表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー
第2章:境界崩壊編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/84

第47話:『編集者の爪痕』

 調停者は完璧だった。

 二時十四分。その不可視の一分間のうちに、世界は物理法則の辻褄まで完璧に合わせられ、何事もなかったかのように再構築される。

 だが、それはあくまで「物質モノ」の話だ。


 翌朝、アレンとエレノアが歩く市場は、何事もなかったかのような活気に満ちていた。

 八百屋の男は威勢のいい声を張り上げてカブを売り、魚屋の親父はいつも通りにまな板の上でナイフを滑らせている。彼らの世界は完全に連続しており、昨日の一分間の空白など、微塵も感じていない。

 世界は、昨日と何一つ変わらぬ朝を迎えていた。少なくとも、人々にはそう見えていた。


 だが、その平穏な雑踏の中で、パン屋のおばあさんだけが白い粉のついた手で首をかしげていた。

「……おかしいねえ。今日、パンを七個焼いたはずなんだけど……」

 棚に並んでいるのは、どう見ても六個しかない。

 だが、小麦粉の減り具合も、窯に残った灰の量も、売上帳簿に刻まれた数字も、すべてが最初から“六個しか焼いていない”証拠を完璧に示している。おばあさんの勘違い──誰もがそう笑って済ませる光景だった。


 けれど、おばあさんだけではない。注意深く街を歩けば、それと酷似した「奇妙な綻び」が次々と耳に飛び込んできた。


 大通りの鍛冶場では、若い弟子が困惑した声を上げていた。

「親方、さっき俺、槌を貸しましたよね?」

「馬鹿言え、借りてねぇよ。ほら、最初から俺の腰にあるだろ」

 親方の言う通り、槌は定位置にある。貸し借りがあった形跡などどこにもない。だが、弟子だけが「貸したはずだ」という奇妙な感覚に囚われ、自分の頭をひねっている。


 広場では、幼い子どもが母親の服を引っ張っていた。

「ママ、さっきそこに犬が二匹いた! 白い子と、黒い子!」

「何言ってるの、最初からあの一匹だけよ」

 路地を歩いているのは、一匹の野良犬だけだった。


 どれも、世界は完璧に編集されている。

 物証はすべて正しい。にもかかわらず、“編集される前”の残像を、うっすらと脳裏に焼き付けられている人間が、この街には確実に存在する。


「……ねえ、アレン。これ、みんな普通の人たちよね?」

 エレノアが不安げに周囲を見回しながら呟く。

 だが、アレンは足を止め、拡大鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。


「普通じゃねぇ」


 アレンは無言で街を歩き、先ほど違和感を口にしていた者たちの姿を、一人ずつ遠巻きに観察し始めた。


 パン屋のおばあさん。

 鍛冶屋の弟子。

 市場の子ども。


 一見すれば、年齢も性別もバラバラの、どこにでもいる住民だ。だが、アレンの職人としての観察眼は、彼らの衣服の隙間、あるいは身体の動きにある「共通点」を冷酷に導き出していた。


 パン屋のおばあさんは、若い頃に大怪我を負ったらしく、左足が不自然な木製の義足だった。

 鍛冶屋の弟子は、以前の事故で右目の視力を失い、精巧なガラスの義眼を嵌めている。

 そして市場の子どもは、生まれつき耳が遠く、革と真鍮でできた大がかりな補聴器を耳に押し込んでいた。


 エレノアが、ハッと息を呑む。


「身体の一部が、本来の自然(世界)のものではない人間……」


「そうだ。俺の真鍮の右腕が、あの編集を拒絶したのと同じ理由だ」


 アレンは懐から、あの狂った銀時計を取り出した。

 文字盤の針は、今も頑なに『二時十四分』を指して止まっている。


「調停者の野郎の編集は、世界全部を塗り替える。だが、完全には塗り潰せねぇ。身体のどこかに“世界の外側の異物”を孕んでいる人間ほど、編集のノイズを、記憶として拾っちまうんだ」


 敵は万能の神ではない。

 限りなく精密だが、ゼロにはできない「誤差」を持つシステムだ。

 そのルールを完全に理解した、その瞬間だった。


 アレンの胸元で、エレノアの『紋章』が、肌を焼くような熱を唐突に帯びた。


 同時に、アレンの手のひらの中で、あの銀時計が狂ったようにジリジリと震え始める。


 アレンはゆっくりと顔を上げた。

 よく晴れた市場の雑踏、その一角。陽炎のように、空間の輪郭がほんの一瞬だけ、紙を破いたように歪んだ。


「……いた」


 アレンの口元に、冷徹な職人の笑みが浮かぶ。


「編集の継ぎ目だ」


 それは穴ではなかった。

 誰かが世界を強引に貼り合わせた、“継ぎ目”だった。




(第47話:『編集者の爪痕』 ・ 完)

(次回「第48話:継ぎ目の向こう側」へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ