第62話:『設計の意図』
──違う。こいつは外から壊されることを、これっぽっちも恐れてくれちゃいねぇ。
アレンのその呟きは、深夜の工房の冷え切った空気に、奇妙なほど重く沈んだ。
「……違うって、何がよ?」
徹夜の付き合いで眠気に襲われていたエレノアが、椅子の背もたれから身を乗り出す。その目はまだ、アレンが描き殴った羊皮紙の図面を捉えきれないでいる。
「エレノア、お前が知ってる一番硬い盾や鎧の構造を言ってみろ」
「え? ……そうね、王宮騎士団が使う魔導重装甲か、あるいは地竜の甲殻を使った複合盾かしら。どちらも外からの衝撃を完全に弾くか、あるいは内側のクッション層で段階的に殺す構造よ」
「そうだ。それが『防具』の絶対のセオリーだ。外から来る殺意を止めるために、外側を最も頑強にし、内側へ行くほど力を吸収・分散させる。衝撃も、熱量も、運動エネルギーも、すべては『外から内』へ向かって作用する。……だが、こいつの設計図を見てみろ」
「結晶の密度、膜の重なり方、衝撃を受け流すための『遊び』の配置……そのすべてが、中心部を起点にして、外側に向かってエネルギーを減衰させるように組まれている。もしこれを防具として身に付けたらどうなる? 外から殴られた衝撃は、減衰されるどころか、一番硬い中心部へ向かって増幅しながら突き抜けていく。装備者は一撃で肉塊だ」
アレンの冷徹な指摘に、エレノアは小さく息を呑み、言葉を失った。工房に、木炭が羊皮紙を削る不穏な音だけが響く。
「じゃあ……やっぱり、武器としての設計なんんじゃないの? 内側の魔力を外に放出するための──」
「それも違う。もしこれが魔力を刃として解き放つための『剣』や『杖』の構造なら、エネルギーを外側で『殺す』必要なんてない。むしろ一歩間違えれば、出力した魔力が自分の手元で四散して自爆する。魔導炉のチャンバー(燃焼室)だとしても、これほど多層的な『遊び』は不要だ。エネルギーを効率よく一方向に指向させるべきだからな」
アレンの指先が、羊皮紙の上を狂気的な速さで滑っていく。
武器ではない。
防具ではない。
既存のあらゆる魔道具の、どのカテゴリーの設計思想とも、根本から牙を剥き合っている。
「じゃあ、何よ……。これだけの技術を使って、一体何のために作られたっていうの?」
エレノアの声に、明らかな焦燥が混じる。
アレンは答えなかった。
ただ、じっと自分の両手を見つめていた。
……いや。
正確には、鈍い銀色の光沢を放つ、クロムの遺作──己の『魔導義手』を。
その光景に、アレンの脳裏を、かつて煤けた工房で交わした師との小競り合いがよぎる。
まだアレンが、ただがむしゃらに槌を振るっていた頃の記憶だ。
──『クソ親父! なんでこの素材、いつまで経っても叩かせねぇんだよ! 火床の温度は最適、槌の角度も完璧だろ!』
──『馬鹿が。耳をすませ、坊主。素材がなぜその形になりたがっているのか、そいつを作った神様の頭ん中を覗きにいくんだよ』
──『は? 鉄が喋るわけねぇだろ!』
──『喋ってるさ。こいつはな、外から無理やり形を変えられるのを拒絶してやがる。いいか、アレン。本当にヤバい素材ってのはな、何かを外に引きずり出そうとしてるか、あるいは、内側に何かを必死に押し留めようとしてるかのどちらかだ。職人の都合で叩くんじゃねぇ。そいつが何を『耐えようとしているのか』を見極めろ』
あの時、クロムがニヤリと笑いながら叩いていたのが、まさにこの『魔導義手』の基部だった。
「……そうかよ、親父」
アレンは自嘲気味に呟き、義手の指先を動かした。
この『魔導義手』は、アレンの規格外の魔力を「増幅」するためのものではない。アレンというバケモノの出力を、肉体が焼き切れないように、内側から精密に制御し、暴走を「抑え込む」ための檻なのだ。
クロムは、この黒い鉄の正体を知らなかったはずだ。
それなのに、あの偏屈な天才は、職人としての純粋な行き止まりの果てに、この鉄と全く同じ『思想』へ、自力で指先をかけていた。
「アレン?」
不安そうに顔を覗き込んでくるエレノアを見据え、アレンは静かに口を開いた。
「エレノア。守ってるんじゃないんだ」
「……え?」
「閉じ込めてるんだよ」
しんと、工房の空気が凍りついた。
「内側から発生する神代級の魔力暴走を、何万枚もの金属の膜で段階的に減衰させ、周囲へ漏れ出る前に殺し続けるシステム。……これは、何かを封じるための器だ」
アレンは素早く羽ペンを手に取り、羊皮紙の余白に、この積層構造の限界可鍛性と、エネルギーの減衰率を逆算する数式を書き殴っていった。
計算が進むにつれ、アレンのペン先が目に見えて強張り、やがてガタガタと震え始める。
「……おい、冗談だろ」
「アレン? 顔色が悪いわよ、どうしたの?」
アレンは羊皮紙を見つめたまま、喉の奥を鳴らした。背筋を冷たい汗が、一筋、激しく伝い落ちる。
「……内側で眠ってるエネルギーが、一瞬で外部に指向性を持たずに炸裂する。王都の東区画──いや、あの頑強な三重城壁ごと、根こそぎ奈落へ抉り飛ぶぞ」
「なっ……!?」
エレノアの顔から、一瞬で血の気が引いた。彼女はたまらず、机の上の黒い鉄から半歩、後ずさりする。
「これほどの異常な封印構造を必要とするものが、ただの魔道具であるはずがない。中に封じられていたものは、少なくとも、かつて一つの国家を容易に揺るがしたはずの存在だ」
アレンは、震える手で黒い鉄をそっと指先でなぞった。
今やそれは、ただの希少な金属などではなかった。いつ目覚めるとも知れない、世界の過去の遺物が遺した、あまりにも冷徹な『檻』の残骸。
最強の武器を作ろうとしたのではない。
遥か昔の作者は、これ以上ない【最強の封印】を、この鉄で編み上げたのだ。
その時だった。
ピクリ。
アレンの意志とは無関係に、銀色の義手が、不気味に、確かに一度だけ震えた。
「……っ!?」
アレンは反射的に、震える義手を右手で強く掴んだ。
何もしていない。魔力も流していない。それなのに、義手はまるで黒い鉄の呼気に応じるように、内側から熱を帯び、生き物のように深く拍動していた。
──その瞬間。
机の上の黒い鉄の表面に、アレンの義手の熱に呼応するかのように、ほんの一瞬だけ、生き物めいた鼓動が走った。
──なら、この鉄は。
かつて、一体何をその内側に封じ込めていた?
……そして、なぜ義手は、それに応えたのか。
(第62話:『設計の意図』 ・ 完)
(次回「第63話:器の資格」へ続く)




