第1話:落ちこぼれの右腕が、熱を帯びるまで
右腕が、燃えていた。
生まれた時から、僕の右腕だけが壊れていた。
魔法を使おうとするたび、骨の内側から焼け爛れるような激痛が走る。放たれるのは美しい魔法の光ではなく、制御不能の黒い火花。周囲の家具を焼き焦がし、僕自身の手を焼くだけの「不発の出来損ない」。
僕の生まれ育ったヴァルハイト伯爵家は、代々「至高の魔導師」を輩出する名門だ。兄弟たちは皆、幼くして神童と称賛されていた。
だけど、僕――アレンの右腕だけは、皮膚の下に毒々しい紫色の蛇がのたうち回っているかのような、歪んだ魔力回路が浮き出ているだけ。
「我が家に、魔法の使えない役立たずは不要だ」
10歳になった誕生日。僕は一切の身分を剥奪され、わずかな手切れ金とともに、伯爵家の領地の最果てにある職人の街「アイゼン」へと追放された。
どうせ僕なんて、どこへ行っても壊れ物だ。
馬車から放り出された日のアイゼンの空は、煤煙で低く灰色に濁っていた。
カン、カン、カンと、至る所から響く鉄を叩く音。魔導石の燃える匂い。きらびやかな王都とは真逆の、泥と油にまみれた世界。
「おい、ガキ。そんなところで突っ立ってると、荷馬車に轢き殺されるぞ」
地を這うような低い声に振り返ると、そこには不気味な鉄の仮面を被った、片足が金属の義足の老人が立っていた。手には、魔導電流の火花を散らす不格好なレンチを握っている。
それが、元一流の宮廷技師であり、街の片隅で小さなジャンクショップを営む「頑固者のクロム」との出会いだった。
行き場のない僕は、彼に「飯炊き兼、雑用係」として拾われた。
「いいか、アレン。魔法ってのはな、高貴な血筋だけの特権じゃねえ。この魔導石と鉄の歯車を噛み合わせりゃ、誰だって火を起こせる。職人の『技術』は、血筋なんて不確かなもんに左右されねえんだよ」
クロムの工房には、僕の知らない輝きが満ちていた。
ネジの締め方、歯車の噛み合わせ、魔導電流の抵抗値。すべてが冷徹なまでに正確な「論理」で動いている。
(……これなら、僕でもわかる)
僕は人付き合いが極端に苦手だったが、機械を相手にしている時だけは息がしやすかった。左手だけで煤にまみれながら、貪るようにクロムの技術を吸い上げていった。
ただ、機械の構造が完璧に理解できればできるほど、僕は「早口の独り言」でその美しさをブツブツと語ってしまう悪癖が出たし、相変わらず自分の壊れた右腕には一切触れようとしなかった。どうせ僕の右腕は、触れたものを壊すだけだから。
この街に来て3年。13歳になった僕は、すっかり工房の「なくてはならない助手」になっていた。
そんなある日、事件は起きた。
クロムが仕入れのために隣町へ出かけ、僕が一人で留守番をしていた午後のことだ。
工房の奥に保管されていた、修理中の一級魔導重機――鉱山用の『魔導掘削ゴーレム』の駆動炉が、突如として異常放熱を始めた。
「――っ!? 嘘だろ、冷却回路が破断してる!」
警告を告げる赤い魔導ランプが激しく明滅し、工房内の温度が急上昇していく。ゴーレムの胸部にある魔導炉が、まるで煮えたぎる太陽のように真っ赤に染まっていく。
このままでは爆発する。
爆発すれば、この工房だけでなく、職人通りが丸ごと消し飛ぶ。
(逃げるか……!?)
一瞬、頭をよぎった。今すぐ外に飛び出して叫べば、僕は助かる。僕みたいな出来損ない一人、逃げ出したって誰も責めやしない。
だけど、目に入ったのは、クロムが何十年もかけて集めた設計図の山。そして、僕を初めて「助手」と呼んでくれたこの大切な場所。
「逃げるもんか……!」
僕は左手にスパナを握りしめ、熱風が吹き荒れるゴーレムの足元へ飛び込んだ。
異常駆動を止めるには、胸部の装甲を外し、中心部にある「緊急強制停止のレバー」を引くしかない。
しかし、熱気が凄まじすぎる。左手一本でボルトを外そうとするが、熱せられた鉄の装甲に触れただけで、左手の皮が焼ける音がした。
「ぐっ、あああああ!」
激痛に視界が歪む。左手だけで、熱で歪んだボルトが固くて回らない。
もう時間がない。魔導炉から、黒い煙が噴き出し始めた。
(あと、もう1本の、手があれば――)
その時、僕の右腕が、今まで感じたことのないほど激しく脈動した。
いつもなら僕を苛むだけの呪いの右腕。それが、目の前の「暴走する魔力」に呼応するように、狂ったように熱を帯びていく。
『――アレン、お前の右腕は、壊れているんじゃない』
脳裏に、かつてクロムが酒を飲みながら言った言葉が蘇る。
『魔力の通り道が、常人の数万倍太すぎるんだ。川に例えりゃ、普通の人間がストローで水をすする中に、お前だけ堤防の決壊した大洪水が流れてる。受け皿がなけりゃ、そりゃ腕が焼き切れるわな』
受け皿。
そうだ、僕の右腕は、魔法を外に放つためのものじゃない。
もっと巨大な、圧倒的なエネルギーを「制御」するために、最初から作られていたんだとしたら――。
「動け……動けよ、僕の右腕!!」
僕は叫び、感覚の麻痺した右腕を突き出し、真っ赤に熱せられたゴーレムの装甲へ、直接手をかけた。
ジジジ、と肉の焦げる凄絶な音が響く。
だけど、不思議と痛みはなかった。右腕の回路が、ゴーレムの暴走する魔力を「吸引」し、頭の中にその内部構造が鮮明な映像として流れ込んできたのだ。
どこが詰まっているか、全部わかる……!
「そこだッ!!」
僕は右腕の怪力――魔力によって一時的に身体能力が爆発した腕――で、熱せられた鉄の装甲を力任せに引き剥がした。
火花が散る中、剥き出しになった心臓部。僕は左手で、その冷徹な鉄のレバーを、渾身の力で引き下げた。
ゴ、グン…………。
地響きのような音がして、ゴーレムの駆動音が止まった。
赤い光が、静かに消えていく。周囲に立ち込めるのは、白い蒸気と、焦げ臭い匂いだけ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
僕はその場にへたり込んだ。
やりきった。街を守ったんだ。
だけど、代償は大きかった。役目を終えた僕の右腕は、完全に炭化するように黒ずみ、ピクリとも動かなくなっていた。神経が、完全に焼き切れてしまったのだ。
「――おい! アレン!!」
工房の扉が勢いよく開いた。息を切らせたクロムが、中へ飛び込んでくる。
静まり返ったゴーレムと、身をよじる僕、そして炭化した右腕を見て、老技師は息を呑んだ。
「お前、まさか、一人でこれを……」
「クロム、さん……」
僕は自嘲気味に笑おうとしたが、涙が溢れて止まらなかった。
「僕の、右腕……本当に、壊れちゃいました。やっぱり僕は……何をやっても、壊すことしかできないんだ……」
せっかく見つけた居場所だったのに。右腕を完全に失った僕なんて、もうジャンク拾いすらできない。また、捨てられるんだ。
だけど、クロムは僕に駆け寄ると、その荒れた大きな手で、僕の頭を乱暴に、しかし優しく撫でた。
「馬鹿野郎が……。街を救いやがって」
クロムは鉄の仮面の奥の目を細め、不敵に笑った。
「気にするな、アレン。腕が一本動かなくなったくらいで、絶望してんじゃねえ。俺の足を、この街の機械の数々を見ろ」
老技師は、自分の鈍く光る金属の義足を叩いてみせた。
「動かねえなら、作ればいい。人間の肉体なんてな、俺たちの技術の前にゃ、いくらでも代えが効くんだよ。お前のその、最高にイカれた右腕に見合う、世界に一つだけの『魔導義手』を、俺とお前で作り上げるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の奥で、消えかけていた熱が、再び爆発するように燃え上がるのを感じた。
この日、煙と油にまみれた小さな工房で。
後に「星紡ぎ」と呼ばれる男の物語が、静かに始まった。
(第1話・了 / 次回「第2話:鋼鉄の右腕」へ続く)




