第5話:街で初めて“化け物扱い”される
「――我が王立魔導学園に、彼を特待生として招待します!」
高級な外套を翻し、頬を紅潮させて僕を指差すエレノア。
場末の工房にはあまりにも不釣り合いな「学園への招待」という言葉に、僕とクロムさんは完全に動きを止めていた。
「……おいおい、お嬢ちゃん」
沈黙を破ったのは、背負い籠をドサリと床に下ろしたクロムさんだった。鉄の仮面をずり上げ、あきれたように鼻を鳴らす。
「学園の特級クラス様が、うちの不器用なガキに何の用だ? そいつはさっき、マルコの置き時計を素手で肉団子に潰したばかりの粗忽者だぞ。学園に連れてって、今度は校舎の壁でも粉砕させる気か?」
「違うわ、親方! この時計を見て!」
エレノアは、僕が先ほど『デバッグ』したばかりの懐中時計をクロムさんの目の前に突き出した。
チッチッチッチ、と、あまりにも規則正しく、美しい刻限の音が響く。
クロムさんは怪訝そうにその時計を受け取り、片目に拡大ルーペをはめると、裏蓋を開けて内部を覗き込んだ。
その瞬間、老技師の肩が、ピシリと跳ね上がった。
「……おい、アレン。お前、これの『第一魔力パス』を弄ったな?」
「あ、はい。過負荷で真っ赤に焼けただれてたので、第二、第三の回路に魔力を散らして、詰まってたバグを消しました。外側は、絶対に傷つけないって約束したので……」
僕が小さくなって答えると、クロムさんは時計を持ったまま絶句した。
仮面の奥の瞳が、驚愕で激しく見開かれている。道具も使わず、ただ義手で触れただけで、学園の一級魔法具の内部回路を完璧にハッキングし、組み替えてみせたのだ。自分の作った『魔導義手』が、想像を遥かに超える化け物を生み出してしまったことを、師匠は一瞬で理解したようだった。
「信じられないわ……。これほどの異才、国の損失よ。今すぐ学園へ――」
「お断りします」
エレノアの言葉を遮ったのは、僕だった。
「え……?」
「僕は、学園には行きません。僕はクロムさんの弟子です。ここで、この右腕をちゃんと乗りこなして、いつかクロムさんみたいな一人前の職人になりたいんです」
僕は真鍮の右手を強く握りしめ、彼女の美しい瞳を真っ直ぐに見つめた。
魔法至上主義の学園なんて、僕にとっては僕を捨てた実家と同じ、息の詰まる場所に違いない。何より、絶望の淵から僕を救い、この素晴らしい腕をくれた師匠を置いていくなんて選択肢は、僕の中に一ミリも存在しなかった。
エレノアは信じられないというように息を呑み、それから悔しそうに唇を噛んだ。
「……そう。今の私の言葉じゃ、あなたを動かせないのね。でも、私は諦めないわ。その腕の技術、必ず学園の、ひいては我がローゼンベルク家の役に立つもの。……また来るわ」
彼女は僕の顔を強く睨みつけると、懐中時計をひったくるように奪い、嵐のように工房を去っていった。
「チリン」と寂しく鈴が鳴り、静寂が戻る。
「……アレン」
クロムさんが、ぽつりと僕の名前を呼んだ。その声は、いつになく重く、真剣だった。
「お前が俺を師と慕ってくれるのは嬉しい。だがな……バレちまった。お前のその『魔法を書き換える右腕』の異常性が、外の世界に見つかっちまったんだ」
「クロムさん……」
「エレノア嬢ちゃんは悪い奴じゃねえ。だが、あの一族が動けば、いずれ『教会』の耳にも入る。魔導回路を内側から勝手に書き換えるお前の力は、既存の魔法ルールに対する明らかな『異端』だ。……覚悟しておけよ」
その言葉の本当の意味を、僕は数時間後に、身をもって知ることになる。
夕方、僕はクロムさんに頼まれて、隣の通りの時計店へと向かっていた。
昼間に僕が「肉団子」にしてしまったマルコさんの置き時計の残骸を届け、謝罪するためだ。さすがに新品の時計を買うための弁償代は、クロムさんが進んで出してくれた。
「マルコさん、本当にすみませんでした……!」
時計店のドアを開けるなり、僕は深々と頭を下げた。左手で、ひしゃげた真鍮の塊をカウンターに置く。
店主のマルコさんは、僕の頭と、その鉄屑を交互に見つめ、それからゴクリと唾を飲み込んだ。
「……アレン。お前、さっきローゼンベルク家の令嬢の時計を直したってのは、本当か?」
「え? あ、はい。一応、中身の詰まりを直しただけなんですけど……」
「街の噂は早いな。学園のエリートが、場末の職人見習いに時計を直されて、驚愕のあまり気絶しかけたって、もうギルドの連中が大騒ぎしてるぞ」
マルコさんの目は、いつもの優しい常連の目のそれではなかった。どこか怯えるような、得体の知れないものを見る目が、僕の右腕へと注がれている。
彼は震える手で、僕が差し出した「潰れた置き時計」の残骸を拾い上げ、その隙間から内部を覗き込んだ。
エレノアと同じように、彼もまた、内側の『完璧すぎる論理構造』をその目で確かめたのだ。
「外側をここまで無残に破壊しながら、内側のギヤの噛み合わせだけを、ミクロン単位で完璧に修正してある……。道具の痕跡は一切ない。熱をかけた跡もない。……お前、どんな『呪い』を使った?」
「呪い、じゃなくて……デバッグというか、魔力で少し回路を整えただけで……」
「そんなことが人間にできるわけがないだろっ!!」
マルコさんが、突然、裏返った悲鳴のような大声を上げた。
長年、この街で真面目に時計を直してきた老職人の顔が、恐怖で引きつっている。
「機械ってのはな、職人が一生をかけて、指先を油まみれにして、少しずつネジを締めて動かすもんだ! それを、触れただけで、一瞬で中身を書き換えるなんて……そんなの、魔法ですらねえ! 奇跡でもねえ! 規律を乱す、化け物の業だ!!」
「マルコさん……?」
「帰ってくれ! 弁償代はいらねえ! その、気味の悪い腕を、二度と俺の店に持ち込まないでくれ!!」
突きつけられたのは、明確な拒絶だった。
僕は言葉を失い、ただ呆然とマルコさんの顔を見つめることしかできなかった。
すごすぎて、周りが褒めてくれるんじゃない。
あまりにも人間の常識から逸脱した「異次元の才能」は、凡人にとっては、ただの『恐怖』でしかないのだ。
カラン、と力なくドアの鈴が鳴り、僕は店から放り出された。
その瞬間、細い路地を吹き抜けた夜風が、やけに冷たく首筋を掠めていく。
昼間の高揚感はどこへ行ったのだろう。僕の右肩に接続された真鍮の『魔導義手』が、今は鉛を詰め込まれたように、ひどく重く、冷たく感じられた。
耳の奥には、さっきエレノアの時計から聞こえていた、あの完璧な『チッチッチッチ』という機械音が残像のようにこびりついて離れない。
あの音は、僕にとって救いのメロディだったはずなのに、マルコさんにとっては、積み上げてきた人生を否定される怪物の足音だったのだ。
夕闇が街を包み込んでいく中、すれ違う職人たちが、僕の右腕を避けるように歩幅を広げ、ヒソヒソと囁き合っているのがわかる。
『おい、あのガキだろ……。触れた機械を呪うっていう、クロムのところの……』
『学園の魔法具を、怪しい魔術で乗っ取ったらしいぞ……』
街灯の乏しい、暗い影が僕の足元を覆っていく。
機械を救えて、あんなに満たされた気持ちになったのに。
神経の接続部が、ジリジリと嫌な熱を持ち始める。冷徹な機械の論理が、僕の脳裏で「人間の感情は非論理的だ。拒絶されるのは当然だ」と囁くような気がして、僕は強く頭を振った。
(僕は、化け物なんかじゃない……。ただ、機械を直したいだけなのに……)
そのときだった。
行く手を塞ぐ暗い路地の向こうから、カツン、カツンと、不気味なほど統率された硬い足音が近づいてきた。
白い、汚れ一つない法衣。
その胸元に刻まれているのは、学園の銀の紋章よりも遥かに重く、この国で絶対的な権力を持つ組織のシンボル。
――『聖教国大教会』の、異端審問官たちだった。
三人組の男たちが、僕を取り囲むように立ち塞がる。その手には、魔法を強制的に霧散させる、不気味な黒い鎖が握られていた。
中央に立つ、冷酷な目をした神父が、僕の右腕を冷たく見下ろす。
「神の定めた魔力の理を歪め、機械に魂を売った不浄の異端者。……アレンとやらだな。大教会の名において、その『呪われた右腕』の出処を尋問する。同行願おうか」
ジャラリ、と不気味な金属音が夜の闇に響く。
僕の初めての仕事がもたらした波紋は、街の賞賛ではなく、世界からの「排除の嵐」となって、僕の目の前に襲いかかってきた。
(第5話・了 / 次回「第6話:鉄の仮面、激怒する」へ続く)




