第42話:『壊れた時計』
ジャンク屋の主人たるもの、直せないガラクタがあるのは癪に障る。
少女が再び深い眠りに落ちたあと、アレンは工房の作業台で、彼女の遺物の一つ──銀色のペンダントに向き合っていた。
煤を払い、緻密な噛み合わせを外してみれば、それはペンダントではなく、小振りな蓋付きの『機械式時計』だった。
「……どうだ、アレン」
少し離れた椅子で、首筋を冷たいタオルで冷やしながら、エレノアが声をかけてくる。彼女の肌に刻まれた紋章は大人しくなっているが、その表情にはまだ濃厚な疲弊が残っていた。
「内部のギアが二箇所、噛み合ってなかった。注油して、軸の歪みを真鍮の指先で弾いて直した。……構造自体は、驚くほどシンプルだ」
カチ、と小気味いい音がして、時計の裏蓋が外れる。
アレンは拡大鏡を覗き込み、ピンセットで最後の微調整を施した。
チクタク、チクタク、チクタク。
静かな工房に、時計が時を刻む規則正しい音が響き始める。
間違いなく直った。完璧な修理だ。だが──アレンは拡大鏡を覗いたまま、ピキリ、と眉をひそめて手を止めた。
「……おい、エレノア。おかしなことになってる」
「何がよ。動いたじゃない」
「いま、外は昼の十二時前だろ。なのにこの時計、修理して動き出した瞬間から、夜中の『二時十四分』を指してやがる。針を回して時間を合わせようとしても、滑っちまって頑固に動かねえ。……なのに、秒針だけは一秒の狂いもなく進んでる」
時間がズレているのではない。
この時計の中だけ、この世界の『現在』とは全く違う、別の時間を正確に刻み続けているのだ。
「……それに、なんだこれ」
アレンは拡大鏡を外し、時計の銀の裏蓋をじっと睨みつけた。
そこには、古びた紋章のような、円の中に配された緻密な歯車の刻印があった。それを見た瞬間、アレンの胸の奥から、理由のない強烈な「不快感」がせり上がってきた。
「どうしたの? アレン」
「分かんねえ。……だが、この刻印を見てると、妙に腹が立つ。虫酸が走るってのはこういうことか」
アレンは自身の真鍮の右腕を無意識に強く握りしめる。
どこかで見た記憶があるわけではない。ただ、彼の右腕(因果)が、その刻印に対して本能的な拒絶反応を起こし、激しい火傷のような苛立ちを訴えていた。
その時、エレノアの耳の奥に、奇妙な音が這い入ってきた。
トクン。
トクン。
トクン。
「……ちょっと、アレン。その時計、音を止めなさい」
「あ? 普通の秒針の音だろ。作業の邪魔になるほどじゃねえ」
「違う……違うのよ。チクタクなんて鳴ってない……! これ、心臓の、鼓動の音じゃない……!」
エレノアは耳を塞ぎ、激しく首を振った。
アレンの耳には、確かに硬質で乾いた機械音が聞こえている。ミラに聞かせても同じだろう。だが、エレノアの首筋の紋章だけが、その時計の音と「同期」し、彼女の脳内にだけ、生々しい心音を響かせていた。
「直したはずなんだが……。クソ、なんか変だ。この右腕でも、これ以上の『修理』が拒絶されてる気がする」
アレンは工具を置き、自分の真鍮の指先を見つめた。
あの神様相手に暴れ回った右腕が、この時計の持つ小さな歪みには、触れることすらできない。
「……まだ」
背後から、掠れた声がした。
いつの間にか、二階からフラフラと下りてきていた少女が、作業台のすぐ傍に立っていた。
その瞳は、相変わらず生気を失ったまま、完全に虚ろだ。どこを見ているのかも分からない、ガラス玉のような目。
だが少女は、アレンの手元にある、夜中の二時を刻み続ける時計を視界に入れた瞬間──その虚ろな表情のまま、感情のない声で、ぽつりと呟いた。
「……まだ……動いてる」
それだけ言うと、少女は再び糸が切れたように無反応になり、迎えに来たミラに大人しく連れられて階段を上がっていった。
昼下がりのジャンク屋を、冷たい沈黙が満たしていく。
直したはずの時計は、今もアレンの手元で、世界のどこにもない「二時」を刻み、トクン、トクンと、エレノアの脳を震わせ続けている。
(第42話:『壊れた時計』 ・ 完)
(次回「第43話:調停者の影」へ続く)




