第85話:『出撃』
『――工廠全区画の同調率、一〇〇パーセント』
『環境制御システム、全基正常』
『魔導炉出力、限界値へ移行――』
アークの合成音が、第七工廠の最深部からすべての区画へと波及していく。
コックピットのなかで、アレンは自らの左腕とアイン・ソフの黄金の回路が完全に一つの脈動を刻んでいるのを実感していた。
数十メートルに及ぶ巨体が、まるで自分の手足の延長のように軽やかに、しかし底知れぬ重量感を伴って駆動する。
「……行くぞ、アーク」
『――了承』
『外壁解放シーケンス、開始』
轟音――。
何重にも重なっていた地下の防壁が、重苦しい金属音を鳴らしながら幾重にもスライドして外側へ展開していく。
地上から遠く離れた地底の底に、初めて「外の世界」の光が差し込んだ。
それは、昏い地下空間を切り裂く、一筋の黄金色の光芒だった。
同じころ。
第七工廠の真上に広がる長閑な片田舎の平原――その数キロメートル圏内に設置されていた、王国の魔導局および周辺領主の「対異変観測陣」に、突如として異様な警報が鳴り響いた。
ピリィィィッ! ピリィィッ――!
「なっ……なんだこれ……! 魔力炉の数値が跳ね上がってるぞ!」
観測塔の最上階、古びた魔導観測盤の前に張り付いていた観測士の男が、血走った目で計器を叩いた。
魔力濃度を示す針は、これまでの計測限界を軽々と超え、盤面の端で激しく震え続けている。
「ふざけるな、故障か!? ここは数百年も手付かずの不毛の地だぞ!」
「故障じゃありません! 地下深部より、未曾有の超高密度魔力が急激に拡大中……! いや、違う、これは――!」
男の言葉が途切れる。
ズウン……ッ!
足元から、世界そのものが揺らぐような凄まじい低振動が伝わってきた。
平原の中央、クロムの古い工房があった場所のすぐ脇――その地面が、まるで大いなる巨獣の目覚めのように、ゆっくりと盛り上がり、そして大きく左右へと割れていく。
吹き荒れる暴風のような魔力の奔流。
地表の土煙と砕けた岩盤を押し退け、漆黒の巨影がその全貌を天へと突き出した。
アイン・ソフ。
無数の魔導回路を黄金色に輝かせたその機体が、大地に降り立っただけで、周囲の空間の魔力がまるでひれ伏すように静まり返る。
観測塔の男は、遠方にそびえ立つその圧倒的な黒い巨人を目撃し、言葉を失って膝から崩れ落ちた。
「……あんなもの……王国軍の旗艦ですら……見たことがない……」
それは単なる「兵器の出現」ではない。
世界が長年隠し通してきた歴史の蓋が、音を立てて開いた瞬間だった。
コクピットのなかで、アレンはアークを介して地表の景色をクリアに捉えていた。
視界の端に映るのは、かつて師匠と二人で静かに暮らしていた古い工房の残骸だ。
もう煙が上がることもないその小さな家を見つめ、アレンの胸の奥で、クロムの無愛想な声が蘇る。
――せいぜい、自分のためにその腕を使え。
「ああ……分かってるよ、師匠」
本来は単座式であるはずの機体に、クロムが密かに遺した応急的な補助制御席――そこから、エレノアが複雑な計器盤を見上げながら、呆れたような、しかし確信に満ちた笑みを浮かべた。
「……あなた、本当に世界をひっくり返す気なのね」
「世界を変える気なんてないさ。ただ、俺たちの日常を奪う奴らに、この盾を見せつけるだけだ」
アレンが左腕の魔導炉へ意識を集中させると、アイン・ソフの巨大な双眸に、眠りから覚めた獣のような黄金の光が灯った。
かつて呪われた左腕として忌み嫌われ、ただ隠れるように生きてきた少年は、今や巨大な機兵の心臓部として、静かに、しかし確かな一歩を地上へと踏み出す。
吹き抜ける地上の風が機体を撫でたその瞬間、アレンは強く自覚していた。
――それは、長い眠りを終えた世界が初めて感じる、新たな時代の始まりの風だった。
(第85話:『出撃』・完)
次回「第86話:『邂逅』」へ続く




