滅を始めた。
『長官! 東部第2宙域および街道を進軍中の「第3独立魔導機兵大隊」より、緊急の映像回線が接続されました!』
「……なんだと? 現地部隊がすでに接触しているのか?」
司令室の巨大な魔導スクリーンに、砂埃を巻き上げて進む王国軍の制式機兵部隊の視点が映し出される。
その先――先ほどまで静まり返っていたはずの平原の境界線上には、黄金の回路を眩く明滅させたアイン・ソフが、まるで静かな威圧感を放つように仁王立ちしていた。
一方、現場の最前線。
第3独立魔導機兵大隊の先頭を進む制式機兵のコックピット内で、若き中隊長の男は冷や汗を拭うことも忘れていた。
視界のモニターに映し出されているのは、自分たちの機体を遥かに上回る巨体を持つ漆黒の巨人。
――あり得ない。
大隊の精鋭制式機兵が二十機以上、さらに指揮官機まで揃っているというのに、前線に立つ兵士たちの間には、奇妙なほどの静かな恐怖が広がっていた。誰もが分かっていた。自分たちはこれまで「狩る側」として戦ってきたが、目の前にいるその巨人は、自分たちとは立っている世界そのものが違う存在なのだと。
「……おい、本当にあんなものと戦うのか……?」
「機兵の魔力炉が……共鳴して勝手に悲鳴を上げやがる……」
通信回線から聞こえてくる部下たちの震えた声が、現場の異常な雰囲気を物語っていた。
同じころ、アイン・ソフのコックピットのなか。
アレンはアークを介して、周囲を包囲するように展開する王国軍の機兵たちの影、そしてそのコックピットに座る人間の心拍や生体反応までを正確に捉えていた。
「アレン, 数が多いわね。制式型の魔導機兵が少なくとも二十機以上……。それに、後方には指揮官クラスの高級機も控えているわ」
補助制御席からモニターを覗き込みながら、エレノアが低く声を漏らす。その表情には緊張の色が滲んでいるが、どこか戦闘への覚悟を決めたような冷徹な光が宿っていた。
アレンは機体の操縦桿を握る左腕の魔導炉に意識を向けつつ、ふと目を細めた。
アークの拡大視界の先――敵機体のコクピット位置には、怯えながらも操縦桿を握る、自分と同じ「人間」の姿が透けて見える。
あそこにいるのは、ただの的や兵器ではない。誰かの日常を背負い、命令に従って動いている生身の人間だ。
「……ねえ、アレン」
隣の補助制御席から、エレノアがふと呟くように声をかけてきた。
「なんだ?」
「怖くないの? これだけの王国軍を敵に回して、世界を相手にするかもしれないのよ」
アレンは少しだけ視線を動かし、それから正面の黒い巨影の向こうに広がる空を見据えた。
「怖いさ。手足が震えるくらいにな」
「……え?」
「でも、あの工房で師匠と過ごした時間まで、あいつらに踏み荒らされて奪われる方がもっと嫌なんだ。だから、逃げない」
エレノアは息を呑み、そしてかすかに笑った。
「……そう。あなたらしいわね」
その時だった。
王国軍の先頭を進む指揮官機から、全方位に向けた魔導拡声の魔法陣が展開される。
『――警告する! 貴様らは王国管理下の未許可区域において、重大な禁忌魔導を起動した! 直ちにその機体のシステムを停止し、武装を解除せよ! さもなくば、反逆者としてその場で容赦なく排除する!』
拡声器越しに響く男の高圧的な声が、平原の風に乗ってコックピットの音声センサーにも直接飛び込んできた。
アレンはその言葉を聞き、ふっと冷ややかな笑みを浮かべる。
「武装を解除しろ、ね……。話を聞く気なんて最初から無いってわけだ」
「当然よ。あの人たちにとっては、自分たちの理解を超えた力が存在すること自体が恐怖なのよ。話し合いでどうにかなる相手じゃないわ」
エレノアが冷たく言い放つと同時に、アークが無機質な合成音で告げた。
『警告。敵部隊、戦闘態勢へ移行。先頭機群より、魔導プラズマ砲のエネルギー充填を確認』
緊迫した警報音がコックピット内に鳴り響く。
(……師匠なら、こういう時どうする)
脳裏に、かつて工房で酒をあおっていた不器用な老人の顔が浮かぶ。
――力ってのはな、振り回すためにあるんじゃねぇ。
分かっている。これは英雄の戦いではない。自分の日常を守るための戦いだ。
だが、相手が先に引き金を引くというのなら――。
アレンは左腕の魔導炉にぐっと力を込め、自らの迷いを断ち切るように呟いた。
「……仕方ない。この盾が、ただ守るだけのものじゃないって教えてやる」
轟音と共に、アイン・ソフの足元の大地が震える。
だが、その巨体が向かった先は敵陣ではなかった。
アレンは王国軍と工房跡地の間に、静かに立ちはだかった。
「……ここから先は、通さない」
漆黒の巨人が黄金の光を纏いながら、大地に盾を構える。
その姿は、戦う者ではなく――守る者だった。
(第86話:『邂逅』・完)
次回「第87話:『衝突』」へ続く




