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『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第3章:設計思想編

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第59話:『胎動』

 深夜、工房の傾いた屋根の上に、アレンは一人で座っていた。

 風は冷たく、街の灯りはとうに消え失せている。見上げる夜空は吸い込まれそうなほどに黒い。


 その漆黒の虚空の、さらに奥底。

 人々の目には決して映らない境界の向こう側に、ぽつりと、針の先で突いたような紅い点が浮かんでいた。


 はしごを登る静かな足音がして、夜着の上に薄い上着を羽織ったエレノアが顔を出した。隣に腰を下ろし、アレンと同じ空を見上げる。


「また見てるの?」


「見てねぇ」


 アレンは視線を微動だにさせず、木炭の破片を握った左手を、目の前の羊皮紙の上でわずかに滑らせた。


「……測ってる」


「神様を?」


「神は規則正しい。一度動けば、必ずそこに対称性と周期が生まれる。市場での『新律』の暴走、あの後にこいつが動いた位置、瞬きの速度……全て数字に置き換わる。恐怖ってのはな、正体が分からねぇから恐怖なんだ。構造システムだと分かれば、それはただの『設計図』だ」


 エレノアはアレンの横顔を見つめた。神という絶対的な絶望を前にしてなお、この男の目は、ただの『不良品』を検品するかのように冷徹で、そして底枯れた熱を孕んでいる。


「あまり根を詰めないでね。……まだ右肩の糸、抜いてないんだから」


「分かってる。明日、街へ行くぞ」


「え? 新しい義手の素材探し? でも、市場の仕入れはまだ混乱してるわよ」


「鉄は十分だ。だが、鉄をどう組むかを教えてくれる先生は必要だ」

 アレンは羊皮紙に描かれた、奇怪な幾何学模様──第三世代の設計思想を指先でなぞった。

「欲しいのは鉄じゃねぇ。答えを知ってる構造だ」


     ───


 翌日、二人が訪れたのは、華やかな中央市場ではなく、街の最外縁に位置するジャンクハル(廃棄区画)だった。

山と積まれたガラクタ、錆びついた古い馬車の車輪、出所の分からない金属片が放り出された泥の路地。


そこを歩くアレンの姿を見つけて、周囲の回収業者たちが、クスクスと下品な笑い声を漏らした。


「おい、見ろよ。市場の英雄サマがお出ましだぞ」


「自慢の魔導義手が壊れて、今度はゴミ拾いか? 落ちぶれたもんだな」


刺さるような嘲笑。

だが、アレンの耳には、彼らの言葉など羽虫の羽音ほどにも届いていなかった。


「アレン、あれ」


エレノアが指さした先には、何十年も前に廃棄され、半分泥に埋もれた巨大な水車の歯車があった。


アレンは引き寄せられるように歩み寄り、泥の中に膝をついた。

左手の指先で、ひび割れた木と、それを補強する歪な鉄の噛み合わせをじっくりと撫でていく。


「これだ……」


「その歯車を使うの?」


「何百年も壊れず回ってたってことは、それだけ理由がある。職人が計算したわけじゃない。回り続ける中で、世界の歪みをいなす『逃げ道』が、この不揃いな噛み合わせの中に自然と出来上がってる。こいつは、生き残った構造だ」


アレンは懐から工具を取り出すと、水車の中心部から、摩耗しきった真鍮の芯ピンを静かに抜き取った。


「相変わらず、気味の悪い目でゴミを見るねぇ、坊主」

背後から、ひび割れた低い声が響いた。

振り返ると、煤けた革のエプロンをまとい、片目を濁らせた50代ほどの老人が、壊れた荷車に腰掛けて煙草を吹かしていた。このジャンクハルを仕切る「ゴミ屋」、ガスパールだった。


街の住人たちは彼を浮浪者同然に扱うが、アレンは手の中のピンを握ったまま、ガスパールの背後に積み上げられた奇妙な鉄の山を見据えた。


「ゴミじゃねぇ。宝の山だ」


アレンの言葉に、ガスパールは一瞬だけ目を見開き、それから、欠けた歯を見せてニヤリと笑った。


「見る目があるな、坊主。……だがな、本当に『宝』と『ゴミ』の区別がついてるか?」


ガスパールはアレンが掴んでいるピンを指差した。


「そのピンの、どこに惚れた」


「摩耗の偏りだ。普通の職人は均等に削るが、これはわざと重心をコンマ数ミリずらしてある。だからこの水車は、軸が歪んでも回り続けられた」


アレンが即座に答えると、ガスパールは深く煙を吐き出し、満足そうに目を細めた。


「……合格だ。お前だけだよ、ここをそんな目で見るのは。付いてきな。本当の『ガラクタ』を見せてやる」


     ───


ガスパールの薄暗い作業小屋の奥。埃の舞う空間に、ずしりと重い、古びた木箱が置かれた。

ガスパールが乱暴にその蓋を開けると、中から現れたのは、煤とも錆とも違う、鈍い漆黒を放つ一塊の金属片だった。


アレンは何も言わず、その黒い鉄を左手で拾い上げた。

狂おしいほどの重量が、掌を押し潰すように伝わってくる。


アレンはそれをじっと見つめた。

指先で、ざらついた表面をなぞる。

窓から差し込む、わずかな斜光にかざす。

目を細めたまま、静かに、裏返した。


小屋の中に、肌がヒリつくような沈黙が流れる。

アレンの黒い瞳が、その金属の「断面」を捉えた瞬間、わずかに細められた。


「……違う」


エレノアが顔を覗き込む。


アレンは、断面に刻まれた、肉眼では捕捉できないほど微細な線を、指先で確かめるように追っていた。


「流れてる」


「流れてるって、鉄が?」


「自然にできた結晶じゃねぇ。叩かれ、引き伸ばされ、一定の方向に向かって、金属の組織が綺麗に揃ってる」


アレンは視線を上げ、ガスパールを冷徹に睨み据えた。

「……これ、誰かが作ってる」


アレンは何も言わなかった。

黒い鉄を握る左手に、ゆっくりと力が宿る。


そのアレンの言葉と視線を受け、ガスパールは満足そうに鼻を鳴らし、新しくパイプに火をつけた。


「気づいたか。そいつはな、空から降ってきた隕鉄じゃねぇ。地下の奥深く、古い地層から掘り出されたもんだ」


アレンは黒い鉄を見つめたまま、呟いた。


「誰も、こいつを持っていかなかったのか」


ガスパールは煙の向こうで、不敵に目を細めた。

「違うさ。街の腕利きの鍛冶師どもが総出で寄ってたかって、魔導の炎で炙ろうが、最高の槌で叩こうが、傷一つ付けられなかった」


老人は、ニヤリと欠けた歯を見せて笑う。


「傷一つつけられなかった」

「誰も──加工できなかったんだよ」


アレンは答えなかった。


黒い鉄を見つめたまま。


その口元だけが、ほんの僅かに笑っていた。




(第59話:『胎動』 ・ 完)

(次回「第60話:黒い鉄の解析」へ続く)

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