第79話:『鋼鉄の罪』
その名が響いた瞬間、工房の空気が変わった。
アレンにとって、その名は不器用で、しかし誰よりも誇り高き師匠だった。
だが、エヴァンにとっては違う。
「……お前は、あの男を師匠と呼ぶのか」
「そうだ」
「ならば覚悟しろ」
エヴァンは静かに、しかし冷徹な宣告を告げる。
「お前が尊敬している男は、かつて世界で最も多くの人間を救った技術者だ」
一拍。
「同時に……最も多くの未来を奪った罪人でもある」
アレンの脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックのように蘇る。
初めて魔導義手を装着した日のことだ。
冷たい金属が骨に馴染む激痛の中で、歯を食いしばるアレンの手を、老人のゴツゴツとした手が包み込んでいた。
『痛ぇか?』
そう聞いたクロムに、アレンは震える声で答えた。
『……平気だ』
すると老人は、煙草の煙を吐き出しながら鼻で笑った。
『嘘が下手だな』
ぶっきらぼうな声。酒と鉄の匂い。だが、その手は誰よりも慎重で、温かかった。
――あの背中が、世界を揺るがした「最大の反逆者」だったというのか。
「どういうことだ……」
アレンが掠れた声を絞り出す。
「師匠は、ただの職人じゃなかったのかよ」
エヴァンは冷ややかに首を横に振る。そこに怒りはない。あるのは、歴史の真実を告げるような乾いた声だけだった。
「あの男は、第七工廠最大の功労者であり……最大の反逆者だ」
「反逆者……?」
「そうだ。第七工廠が国家の兵器工房として全盛期を誇っていた頃、その内部からシステムを内側崩壊させた男。それがクロム・ヴァルガスだ」
エヴァンは視線を上げ、アレンの真っ直ぐな瞳を容赦なく捉えた。
「第七工廠が求めたものは、ただ一つだった。
敗北を知らない兵士……壊れることのない肉体だ。
あの男は、そのための魔導義手を誰よりも完璧に設計した。……だが、完成した瞬間に気づいたのだ」
エヴァンの言葉が、静まり返った工房に重く響く。
「人間を救うために作った技術が、人間を壊すために使われる未来にな」
「――っ」
「だから奴は奪った。設計図も、研究資料も、可能性も。すべてを闇に葬り、工廠の心臓部を破壊して逃亡した」
エヴァンは冷徹な視線をアレンに固定したまま、さらに言葉を重ねる。
「奴は未来を奪った」
エヴァンの声が、低く沈む。
「研究者たちが何十年も積み上げたものを……一夜で消した。救われた命もあっただろう。だが同時に、奴の手で失われた可能性もある」
「多くの命を救うために、世界を敵に回してな。数え切れないほどの夢と犠牲を踏みにじり、組織の秩序を完全に破壊した。……それが、あの男が背負った罪だ」
エヴァンはわずかに視線を逸らし、その眼鏡の奥の瞳に複雑な陰を落とした。
「……俺は、あの男を許してはいない。憎んでいる。だが同時に……その圧倒的な才能と覚悟を、認めざるを得なかった」
「……違います」
静まり返った工房で、それまで押し黙っていたエレノアが、小さく、しかしはっきりと声を震わせた。
アレンが驚いたように振り返る。エレノアは両手を固く握りしめ、エヴァンを睨みつけていた。
「私は……その資料を読んだことがあります」
エレノアの指が、かすかに震えていた。
「何度も夢に出てくるほど、あの記録を読みました。……クロム・ヴァルガスは確かに罪を犯した人間です。ですが、彼が壊したものだけを見て、彼が守ったものを見ないのは間違っています。あのまま第七工廠が暴走していれば、どれだけの人間が『生きた兵器』として消費され、命を散らしていたか……!」
「現場を知らない学者が、犠牲を語るか」
エヴァンは一瞥すら向けず、冷たく切り捨てた。
「犠牲を恐れた者が、より大きな破滅を招く。歴史とはそういうものだ。クロムが隠した火種が、いまこうしてこの辺境の工房で、再び世界を焼き尽くそうとしているように」
アレンは拳を強く握りしめた。
片足を失い、辺境の片隅で泥にまみれながら、酒を呑み、愚痴をこぼし、それでも黙々と鉄を叩いていたあの老人の姿。
「……だから、隠居したのかよ」
アレンが絞り出すように呟く。
「すべてを闇に葬り、二度と技術を表に出さないために、あんなボロ工房で……」
「ああ。だがな、アレン」
エヴァンは再び冷徹な視線をアレンに戻し、スッと身を詰めた。
「クロムは最後まで間違えていた」
「……何だと?」
「技術は隠せば終わると思っていた。どれほど深い闇に埋めようとも、火種さえ残っていれば、いつか必ず誰かの手に拾われる」
エヴァンの視線が、その左手へと滑り落ちる。
「だが違った。技術は――」
エヴァンは一瞬、言葉を止めた。
「継ぐ者が現れた瞬間、再び世界に戻る」
エヴァンはゆっくりと顔を上げ、アレンの目を直視した。
「お前が、その証明だ」
「クロムが死んだ今、彼の罪を継いだのはお前だ。……アレン」
冷たい宣告が、工房の空気を凍りつかせる。
だが――。
アレンはゆっくりと顔を上げた。その表情に迷いはない。
「師匠は……確かに間違えたのかもしれねぇ」
アレンの低い声が、静寂に響く。
「誰かを傷つけ、多くのものを切り捨てたのかもしれねぇよ」
「……ふっ、ならば罪を認めるか」
エヴァンの言葉を遮るように、アレンは首を横に振った。
「だがな……俺が見たクロム・ヴァルガスは、最後まで人間を諦めなかった」
アレンはゆっくりと左手を持ち上げ、その五本指を力強く握りしめた。
ガキィッ、と金属が噛み合う重い音が、工房の空気を切り裂く。
「俺が継いだのは……あの人が最後まで捨てなかったものだ」
アレンの瞳に、揺るぎない光が宿る。
「技術じゃねぇ」
「人を救いたいっていう、あの人の意志だ」
その言葉を聞いた瞬間、エヴァンの眼鏡の奥の瞳が、深く見開かれた。
その瞬間。
遠く離れた、王都の地下深く。あるいは世界のどこかに隠された、漆黒の管理室。
古びた魔導通信機が、冷たい青白い光を淡く灯した。
『――確認しました』
無機質な音声が、暗闇に響く。
『魔導義手、完全起動』
『適合者を確認』
『識別名――アレン・ヴァルハイト』
『第七工廠、再始動条件――達成』
『封印機巧群、解放準備へ移行します』
通信の向こうから、冷徹な男の低い声が重なった。
「……やはり、お前は正しかったのかもしれんな……クロム・ヴァルガス」
男はモニターに映るアレンの姿を見つめ、微かに目を細めた。
「お前が残した最後の遺産が、ようやく目を覚ました」
静まり返ったモニターの群れに、いくつもの赤い警告灯が、まるで血のように点滅し始めた。
(第79話:『鋼鉄の罪』・完)
次回「第80話:『鋼鉄の継承者』」へ続く




