表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第3章:設計思想編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/83

第67話:『歪んだ鏡』

 工房の仕掛けを、アレンは朝から片端から調べ上げた。

 壁の隙間、床板の裏、果ては天井の梁に至るまで、盗聴や遠見の魔導具、あるいは微小な式神の類が潜んでいないか、血眼になって探し回った。


 ──だが、何も出てこなかった。


 魔力の痕跡すら、ただの一筋も残っていない。

 そこでアレンは真実に思い至り、血の気が引くのを感じた。


(監視してんじゃねぇ……。あいつは、俺の思考を……俺の癖を、計算してやがるんだ)


 アレンがどこを見つめ、どこで迷い、何秒後にどう動くか。ハインリヒはアレンという人間の「職人としての思考回路」を完全に把握し、その予測に基づいてあの文字を浮かび上がらせていたのだ。

 姿なき影に脳内を覗き込まれているような不気味さを抱えたまま、アレンは作業台に腰を下ろすしかなかった。



「アレンさん、おはよう!」


 昼前、元気な声とともに工房の扉が開いた。

 やってきたのは、近所に住む老船大工のトーマスだった。数年前、事故で右腕を失い、クロムが作った義手を愛用している常連だ。傍らには、幼い孫娘が嬉しそうに寄り添っている。


「トミーじいさんか。今日はどこが痛む?」


「いやぁ、肘の関節部分がな、少しキーキー鳴るんだ。油を注して調整してもらおうと思ってね」


 アレンは手早く道具を取り出し、老人の義手の分解点検を始めた。


 内部の摩耗した歯車を交換しようと、ピンセットを差し向けた──その瞬間だった。


(……いや)


 脳裏に、あの真鍮板の完璧な回路図が掠める。

 (この程度なら……あのバイパス回路を組めば、歯車による摩擦そのものをゼロにできる。部品の定期交換すら不要になるはずだ……)


「……っ」


 アレンの手がピタリと止まる。

 頼まれてもいないのに、無意識のうちにハインリヒの「最適化」を思考の選択肢に入れていた自分に気づき、冷や汗が吹き出した。


「どうした、アレンさん?」


「……いや、なんでもねぇ。ただの摩耗だ。新しい歯車に替えるぜ」


 アレンは思考を振り払うように声を張り上げた。そんなアレンの様子に気づくこともなく、トーマス老人はふんわりと目を細めた。


「クロムさんはな……『重いか?』って、何度も何度も聞いてきたよ。俺が『ちょうどいい』って答えるまで、あの人は一度も『完成した』とは言わなかった。この義手は少し重い。……だがな、この重さがあるからこそ、こうやって孫の手を握ってるときに『ああ、今俺はあいつの手を握れてるんだ』って、しっかり実感できるんだ」


 老人は義手で愛おしそうに孫の頭を撫でた。孫娘も嬉しそうに、その無骨で不便な義手に頬を寄せている。


「……っ」


 アレンの胸の奥が、強く突かれたように痛んだ。


 性能を上げること、摩擦を削ること──それが技術者の「正解」だと、アレンはずっと信じてきた。だが、この老人にとってはこの「重さ」と「不完全さ」こそが、人と人を繋ぐ温もりなのだ。


「アレン、お茶が入ったわよ」


 奧から出てきたエレノアが、トミー老人と孫娘に温かい紅茶と焼き菓子を差し出す。

 孫娘が楽しそうに笑い、エレノアも和やかに微笑み返す。工房を包む、穏やかで幸福な日常の空気。


 アレンはその光景を見つめ、静かに息を吐いた。

 胸のポケットに手をやり、クロムの手紙の羊皮紙に触れる。親父の作ってきたものは、間違っていなかった。性能だけが義手じゃない。


 ──その時だった。


 胸ポケットの奥で、カチ、と微かな音がした。


 羊皮紙の隣に仕舞い込んであった真鍮板。

 アレンはエレノアたちに背を向け、ポケットの中で指先だけで真鍮板の表面をなぞった。


 新たな、細く鋭い刻み傷。


『修理とは、完成を諦める技術だ。』


「……ッ!」


 アレンの息が止まった。


『人間は完成できない理由を愛と呼ぶ。』


 ハインリヒの冷徹な文字が、アレンの脳裏へ直接突き刺さる。


(違う……!)


 アレンは心の中で激しく否定した。


「アレン? どうしたの?」


 エレノアが不思議そうにアレンの顔を覗き込む。


「……いや、なんでもねぇ。トミーじいさん、油を注し直して歯車も替えたぜ。これでまた調子よく動くはずだ」


「おお、ありがとうアレン! やっぱりクロムさんの弟子だな!」


 老人は満足そうに笑い、孫娘と手を繋いで帰っていった。

エレノアも笑顔で見送っている。


 愛する人の笑顔と、温かな日常。

 自分はそれを守ったはずだった。


 なのに、胸の奥には勝利の実感が欠片も残っていなかった。


 老人の笑い声が、工房の外へ少しずつ遠ざかっていく。

 静寂だけが残った。


 アレンは、ゆっくりとポケットへ手を入れた。

 真鍮板を取り出し、ひっくり返す。


『君は今日、三度ためらった。』


 アレンは息を止めた。

 終わったはずの文章の下へ、音もなく、新たな刻み傷が走る。


『一度目より、三度目の方が短かった。』




(第67話:『歪んだ鏡』 ・ 完)

(次回「第68話:試される境界」へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ