第2話:鋼鉄の右腕(マギ・マニューバ)
「――もう、切るしかないね」
煤けた白衣を着た街の往診医は、僕の右腕を一目見るなり、短くそう告げた。
ゴーレムの暴走事故から二日。
工房のベッドに横たわる僕の右腕は、肩の付け根近くまでどす黒く変色し、まるで冷たい石のようになっていた。神経も、筋肉も, 内側の魔力回路も、あのとき流れ込んだ濁流のようなエネルギーによって完全に焼き切れて、文字通り死んでいる。
「壊死が首にまで回れば命に関わる。命があるだけ儲けものだと思って、諦めなさい」
淡々と告げる医師の言葉を、僕はどこか他人事のように聞いていた。
(ああ……やっぱり、僕は壊れ物だったんだ)
実家を追われ、やっと見つけた居場所。だけど僕は、またすべてを台無しにした。
右腕を失った十三歳のガキなんて、これからの職人の街で生きていけるわけがない。クロムさんの足手まといになるだけだ。
胸の奥が冷え切っていく。これなら、あのときゴーレムと一緒に爆発して消えてしまった方が、よっぽど綺麗だったんじゃないか。そんな暗い思考が頭をよぎる。
「おい、ヤブ医者。さっさと道具をまとめてけえれ」
地を這うような低い声が、部屋の空気を震わせた。
いつの間にか部屋の隅に立っていたクロムさんだ。鉄の仮面の奥にある瞳が、ギラギラと不気味に濁っている。
「おいおいクロム、私は事実を言っているんだ。腕がなきゃ、この街じゃ生きていけない。この子は――」
「生きていけるかどうかを決めるのは、俺とこのガキだ。お前じゃねえ。……おい、往診代だ。二度とツラ見せるな」
クロムさんは銀貨を医者の胸元に叩きつけると、強引に部屋から追い出した。
パタン、とドアが閉まり、静寂が戻る。僕は布団を握りしめ、消え入るような声で呟いた。
「……すみません、クロムさん。せっかく拾ってもらったのに、僕、もうネジ一本まともに締められません。ジャンク拾いだって……」
「おい、アレン」
クロムさんは僕の泣き言を遮り、ベッドの横に乱暴に腰掛けた。
その顔には、ひどいクマが浮き出ている。ここ二日間、彼が工房の奥に籠もりっきりで、一歩も出てこなかったことを僕は知っていた。寝てもいないはずの師匠は、懐から一枚の、ひどく古びた羊皮紙を取り出して僕の前に広げた。
そこに描かれていたのは、あまりにも複雑で、緻密で、そしておぞましいほど美しい「金属の腕」の設計図だった。
貴族の魔導書にあるような綺麗な魔法陣ではない。歯車と、細い真鍮のパイプと、無数の魔導石が肉体のように絡み合う、未知の機械の図面。
「クロム、さん……これ、は……?」
「『魔導義手』。……大戦の最中、軍のイカれた上層部が『人間を兵器に変える』ために作らせた、禁忌の未完成技術だ。宮廷技師時代の俺が、最後に叩き割って封印した設計図さ」
クロムさんは酒瓶を煽り、苦そうに喉を鳴らした。
「義手ってのはな、人間の脳から流れる微弱な命令を、魔導電流に変換して動かす。だが、人間の指先っていう繊浅な動きを再現しようとすると、必要な『変換回路』の数が尋常じゃねえんだ。普通の魔導師がこれを付けたら、回路の情報量に脳の処理が追いつかなくて三分で頭が狂うか、義手がショートして爆発する。だから、誰も使えねえ歴史のゴミ屑になった」
老技師は、僕の黒く炭化した右腕を真っ直ぐに見つめた。
「だがな、アレン。お前のその『常人の数万倍太い魔力回路』を見たとき、俺は震えたよ。魔法を撃つにゃ大洪水すぎるその欠陥回路は、このクソ複雑な義手の全システムを、同時に、完璧に制御するための『超大容量の回線』になり得るんだ」
「僕の、この呪いの腕が……システムの、回線に?」
「そうだ。お前の腕は欠陥品なんかじゃねえ。時代が追いついていなかっただけの、未来の技術だ」
未来の技術。
その言葉が、冷え切っていた僕の胸の奥に、小さな火を灯した。
生家で役立たずと罵られ、実の親にすら捨てられた僕のこの腕が、この世界で唯一、この美しい機械を動かす鍵になるというのか。
「だが、言っておく。これは文字通りの劇薬だ。肉体を捨てるんだからな。接続すれば、お前の溢れる魔力が義手の中で常に循環し続ける。出力の上げ方を間違えれば、お前の脳が焼き切れる。制御を誤れば、お前自身が暴走する兵器になる。……それでも、欲しがるか? 未来を」
恐怖はなかった。
ただ、ベッドの上で憐れまれて死んでいくくらいなら、この不器用で、口が悪くて、だけど誰よりも優しい師匠の技術と心中したい。
何より、僕の技術オタクとしての本能が、この図面の先にある景色を「視たい」と激しく叫んでいた。
「……僕に、作らせてください」
僕は左手で、クロムさんの無骨なレンチをギュッと握りしめた。
「僕の右腕を、クロムさんの技術の受け皿にしてください。壊れるくらいなら、世界で一番強い腕になって、クロムさんの工房を守ります」
「……へっ。生意気なガキだ」
鉄の仮面の奥で、クロムさんが不敵に笑った。
手術――いや、それは『人間と機械の製造工程』だった。
麻酔なんて上等なものはない。クロムさんは僕に酒を浸した布を噛ませると、死んだ右腕の肉を容赦なく削ぎ落とし、生きている肩の骨と神経の末端を剥き出しにした。
「ぎ、ぎううううううっ!!」
絶叫が工房に響く。
だが、クロムさんの手元は一切ブレなかった。彼は徹夜で削り出した真鍮と魔導合金の骨格を、僕の肩甲骨に直接、ボルトで固定していく。カチカチと、冷たい金属が僕の肉体に噛み合っていく。
「ここからが本番だ、アレン! 義手から伸びる『魔導銀の触手』をお前の神経に繋ぐ! お前の洪水の魔力を流し込み、義手の中にある一〇八の微細回路を自分で『調律』しろ!」
銀の針が、僕の神経の束に突き刺さった瞬間、脳が爆発するかのような衝撃が走った。
「が、はっ……あ、ああ acadia!!」
視界が真っ白に染まる。
大洪水のような僕の魔力が、一気に鋼鉄の腕へと流れ込んでいく。
だが、その瞬間、僕の脳内に驚くべき「視界」が広がった。
(……あ、これ、は……!)
目を閉じているのに、僕の右肩から先にある「鋼鉄の腕」の内部が、完璧な光の幾何学模様として視える。歯車の噛み合わせ、魔導電流の抵抗値、三連シリンダーの圧力。
クロムさんの作ったハードウェアのすべてが、僕の脳とダイレクトに繋がっているのだ。
路が、一瞬で真っ赤に跳ね上がった。
脳に直接、皮膚が焦げるような猛烈な熱感が伝わってくる。
(まずい! このままじゃ僕の魔力圧に耐えきれず、手首の伝達ギヤが焼き切れる……!)
「ク、クロムさん! このままじゃ焼き切れる!!」
僕は噛んでいた布を吐き出し、パニックを起こしそうな脳を必死に回して叫んだ。
「手首の裏、三番目の魔導石を、左に〇・五ミリ! 早く、電流が干渉して熱暴走する!!」
「何ぃ!? ……チッ、本当かよ!」
クロムさんが精密ドライバーを突っ込み、火花を散らしながら魔導石の位置をミリ単位で弾く。
カチリ、と小さな音が響いた瞬間、脳内の赤いアラートがスッと消え、光の回路がピたりと安定した。完璧に、僕の魔力と機械の歯車が噛み合ったのだ。
「よし、外殻固定! 歯車噛み合わせ、魔導蒸気圧、オールグリーンだッ!!」
ガキィィィィン!!!
重々しい金属の駆動音が響き、僕の右肩は、鈍く光る真鍮と黒鉄の義手によって完全に覆われた。
ぷしゅうううううううっ!!!
義手の隙間、排気弁から、高圧の白い蒸気が激しく吹き出す。煤煙と油の匂いが、僕の鼻腔を突いた。
「……アレン。動かしてみろ」
クロムさんが、息を呑んで見守っている。
僕は、自分の右肩――いや、新しい鋼鉄の右腕に、意識を集中した。
ゆっくりと、五本の指を開き、その後、力を込めて握りしめる。
ギギ、ギチチ……ガキン。
精密な歯車の回転音とともに、鋼鉄の拳が、完璧に僕の意思通りに力強く結ばれた。
痛みはない。あるのは、世界そのものを掴み取れるような、圧倒的な「制御」の感覚。
僕はベッドから立ち上がり、自分の新しい腕を見つめて、涙が溢れるのを止められなかった。
もう、壊れ物じゃない。
僕は、この不器用な師匠の技術によって、今、新しく生まれ変わったんだ。
「やった……やったよ、クロムさん! 動く、動くよ……!」
「フン、大騒ぎするな。まだただ動くだけの試作品だ。……だが、まあ」
クロムさんは鉄の仮面を外し、その下にある、涙で濡れた老いた目を細めて笑った。
「よく耐えたな、アレン。歓迎するぜ、鉄と油の世界へ」
白い蒸気が立ち込める工房の中で、僕たちの本当の旅が、ここから動き出す。
(第2話・了 / 次回「第3話:鋼鉄義手、起動」へ続く)




