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『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第2章:境界崩壊編

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第50話:『閉ざされた一分の住人』

 夜が明けても、ジャンク屋の工房に灯るランプが消えることはなかった。

 昨夜からほとんど一睡もしていないアレンとエレノアの顔には、濃い疲労の色が刻まれている。しかし、二人の目に宿る鋭い光は、少しも衰えてはいなかった。

 アレンは赤くなった目をこすりながら、机の上の『測定器』の回路を組み替えていた。真鍮のレバーを操作し、倍率のダイヤルを大きく回す。


「アレン、次は出力を変えるの?」

「ああ。顕微鏡で覗くだけじゃ視野が狭すぎる。一定時間、この空間の壁を剥ぎ取って、向こうの音と映像をこの部屋に定着させるモードに切り替える」


 ジ、ジジジ……と、徹夜で削り直した真鍮の歯車が噛み合い、測定器が低く唸りを上げた。

 机の上の空間が陽炎のように歪み、そこに、あの色彩の狂った市場の光景が、陽炎のようなホログラムとなって浮かび上がる。


 そこに、再びあのおばあさんが現れた。

 おばあさんは身体だけはパンを並べる作業を続けながら、首だけをこちらへねじ曲げ、必死に口を動かしている。だが、測定器のスピーカーから返ってくるのは、酷い砂嵐のようなノイズにまみれた、途切れ途切れの声だった。


『……あ、なた……がた……は……?』

「おい、聞こえるか! そこはどこだ!」


 アレンが歪みに向かって吠えるが、通信は安定しない。


『……なん、にち……ぶり……誰かの……声……』

『外……なの……? そこは……まだ……外の世界……なの……?』


 おばあさんの断片的な言葉に、アレンは猛烈な違和感を覚えた。「何日ぶり」だと? 街から一分間が奪われたのは、昨夜のほんの一瞬のことだ。長く見積もっても、まだ数時間しか経っていないはずだった。


「エレノア、魔力を時計に集中させろ。同期の数値を弾き出す」

「ええ、やってみるわ……!」


 エレノアが息を詰めて測定器に手をかざすと、銀時計の針が激しく微動を始め、アレンが取り付けた真鍮の目盛り盤の針が、狂ったように右へと跳ね上がった。

 刻まれた同期の測定値──そこに示された数字を見た瞬間、アレンは言葉を失った。


【世界内経過時間:318日】


 エレノアは目盛り盤を何度も見直した。

「故障……じゃないわよね……?」

 アレンは無言で銀時計を外し、別の基準歯車を噛み合わせる。

 測定値は、一ミリたりとも動かなかった。

「……壊れてねぇ」

「……318日……? もう、そんなに経ってるの……?」


 エレノアが戦慄に唇を震わせる。アレンの側では、ほんの一分。だが、このガラス片の向こう側では、すでに三百日以上の歳月が流れているというのだ。


 アレンは無意識に、自分の左手を強く握り締めた。

 もし、このガラス片の中へ自分が落ちれば──次に誰かが助けに来る頃には、自分は何年歳を取っているのだろう。


『私たちは……』


 ノイズの隙間から、おばあさんの歪んだ声が再び響く。


『毎日……同じ、朝の、一分を……身体が……勝手に動いて……』

『春も……夏も……冬も……朝の光だけが、少しずつ変わっていった……』

『眠ることも……夢を見ることも……できない……。私たちは……閉じ込められて……もう、何ヶ月も……』


 ザザッ、と激しい遮断音がして、声が途切れた。

 アレンは驚愕に目を見開いたまま、職人としての冷徹なロジックで、その狂った構造を高速で組み立てていた。


「時間が止まってるんじゃねぇ。一分間だけ切り取られた世界が、檻として、独立して走り続けてるんだ……!」


 アレンは奥歯を噛み締め、低く呟いた。


「だから身体は、切り取られた一分の仕事を強制的に繰り返す。だが精神だけは、その檻の中で歳を重ね続けてる。……生きたまま、時間だけが積み重なる。なんて悍ましいシステムだ」


 街の人々が「何も気づかない」のは当然だった。気づくべき精神が、今もその一分の檻の中に置き去りにされ、一年近くの時間を孤独に生き続けているのだから。


 その時、陽炎の向こう側で、おばあさんの顔が恐怖に凍りついた。

 おばあさんはアレンたちではなく、自分の世界の「上空」──アレンたちからは見えない、何か巨大な影を見上げ、狂ったように叫んだ。


『来る……! 奴らが、来る……!!』


 直後、測定器が激しい悲鳴を上げた。

 ──ギギッ……!

 アレンの意思とは無関係に、彼の『真鍮の右腕』が、不気味な駆動音を立てて勝手に跳ね上がった。まるで、何者かに見えない糸で上空から強引に引っ張られたかのように。


 浮かび上がっていた市場の映像が一瞬で真っ黒に塗り潰される。

 プツン、という無音ののち、スピーカーから響いたのは、人間ではない機械的な音声だった。

...…

『──観測者を確認。エラーソースの排除を開始する』

...…

 バチィン!! と火花が散り、測定器の全機能が完全に停止した。

 己の腕を左手で強引に押さえつけたアレンとエレノアは、静まり返った工房の中で、ただ冷たい汗を流して立ち尽くしていた。




(第50話:『閉ざされた一分の住人』 ・ 完)

(次回「第51話:調停者の影」へ続く)

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