第3話:義手の初起動と失敗
「――あ」
パキン、と小気味いい音がして、陶器のマグカップが僕の右手の中で哀れに砕け散った。
中に入っていた冷えたハーブティーが、容赦なくベッドのシーツを濡らしていく。これで、今朝から数えて五個目の犠牲だった。
「あーあ、またやりやがった。おいガキ、お前はうちの家財道具をすべて粉砕するまでその右腕を振り回す気か?」
工房の台所から顔を出したクロムさんが、額に手を当てて深い、深いため息をついた。
手術から三日。
僕の右肩から先には、真鍮と黒鉄で組まれた、無骨で頑丈な『魔導義手』が鈍い光を放って鎮座している。
動く。完璧に、自分の意志の通りに動く。それは右腕を失った僕にとって奇跡だったけれど――この新しい右腕は、僕の想像を絶するほど「不器用」で「暴力的」だった。
脳から流れる「掴む」という命令が、義手の中で何倍にも増幅されてしまうのだ。
ちょっと果物を取ろうとすれば生ゴミに変え、毛布を整えようとすれば引きちぎる。おまけに、焦って少しでも肩に力を込めると、手首の排気弁から『ぷしゅうううっ!』と盛大に高圧の蒸気が吹き出し、ベッドの枕を部屋の隅までバズーカみたいに消し飛ばしかける始末だった。
今の僕は、歩く災害一歩手前だ。
「当たり前だ。お前の魔力は、川じゃなくて大洪水だって言っただろ。普通の人間が『1』の力で握るところを、お前は無意識に『100』流し込んでんだよ。そんな出鱈目な馬力で、安物のマグカップを握ってみろ。粉々になるに決まってるだろ」
クロムさんはそう言って、僕の頭をゴツンと拳で叩いた。
「肉体の感覚ってのはな、時間をかけて機械と馴染ませていくもんだ。まずはその『出力を極限まで抑える』って感覚を体に叩き込め。それができなきゃ、お前は一生物の飯を左手一本で食うハメになるぞ」
「……うぅ、頑張ります。スープは流石に飲みたいです……」
絶望的な不器用さ。
だけど、僕はそれが悔しくて、そして楽しくて仕方がなかった。
自分の魔力が、どう歯車を回し、シリンダーを突き動かしているのか。右腕の内部構造のすべてが、脳の裏側に完璧な『論理』として視えているからだ。
これほどのジャジャ馬を、どう調律して乗りこなしてやるか。実家で「出来損ない」と蔑まれていた僕の中に眠る、技術オタクとしての血が、静かに沸き立っていた。
「……よし、今度こそ」
午後、クロムさんが仕入れに出かけたのを見送り、僕は工房の作業机に向かっていた。
暴走しないように魔力出力を最低限にして、右腕を机の上に置く。
長時間魔力を通し続けていると、神経の接続部分がジリジリと熱を持ち始め、自分の意識が、妙に冷徹で機械的な思考に引っ張られる感覚があった。これも、この義手の「代償」なのだろう。
だが、そんなリスクよりも、僕の知的好奇心が勝っていた。
僕は左手で、クロムさんがジャンクの山から拾ってきた『壊れたゼンマイ式の置き時計』を目の前に置いた。
完全に中身が錆びついて動かなくなった年代物だ。
真鍮の指先を、その時計にそっと触れさせる。
「右腕の回路を開放。同期――開始」
触れた瞬間、脳内にドクンと電流が走った。
僕の右腕から溢れ出た魔力が、時計の内部へと侵入していく。そして、その複雑な構造のすべてを、完璧に僕の脳へと同期させた。
(……あ、視える。全部視えるぞ)
脳裏に、時計の内部構造が光の三次元図面として浮かび上がる。
どこが原因でこの機械が死んでいるのかが一瞬で「翻訳」されていく。
(内部の主要ギヤが完全にロックしてる。軸が歪んで、ゼンマイの熱が逃げずに詰まってるんだ。ここを、ほんの少しだけ押し戻して、バグを修正すれば直る……!)
頭の中で、一瞬にして「デバッグ(修正)」の答えが弾き出された。
いける、直せる。
(出力を『一』まで絞るんだ。細く、薄く、だけど誰よりも正確な魔力の針を、ギヤの隙間へ――)
カチ。
脳内のイメージを、指先に伝えようとした、まさにその瞬間だった。
ガキィィィィン!!!
「あ」
排気弁からぷしゅううううっ!と凄まじい蒸気が噴き出した。
僕の真鍮の右手は、出力を制御しきれず、ゼンマイ時計を「グシャリ」と、文字通り肉団子のように圧縮してしまった。
バキバキとケースがひしゃげ、文字盤のガラスが粉々に砕け散る。
「……うぅ、まただ。やっぱり、力加減が絶望的に壊れてる……」
僕はガックリと頭を抱えた。
回路の『解析』と『接続』、そしてデバッグ能力は神の領域なのに、それを肉体として出すための繊細なコントロールができない。
世界で一番繊細な頭脳を持って、世界で一番乱暴な出力をする右腕。
僕は潰れた時計の残骸を見つめながら、悔しさに唇を噛んだ。
でも、諦めるつもりなんて一ミリもなかった。このジャジャ馬な感覚も、今の僕にとっては「希望の証」そのものだからだ。
何度も練習して、絶対に乗りこなしてやる。
そう心に誓い、僕が机の上のガラス片を拭き取っていた、その時だった。
チリン、と工房の入り口にある鈴が、軽やかな音を立てた。
「ごめんください。……あら、クロムの親方はお留守かしら?」
煤煙と油の匂いが染み付いたこの工房には、あまりにも不釣り合いな、ひどく澄んだ声。
振り返った僕の目に飛び込んできたのは、一人の少女だった。
上等な紺色の外套を身にまとい、その胸元には、気品ある銀のブローチが鈍く光っている。
それは、この国のエリートたちだけが集まる、魔法至上主義の最高峰――「王立魔導学園」の紋章だった。
「えっと……はい。クロムさんは買い出しに出ていて、夕方まで戻らない予定ですが……」
僕が緊張しながら答えると、少女は品定めをするような鋭い視線を僕に向けた。その視線は、僕の右腕にある、無骨な黒鉄の義手でピタリと止まる。
「あなたが、親方の新しいお弟子さん? 妙な腕をしているのね。……まあいいわ。親方がいないのなら、あなたに伝言をお願いできるかしら。私の『時計』の件で、少し見てもらいたいものがあったのだけど」
少女はそう言うと、外套のポケットから、美しい懐中時計を取り出した。細かな魔導銀の細工が施された高級な魔法具だ。
だが、その時計の針は完全に止まっており、内部からは不気味な熱が微かに漏れ出していた。
「……それ、魔導回路が内部でショートして、暴走しかけてますね」
僕が何気なく指摘すると、少女は驚いたように目を丸くした。
「わかるの? ……ええ、そうなのよ。学園の演習中に強い魔力干渉を受けてしまって、街の時計屋に見せても『うちじゃあ触れない』って、たらい回しにされてしまって。それで、クロムの親方を頼ってきたのだけど……」
少女は困ったように時計を見つめ、それから、僕の足元に転がっている「何か」に気づいて視線を落とした。
そこにあったのは、さっき僕が力加減を誤って、木っ端微塵のグシャグシャに潰してしまった、あの『置き時計』の残骸だった。
「……あら? それ、どうしてそんな風に潰れているの?」
少女が不思議そうに小首をかしげる。
僕は冷や汗を感じながら、頬をひきつらせて笑った。
「あ、はは……いや、その。僕がちょっと、修理に失敗して……文字通り、木っ端微塵に壊しちゃいまして……。あはは……」
やってしまった。師匠の留守中に、大事な預かり物を破壊したことがバレた。
少女は「呆れた」と言わんばかりにため息をつき、その潰れた金属の塊を哀れみの目で見つめた。
「まぁ……なんて乱暴な助手かしら。外殻が完全にひしゃげて、原型を留めていないじゃない。これじゃあ、鉄屑ね。どれほど不器用なら、時計をこんな風に変えられるのかしら……」
少女は、落ちていた金属の塊を、確認のためにそっと拾い上げた。そして、ひしゃげた真鍮のケースの隙間から、時計の「内部」を何気なく覗き込み――自身の魔力を少しだけ、その鉄屑へと流し込んだ。
その瞬間だった。
「――っ!?」
少女の身体が、まるで見えない雷に打たれたかのように、ビクンと硬直した。
手に持っていた鉄屑を、落としそうになるほどの衝撃。
彼女の美しい瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれ、顔からサーッと血の気が引いていく。
「な、に……これ……? そんな、あり得ない……っ!!」
「え? あの、どうかしましたか……?」
僕が恐る恐る尋ねるが、少女は僕の声など耳に入っていない様子だった。彼女は震える手で、ひしゃげた鉄屑を凝視している。
彼女は視ていたのだ。
外殻は、素人の暴力によって無残にグシャグシャに潰されている。なのに、その潰れた真鍮の奥、時計の心臓部である『内部の歯車たち』の配置を。
ロックしていた主ギヤは、ミリ単位の狂いもなく、完璧な噛み合わせへと誘導されていた。
歪んでいた軸は、寸分の狂いもなく中心へと真っ直ぐに修正されている。
外側は完全に破壊されているのに、内側の魔導回路と歯車の論理構造だけは、宮廷技師長や最高位の調律師が何日もかけて行うような、神懸かり的な超精密制御によって『完璧にデバッグ(修正)』されていたのだ。
不器用と、神業。
破壊と、完璧な再生。
その二つの異常な矛盾が、一つの鉄屑の中に同居していた。
「外側をこんな風に潰しながら……内部の、このミクロン単位の微細な回路だけを、完璧に書き換えて修復するなんて……。こんなこと、人間の指先ができるわけがない……!」
少女はガタガタと指先を震わせ、潰れた時計を持ったまま、後ずさりした。
その瞳に宿っていたのは、さっきまでの「呆れ」ではない。
未知の怪物に出会ってしまったかのような、底知れない「恐怖」と「驚愕」だった。
「あなた……一体、何者なの……?」
静まり返った工房の中で、少女の震える声だけが響いていた。
クロムさんという唯一の理解者の元で、ただ必死に生きようとしていた僕の異端の才能が、ついに、外の世界へと見つかってしまった瞬間だった。
(第3話・了 / 次回「第4話:初めての仕事」へ続く)




