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『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第3章:設計思想編

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第80話:『鋼鉄の継承者』

朝。


いつもなら、鋭く鉄を叩く音が響いていた。


だが、その日の工房には静寂だけが残っていた。


アレンは一人、作業台の前に座っている。

眼前にあるのは、クロムが最後まで使っていた古びた工具の数々。

錆びたレンチ、傷だらけのハンマー、そして何度も修理された魔導炉。


「……相変わらず、汚ぇな」


そう呟きながら、アレンは使い古された工具を布で磨く。

以前なら、こんな真似をすればクロムは必ず野太い声で怒鳴りつけていただろう。


『そんな磨き方じゃ鉄が泣くぞ』

『道具はな、使う奴の魂を覚えてるんだ』


埃の匂いと油の混じった、あのぶっきらぼうな声が耳の奥で蘇る。

だが、もう工房に返事をする老人はいない。


アレンは自分の左手を見た。

鈍く光る鋼鉄の指。かつては自らの人生を狂わせた呪いだと思っていた腕。

だが、昨夜エヴァンとの問答を経た今、その重みは全く違ったものに感じられていた。


「……師匠」


アレンは小さく呟く。


「俺、ちゃんと継げてんのかな」

足音が響き、作業スペースにエレノアが姿を現した。

彼女の表情には、昨夜の議論を引きずったような複雑な影が落ちている。


「……眠れましたか」


エレノアが静かに問う。アレンは工具から手を離し、首を横に振った。


「いや。ずっと考えてたよ。エヴァンの野郎が言ってたことと……お前が言ってたこととな」


エレノアは作業台の端に寄り添うように立ち、俯いた。その指先が、かすかに震えている。


「……怖かったんです」


絞り出すようなエレノアの声に、アレンは目を向けた。


「私は、第七工廠の残された資料を読んだことがあります。最初は、組織の正当性を証明するための記録だと思っていました。……でも、違った。読めば読むほど、あの組織がどれだけの人間を踏みにじってきたかが見えてきたんです」


エレノアは両手を固く抱きしめ、自分の肩を抱いた。


「あのまま工廠の技術が野放しになっていたら、世界は間違いなく壊れていた。クロム・ヴァルガスがそれを潰したことは、歴史の救済だったはずなんです。……なのに、資料の最後のページには、彼の残した『呪い』のような言葉が記されていました。――いつか、その火種を拾った者が、世界を再び破滅に導くだろう、と」


震える学者を見つめ、アレンは静かに息を吐いた。

そして、包み隠さず自分の本心を口にする。


「俺も、怖ぇよ。正直、ビビってる」


アレンは自分の左手を握ったり開いたりしてみせた。ガキィ、と重く静かな金属音が鳴る。


「エヴァンの言う通り、俺がこの腕を動かすたびに、誰かの過去や、師匠が消したはずの地獄を引っ張り出してる気もする。……だけどな、だからって、ここで立ち止まる気はねぇよ」


「どうしてですか?」


「師匠は、技術を隠すためにあんなボロ工房にこもったわけじゃねぇだろ。ビビりながらも、一人で全部を背負い込んで、それでも最期まで俺にこれを預けた」


アレンの声音に、迷いはなかった。


「俺が継いだのは、世界を滅ぼすための設計図じゃねぇ。……あいつが捨てなかった、人を救いてぇっていう意地だ」


その言葉を聞いた瞬間、エレノアの瞳から強張った色がスッと消え、代わりに深い安堵と、熱い光が灯った。

ふと、アレンの脳裏に、あのぶっきらぼうな老人の顔が過った。


初めてクロムに義手を付けてもらった日のこと。

痛みに耐えきれず叫んだ自分に、あの男は言った。

『痛ぇなら叫べ。だが諦める声だけは出すな』と。


初めて鉄を叩いた日のこと。

『形を作るんじゃねぇ。お前が何を守りたいかを叩き込め』と怒鳴られたこと。


不器用で、頑固で、誰よりも優しかった背中。

そのすべてが、今の自分の血肉になっている。

その時――。


「……ん?」


アレンが眉をひそめた。

床の底から、わずかな振動が伝わってきた。

地震ではない。もっと規則正しく、もっと重苦しい、機械の鼓動のような振動だ。


「今の……何だ?」


エレノアが息を呑んで周囲を見回す。

音の出所は、工房の一番奥。普段は固く閉ざされ、クロムが生前「絶対に近づくな」と釘を刺していた、古びた地下室への鉄扉だった。


ガゴン、と重厚なロックが外れるような乾いた音が響く。


アレンの左手が、突然、ピクリと激しく痙攣した。

熱を持っているわけではない。しかし、骨の髄に直接語りかけるような、強い共鳴が左腕の魔導炉から波及していく。


「っ……なんだこれ……!」


アレンが左手を押さえる。その瞬間、地下室の扉の隙間から、青白い魔導の光が漏れ出した。

圧倒的なまでの高密度な魔力が、工房の空気を凍りつかせていく。


機械仕掛けの音声が、床の底、地下深部から直接響いてきた。


『――生体反応を感知』


魔導義手マギ・マニューバ――登録個体確認』


『同期率……正常』


『継承者認証へ移行』


『適合者を確認』


『識別名――アレン・ヴァルハイト』


『認証開始……』


冷徹なシステム音が、まるでアレンの心臓の鼓動と同調するように響き渡る。


「待て……俺は何もしてねぇぞ……!」


アレンが身構える中、扉の表面に刻まれた無数の歯車がガリガリと音を立てて噛み合い、自発的に回転を始めた。


『管理者権限……クロム・ヴァルガス』


『継承者権限……アレン・ヴァルハイト』


『――照合、一致』


電子音が告げた瞬間、地下室の重い扉が、音もなく内側へとスライドして開いた。


そこに広がっていたのは、深い闇の底に青く冷たい光を放つ、おびただしい数の巨大な格納庫の光景だった。


幾重もの装甲に包まれた、禍々しくも圧倒的な巨大機巧の群れ。そのすべてが、長い眠りから覚めるように微かに脈打っている。


エレノアが息を呑み、その場に立ち尽くした。

彼女の顔から、スッと血の気が引いていく。


「……ありえない……」


震える声で、エレノアは呟いた。


「第七工廠の機巧兵装は……戦後処理で全て破棄されたはず……」


「なのに、これは……」


アレンは開かれた地下への階段を見下ろす。


その時だった。


シーンと静まり返った地下深くの暗闇から、まったく別の、機械的ではない――しかし聞き慣れた、低い老人の声が響き渡ったのは。


『……ったく。最後まで手のかかる弟子だったな』


「っ……!?」


アレンが息を呑み、身体を硬直させる。

それは、もう二度と聞けないはずの声だった。地下の通信回線を介し、あらかじめ録音されていた遺言が再生される。


『だが安心しろ。もう俺がお前の面倒を見る必要はねぇ』


ぶっきらぼうな響きの中に、確かな温もりが混じる。


『この扉を開いた時点で、お前はもう俺の弟子じゃねぇ』


『……俺が教えられることは、全部教えた』


『鉄の叩き方も、魔導の組み方も、間違った力の怖さもな』


『だが、一番大事なことだけは……まだ教えてなかった』


地下の底で、無数の巨大機巧が一斉に青い光を強く明滅させた。


『力を持った奴らが、最後に選ぶ道だ』


『それだけは、自分で決めろ』


『今日からお前は――俺が残した技術の責任者だ』


『……せいぜい、世界をぶっ壊さねぇように扱えよ』


プツリ、と音声が途切れる。


静まり返った工房の中で、アレンは自らの左手を固く握りしめた。


アレンは、初めて気づいた。

クロムは逃げたんじゃない。

世界から隠れるために、工房へ閉じこもっていたんじゃない。


クロム・ヴァルガスが本当に恐れていたのは、技術そのものではなかった。

力を手にした人間が、間違った未来を選ぶことだった。


クロムは世界を信じたわけじゃない。

ただ一人だけ――自分が認めた弟子なら、この力を正しく使えると信じたのだ。


暗闇の奥から吹き抜ける冷たい風を受けながら、アレンはゆっくりと地下への一歩を踏み出した。




(第80話:『鋼鉄の継承者』・完)

次回「第81話:『開扉』」へ続く

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