第56話:『身代わり』
市場に転がるガラクタを、アレンは慣れない左手で次々と拾い集めていた。
八百屋の鉄製の秤、魚屋の錆びた鎖、時計屋の切れたゼンマイ、パン屋のカウンターにあった真鍮の錘、そしてバラバラになった樽の鉄帯。
「アレン、こんな時に何してるの……!? あと30秒もないのよ!?」
凍りついたおばあさんの横で、エレノアが焦燥に声を裏返らせる。だが、アレンの目は驚くほど冷徹に、それらのガラクタの「重さ」と「形状」だけを測量していた。
「材料を集めてる」
「は……?」
「人間が必要なんじゃねぇ」
アレンは拾い集めた鉄の塊を、おばあさんの足元──神の制御線が集中する「結節点」へと乱暴にぶちまけた。
「必要なのは……この重さ(荷重)だけだ」
アレンの右肩から、再び鈍い金属音が鳴る。
第二世代義手──その無骨な指先が、市場の鉄クズたちを「文字通り」組み替え始めた。作るのは人形ではない。人間の形など、神のシステムには不要だ。必要なのは、この空間の歪みを支える、完璧な「抵抗体」だ。
だが、組み上げるアレンの指が、一瞬だけ止まる。
「……チッ、魚屋の鎖じゃ、あと三ミリ長さが足りねぇ」
「えっ!? じゃ、じゃあ足りないの!?」
エレノアが悲鳴を上げる。タイムリミットの数字が脳内でゼロへ向かって加速していく。
しかし、アレンは動じない。すぐ横の作業台に突き刺さっていた、魚屋の肉厚な出刃包丁へ視線を落とした。
「炭素鋼か。焼きが深く入ってやがる──なら、綺麗に割れる」
アレンは迷わず包丁の峰を掴むと、第二世代義手の万力のような指で、横方向へ一気に力を込めた。
パキィン──ッ!!!
硬質な金属音が市場に響き、包丁の刃先が鋭利な三角形の破片となって弾け飛ぶ。アレンはその破片を左手でキャッチすると、隙間の空いた鎖の継ぎ目へと、迷わず「楔」として打ち込んだ。
硬く、一切歪まない鋼の破片が、足りなかった三ミリの空間を完璧に埋め尽くす。
「現場に図面を合わせるんじゃねぇ。手持ちの材料に設計を合わせるんだよ」
ガチ、カチリ。
おばあさんの足元に、市場の部品だけで構成された、不気味で無骨な「鉄の三脚」が、寸分の狂いもなく落成した。
『──制限時間、残り10秒──』
『──走査完了。これより対象個体の完全固定を──』
「エレノア、おばあさんを引っ張る準備をしておけ。……いくぞ」
アレンは自ら鉄の三脚を抱え、おばあさんの影が伸びる制御線の隙間へと、深く身体を滑り込ませた。
残り5秒。
アレンが三脚の尖端を「結節点」に押し当てた瞬間、世界中の重力が右腕一本にのしかかってきたかのような、凄まじい空間圧力がアレンを襲った。
「ぐ、おっ……!」
アレンの膝が激しく揺れ、床にめり込む。鉄とワイヤーだけで作られた第二世代義手が、悲鳴のような高音を発して激しく軋んだ。
摩擦と圧力で、義手の隙間からシュウと金属の焼ける嫌な臭いが立ち上る。ボルトが一本、耐えかねて弾け飛んだ。同時に、生身の右肩の結合部から、ぷつぷつと皮膚が裂けて血が滲み出す。
だが、アレンは狂気すら孕んだ目で歯を食いしばり、鉄の三脚をミリ単位の狂いもなくその一点へ固定し続けた。
「いま、引けぇッ!!」
残り2秒。
エレノアが泣き叫ぶような声を上げ、おばあさんの細い身体を全力で後ろへ引き抜いた。
空間から「人間」という質量が完全に消失した。その刹那、空から降り注ぐ調停者のシステム音が、無機質に、あるいは淡々と「完了」を告げた。
『──固定対象の消失を検知。……直後に同等の質量(荷重)を検知──』
『──荷重確認……正常。固定、維持──』
「やった……!?」
エレノアがおばあさんを強く抱きしめたまま、小さく息を呑んだ。
世界が、しんと静まり返る。
一秒。
二秒。
三秒。
誰もが安堵の糸をほどきかけた、その時だった。
──カチ。
──カチ。
カチカチカチッ──!!!!
突如、市場の空間から、鼓膜を引き裂くような高速のエラー音が鳴り響いた。
空から降り注ぐ調停者の声が、激しいノイズを伴って明滅する。
『──……誤差』
『──誤差、急速に増大。原因、不明。質量データは正常. しかし──』
神のシステムは、底なしの論理矛盾に陥っていた。
重さは同じ。だが、アレンが組んだ鉄の三脚の「噛み合わせ」によって、その重さが逃げていく方向──応力のベクトルが、神の初期計算式と完全に、決定的に異なっていた。
神は重量しか見ていない。だがアレンは、その重さがどう世界を支えるかという「構造」を書き換えていた。
神の設計が見落としていた”逃げ道”を、職人は現場の材料だけで作ってしまったのだ。
『──エラー。エラー。応力流の完全な制御を検知──』
『──これより、バグの根源を再スキャン──』
虚空に浮かぶ不可視の巨大な眼が、ガタガタと震えながら、泥臭い図面を握ったアレンという存在を凝視する。
『──カテゴリ【職人】の危険度を再評価──』
『戦闘危険度……0』
『──再計算中──』
『──既存の脅威カテゴリとの整合性を確認……不可能──』
『──大規模エラー──』
『総合危険度──【算出不能】』
虚空に浮かぶ巨大な眼は、もうアレンから一瞬たりとも視線を逸らさなかった。
(第56話:『身代わり』 ・ 完)
(次回「第57話:新律」へ続く)




