第84話:『専用機』
重厚な第04区画の扉が、地響きを立てながら左右へと滑らかに開ききった。
「……なっ……」
エレノアが思わず絶句し、足を止める。
その視線の先――第七工廠の最深部、数万の兵器が眠る空間の中央で、ひときわ異彩を放つ漆黒の巨人が、静寂の中に佇んでいた。
それは既存の魔導機兵とは一線を画すフォルムだった。装甲の継ぎ目すら感じさせない滑らかな流線型と、要所に刻まれた黄金の魔導回路。無駄な装飾は一切削ぎ落とされているが、そこに立っているだけで、周囲の空間の魔力が吸い寄せられるような圧倒的な密度を放っている。
アレンは無言のまま、その黒い機体へと歩み寄った。
胸の奥で、左腕の魔導炉がドクン、ドクンと激しく脈打つ。それは警告ではない。「主を認めた」歓喜の鼓動だった。
機体の足元に立つアレンを迎え入れるように、機体胸部の装甲が静かに展開し、搭乗タラップが降りてくる。
アレンがタラップを駆け上がり、コックピットのシートに身を沈めると同時に、周囲のディスプレイが一斉に覚醒した。
『――生体認証、完了』
『――接続者:アレン・ヴァルハイト』
『――機体システム、直結同調を開始します』
アークの合成音と同時に、アレンの左腕とコックピットのコンソールが、無数の光の糸で縫い合わされるようにカチリと完全結合した。
「っ……!」
息が詰まる。
視界が劇的に拡張された。コックピットの物理的な窓だけでなく、機体の周囲に張り巡らせた全感覚センサーが、アレンの脳神経へと直接流れ込んでくる。
第04区画の冷たい空気の匂い、遠くで循環する魔導炉の微弱な振動、さらには機体全高から見下ろす圧倒的な高度感――。
それらは「モニター越しに見ている情報」ではなかった。まるで、自分の肉体が数十メートルに引き延ばされ、強靭な鋼の筋肉へと生まれ変わったかのような、凄まじいまでの「肉体の拡張」だった。
『――アーク、機体データの基本展開を』
アレンが心の中で命じると、視界の端に無数のステータスと、一つの巨大な機体名が投影された。
『機体名称:アイン・ソフ』
『命名者:第一管理者クロム・アイゼンベルグ』
『由来:終わりなき可能性』
「……師匠らしくない、大層な名前だな」
アレンが自嘲気味に呟くと、アークはいつもの無機質なトーンにわずかな深みを持たせて応じた。
『否定します。第一管理者は、この機体を兵器としてではなく、可能性を繋ぐ器として定義していました』
『追加ログを表示します』
『製造年月:42年前』
『完成時適合者:0名』
『起動試験:失敗回数137回』
「42年前って……師匠がまだ、若かった頃か……?」
アレンの目が見開かれる。
42年前。自分が生まれるどころか、クロムがこの第七工廠を封印するよりも、遥か昔の時代だ。
『第一管理者は、本機を完成させた後も、いかなる破棄命令をも拒否し続けました』
『理由――いつか、この機体に完璧に適合し、その可能性を限界の先へと導く「存在」が現れる可能性を、否定できなかったため』
ログの行間に、老いてからのクロムではなく、若き日のクロムの血を吐くような執念と、未来への不器用な期待が透けて見える。
「……勝手なもんだよ本当にな」
胸の奥が熱くなり、アレンは苦笑を漏らした。
クロムは自分のためにこの機体を作ったわけではない。ただ、自分が死んだ後、あるいは自分が遺せなかったものの代わりに、いつか現れる誰かにこれを託すためだけに、この孤独な機体を40年以上も磨き続けていたのだ。
『警告。本機は通常の兵器ではありません。あなたの左腕を制御中枢として設計されています』
『――接続者アレン。全身全霊を以て、機体の主となれ』
アークの最後の一声に呼応するように、アイン・ソフの全身を覆う黄金の魔導回路が、一斉に眩い光を放った。
かつて右腕を失い、世界の片隅で未来を諦めかけた少年は、今や巨大な機兵の心臓部として完全に一体化している。
アレンは左腕の魔導炉へと意識を集中させ、自分の肉体を動かすように、その巨体に一歩を命じた。
ドン――。
たった一歩。
それだけの動作だった。
だが、その一歩は、かつて右腕を失い、未来を諦めかけたすべてを塗り替えるには、あまりにも巨大で、あまりにも確かな一歩だった。
第七工廠の地底が、歓喜の震動に包まれる。
(第84話:『専用機』・完)
次回「第85話:『出撃』」へ続く




