第63話:『器の資格』
「アレン、ダメよ! 今すぐそれを離して!」
深夜の工房に、エレノアの悲鳴に近い叫びが響く。
激しく拍動する黒い鉄。それに呼応して、アレンの『魔導義手』は鈍い銀色の装甲の隙間から、見たこともない赤黒い熱光を放ち始めていた。
「アレン! 早く! 王宮の結界魔導士を呼ぶわ、私の魔力なら一時的に時間を稼げる、だから──」
「呼んでどうする」
アレンの声は、奇妙なほど冷えていた。
義手から伝わる異常な熱量に、アレンの額から、だらだらと冷たい汗が流れ落ちる。だが、その視線は右手に掴んだ黒い鉄から、一瞬たりとも逸れていなかった。
「これだけの封印構造を必要とする『何か』だぞ。王宮の腰抜けどもがのこのこやってくる頃には、この地区ごと奈落の底だ。……それに、エレノア」
アレンは義手に走る焼け付くような痛みに、奥歯を噛み締めた。
「こいつは、鳴ってるんじゃねぇ。……職人を呼んでやがるんだ」
「な……、何を言って──」
「なら、応えるのが職人だ。……下がってろ。もし俺の読みが外れてりゃ、一瞬でこの工房ごと吹き飛ぶぞ」
アレンは大きく息を吸い、腹をくくった。
右手の義手に、自らの内に眠る規格外の魔力を──無理やり、しかし極めて精密に注ぎ込んだ。
ドクン、と。
脳髄を直接揺らすような強烈な衝撃が、アレンの意識を侵食する。
だが、襲ってきたのはドス黒い呪いでも、神代の怨念でもなかった。
──零。
──十六万三千八百。
──マイナス四十二。
アレンの脳裏を埋め尽くしたのは、天文学的な羅列の数字。そして、頭が割れそうな速度で展開されていく、幾何学的な三次元の『線』と『記号』の群れだった。
「……っ、ぐあ……!」
流れ込んでいるのは記憶ではない。
これは──あまりにも巨大な、封印の設計図そのものだ。
内側から膨れ上がるエネルギーの熱量を、第一層の金属の膜が受け止め、左方向へスライドさせて力を殺す。
逃げ場を失った衝撃が、今度は右方向の第二層へ。
第三層、第四層、第五層……。
その循環は終わらない。
永久に壊れぬ檻であるために。
何万枚もの積層構造が、まるで精緻な歯車のように噛み合い、それぞれの膜が、それぞれの膜を逃がしながら、超高密度のエネルギーを「段階的に減衰」させていく。
その驚異的な回路設計を、アレンの脳が、職人としての目が、一瞬で「読み解いて」いく。
「……おいおい、正気かよ」
アレンの口端が、引きつるように持ち上がった。
かつてこれを設計した神代の職人は、完全に狂っている。この圧倒的な魔力の減衰サイクル。ただ力で押さえつけるのではなく、相手の力を利用して相手の力を殺し続ける、永久の檻。
だが、その完璧な設計も、経年劣化と、内側から加えられた「ある致命的な一撃」によって、回路の一部が歪み、減衰サイクルが崩壊しかけている。
だからこそ、行き場を失った魔力が、今まさに外へ炸裂しようとしているのだ。
「エレノア! 補助に回れ! 触媒回路、第二、第五をバイパス接続! 黒い鉄の『歪み』を、俺の義手へ逃がす!」
「なっ、そんなことしたら、あなたの義手が──」
「いいからやれ! 構造は全部見えた! 減衰の通り道を、俺の義手で一時的に『肩代わり』するだけだ!」
エレノアは一瞬だけ躊躇し、しかし即座に覚悟を決めてアレンの背後に回った。彼女の放つ極彩色の魔力が, アレンの肩を伝い、義手の深部へと滑り込んでいく。
「接続……! いけ、アレン!」
「おおおおおおおッ!」
アレンは義手の可動膜の遊び(クリアランス)をスライドさせ、黒い鉄の『歪み』と噛み合わせた。
超古代の職人が作った、気の遠くなるような封印の数式。
そこに、アレンの「職人としての技術」と、クロムが遺した「魔導義手の制御回路」が、カチリ、とパズルの最後のピースのようにはまり込む。
神代の職人が施した檻の思想を、今、この時代の職人──アレンが、理解し、上書き(オーバーライド)した。
ギギギ、と鉄と鉄が噛み合うような、不気味な金属音が工房に響き渡り──。
そして。
ぷつり、と。
すべての拍動が、嘘のように止まった。
深夜の静寂が、再び工房へと戻ってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
アレンは膝をつき、肩を大きく揺らして荒い息を吐いた。
机の上の黒い鉄は、先ほどまでの狂気的な胎動が幻だったかのように、ただの冷たい、だが以前よりも一段と深い、吸い込まれそうな漆黒の輝きを放って静まり返っている。
「アレン……? 大丈夫なの……?」
エレノアが、恐る恐るアレンの顔を覗き込む。
「……ああ。どうにか、止まった」
「今のは、一体何だったの。あの黒い鉄が、あなたを……その、新しい『持ち主』として認めた、とか……?」
おずおずとしたエレノアの問いに、アレンは自嘲気味に鼻で笑った。
「認める? 資格なんてもんじゃねぇよ」
アレンは立ち上がり、沈黙した鉄を見つめた。
「俺がただ、あの偏執的な設計者の思想を『理解』できただけだ。あいつが、この鉄にどんな仕掛けを施して、何を守ろうとしたのか……。回路を繋いで、ようやく分かった」
だが、その代償は軽くない。
アレンは、己の右腕──銀色の『魔導義手』を目の高さに持ち上げた。
「……おい、これ」
「え……?」
エレノアが息を呑む。
アレンの義手。その鈍い銀色の装甲の表面に、まるで生き物のように蠢いた形跡を残す、禍々しい「黒い紋様」が、一本のひび割れのように、深く、不可逆的に刻み込まれていた。
指先を、ゆっくりと動かそうとする。
……動く。
だが、関節のクリアランスに、以前にはなかった「わずかなラグ」が生じていた。
「魔力出力の制御精度が……少し落ちたな。クロムの親父が見たら、激怒して叩き直されるレベルだ」
アレンは顔をしかめたが、その瞳には、落胆よりも、さらに深い暗雲が立ち込めていた。
「アレン、その顔……。まだ、何かあるのね?」
「……ああ」
アレンは羊皮紙に目を落とした。
黒い鉄から読み解いた減衰率、その極限値の数式。
「あの檻の構造は、完全に生きている。一時的に狂った歪みも、俺が今、応急処置で直した。……だが、それだけだ」
「それだけって……どういうことよ?」
「構造は生きているが、内側の減衰システムには、何の負荷もかかっちゃいねぇ。計算が合わねぇんだ。つまり──」
アレンは、冷え切った声で、最悪の事実を告げた。
「この檻は、とうの昔に内側の囚人を逃がしたあとの……ただの『もぬけの殻』だ」
エレノアの身体が、微かに震えた。
「じゃあ……中にいたはずのものは、一体、どこへ消えたの?」
「分からねぇ」
アレンは、黒い紋様が刻まれた己の義手を見つめる。
もし、この中にいた『何か』が、すでに世界のどこかを歩いているのだとしたら。
──そして、なぜ、自分の義手だけが、その檻の残骸に『応えた』のか。
(第63話:『器の資格』 ・ 完)
(次回「第64話:囚人の行方」へ続く)




