第4話:学園エリートの依頼と、神速のデバッグ
「あなた……一体、何者なの……?」
少女の震える声が、煤煙の匂う工房に冷たく響く。
彼女の持つ、グシャグシャに潰れた置き時計。その内部だけが、宮廷技師長すら裸足で逃げ出すような神懸かり的精度で『完璧に調律』されている。その歪な異常性を、彼女の魔力感知は見逃さなかった。
「えっと……ただの、クロムさんの弟子です。あの、それ、そんなにマズい壊れ方してますか?」
僕は頭を掻きながら、なるべくのんびりとした声を出す。
本当に力加減ができなかっただけなのだが、彼女の目には、僕が「あえて外側を潰し、内側だけを書き換えた狂気の職人」に見えているらしい。完全に誤解されているけれど、下手に弁解してクロムさんの技術の秘密(魔導義手)をバラすわけにはいかない。
少女はハッと我に返ると、自身の乱れた呼吸を整えるように、上等な紺色の外套をきゅっと握りしめた。
「……いいえ、なんでもないわ。私の見間違いよ。こんな場末の工房の、そんな子供が……そんなはずないもの」
自分に言い聞かせるように呟く彼女の胸元で、王立魔導学園の銀の紋章が揺れる。
プライドが許さないのだろう。国の最高エリートである自分が、ただの職人見習いの少年に底知れない恐怖を抱いたなど。
少女はふん、と不自然に鼻を鳴らし、手に持っていた高級な懐中時計を、僕の前の作業机にコトリと置いた。
「伝言を頼むと言ったけれど、予定を変更するわ。クロムの親方が戻るまで、ここで待たせてもらう。……この時計は、学園の次期筆頭公爵家である我が家が、宮廷技師に特注した一級の魔法具よ。あと半刻(一時間)もすれば、内部の魔力暴走で完全に再起不能になる」
「……一時間も持たないと思いますよ」
「なっ……何ですって?」
少女が不快そうに眉をひそめる。
僕は机の上の懐中時計をじっと見つめていた。触れてはいない。だけど、僕の右肩の義手から伸びる魔力感知の触手が、空気の振動を通じて、その時計の『悲鳴』をダイレクトに拾い上げていた。
「キィィィン、って、嫌な高音が聞こえませんか? 音だけじゃない。魔導銀のケースの隙間から、赤黒いスパークが漏れてる。内部の『魔力伝達経路』が完全に焼き切れて、行き場を失った熱が、中心の魔導石を内側から破裂させようとしてます」
「な、何をデタラメを……! 街の時計屋は、そんなこと一言も――」
「街の時計屋さんは、魔法が使えないから『中身が視えない』んですよ」
僕は一歩、机に歩み寄る。
「これはただの時計じゃない。演算魔法を補助するための『魔導加速器』だ。これを触れる職人は、このアイゼンの街にはクロムさんしかいません。そしてクロムさんは、夕方まで戻らない」
少女の顔から、再び血の気が引いていくのがわかった。
彼女は知っているのだ。この時計がどれほど貴重で、これが壊れたら、学園での自分の立場がどうなるかを。
「そんな……じゃあ、私の『アストラル・クロック』は、ここで壊れるのを待つだけっていうの……? 私が、演習中に無茶な魔力出力をしたせいで……っ」
少女が唇を噛み、時計を愛おしそうに、そして絶望を込めて見つめる。
その姿を見て、僕の胸の奥がチリリと痛んだ。
実家で「役立たず」と捨てられたときの、あの世界のすべてから拒絶されたような感覚。今の彼女は、あのときの僕と同じ目をしている。
何より――。
目の前で、こんなに美しい論理で作られた機械が、バグのせいで死にかけている。
それを黙って見過ごすことなど、技術オタクとしての僕の魂が、絶対に許さなかった。
「……クロムさんが戻るまで、あと数十分。それまでに、この時計は確実に爆発します」
僕は、自分の真鍮と黒鉄の右腕を、ゆっくりと持ち上げた。
関節の歯車がギチ、と重々しい音を立てる。
「僕に、触らせてください」
「な、何を言っているの!? あなた、さっきマルコさんの時計をグシャグシャに潰したばかりじゃない! そんな乱暴な腕で触ったら、私の時計なんて一瞬で――」
「外側は、絶対に傷つけません」
僕は少女の目を真っ直ぐに見据えた。
「約束します。僕のこの腕は……確かに、物を握る力加減は絶望的です。でも、中身の『バグ』を書き換えることにおいてだけは――世界中の誰よりも優しい」
その瞳に宿る圧倒的な自信に圧されたのか、少女は息を呑み、言葉を失った。
僕はそれを受諾と受け止め、真鍮の右手の指先を、そっと、本当にそっと、懐中時計の表面に触れさせた。
カチ。
金属と金属が触れ合う、小さな、だけど運命的な音。
「右腕の回路を開放。同期――開始!」
ドクン!!
僕の心臓の鼓動と同時に、右腕の排気弁から『ぷしゅうううううっ!!』と、凄まじい高圧の白い蒸気が噴き出した。工房の作業机の上の書類が、突風のような排気でバラバラと舞い上がる。
「きゃっ!?」
少女が短い悲鳴を上げて、腕で顔を覆った。
蒸気の霧の向こうで、僕の意識は、すでに懐中時計の深淵へとダイレクトにダイブしていた。
(――視えたッ!!)
脳裏に広がる、目も眩むような光の幾何学模様。王立魔導学園のエリートが使うに相応しい、超一級品の魔導回路。
だが、その美しい回路の心臓部は、今やドス黒い魔力の過負荷によって、真っ赤に焼けただれていた。
逃げ場を失った魔力が渦を巻き、金属の歯車たちをドロドロに溶かそうと熱を発している。
破滅までの残り時間――あと、数十秒。
(人間業じゃ間に合わない。レンチもドライバーもいらない。僕の魔力の針で、回路そのものを直接、ハッキング(調律)する……!)
僕は右肩の接続部に意識を集中した。
義手の中で一〇八の微細回路が駆動し、大洪水のような僕の魔力を、ピンポイントの「一本の細針」へと圧縮していく。
神経の接続部がジリジリと焼け付くように熱い。人格が機械側に引っ張られるような、冷徹な全能感が脳を支配していく。
(出力を『二』に固定。焼き切れた第一パスを迂回させ、第二・第三回路へ魔力を分散! 詰まっている魔力の澱みを――今、デバッグ(消去)する!!)
脳内で、光の図面を高速で書き換えていく。
僕の指先から放たれた目に見えない魔力の針が、時計の内部で暴れるエネルギーの奔流を、一本一本、力ずくで正しいルートへとねじ伏せていく。
歪んだ論理が消え、正しい配列が再構築されていく。
ガチガチガチガチガチッ!!!
時計の内部から、猛烈な速度で歯車が回転する音が響いた。
それは、死にかけていた機械が、本来の生命を取り戻していく歓喜の咆哮だった。
「嘘……魔力の暴走が、収まっていく……!?」
少女が呆然と呟く。
彼女の視線の先で、時計から漏れ出ていた不気味な赤黒い火花が消え、代わりに、澄み切った、あまりにも純粋な青い魔導の光が、真鍮の隙間から溢れ出していた。
「システムオールグリーン。――調律、完了」
ぷしゅううう……と、最後の排気が静かに消えていく。
僕は時計から、そっと右手を離した。
机の上に静止した懐中時計。
そこには、傷一つついていなかった。ひしゃげてもいない。ガラスも割れていない。
ただ――チッチッチッチ、と、世界で一番規則正しい、美しい刻限の音が、静かな工房に響き渡っていた。
止まっていた針が、滑らかに、完璧に動き出していた。
「なお、りました……。外側も、無事です」
僕はふぅ、と息を吐き、少しだけ熱を持った右腕を下げた。
少女は、まるで神の奇跡を目撃したかのように、ふらふらと机に近づき、自分の時計を両手で拾い上げた。
魔力感知をするまでもない。手のひらから伝わってくるのは、暴走の熱ではない。完全に安定し、むしろ手に入れる前よりも効率的に魔力を循環させている、極上の魔法具の脈動だった。
「そんな……あり得ないわ。魔法陣の書き換えも、道具を使った分解もせずに……一瞬で、内部の暴走電流だけを御して、回路を再構成したというの……?」
少女の身体が、小刻みに震えていた。
学園の最高峰の講義でも、そんな技術は習わない。それは、魔法至上主義の歴史そのものを侮辱するような、圧倒的な「異端の神業」だった。
「あなた、本当に何者なの……? 宮廷技師の隠し子? それとも、どこかの古代遺物の化身……?」
「だから、ただの見習いですって」
僕が苦笑いした、その時。
「おいおい、留守中にえらい美人の客が来てるじゃねえか。アレン、お前まさか、俺の秘蔵の酒でも盗み飲みして口説いてたんじゃねえだろうな?」
ガラララ、と大きな音を立てて、素材の詰まった背負い籠を担いだクロムさんが戻ってきた。
鉄の仮面をずり上げ、珍しく上機嫌な様子だ。
だが、少女はクロムさんの姿を見るなり、弾かれたように彼の方へ駆け寄った。その顔は、興奮と、そして確信に満ちていた。
「クロムの親方!! お願いがあります、今すぐこの少年を、私に……いいえ、我が王立魔導学園に譲ってください!!」
「……は?」
クロムさんが、間の抜けた声を上げて固まった。
僕もまた、突然の学園からのスカウト(?)に、目を丸くして硬直する。
「この子の才能は、こんな場末の工房で油まみれにさせていいものじゃないわ! 魔法の常識を根底から覆す、とんでもない化け物よ! 私は学園高等部特級クラスのエレノア・フォン・ローゼンベルク! 私の権限をもって、彼を特待生として学園へ招待します!」
エレノアと名乗った少女は、頬を紅潮させ、僕を真っ直ぐに指差した。
静かだった僕の日常が、この右腕の「初仕事」によって、一気に世界の中心へと引きずり出されようとしていた。
(第4話・了 / 次回「第5話:街で初めて“化け物扱い”される」へ続く)




