第37話:神の玉座
因果の嵐が吹き荒れる光の塔の最果て、アレンの真鍮の右腕が、神域の重厚な扉を力任せに抉じ開けた。
バキ、と空間そのものが割れるような硬質な音が響き、視界が一気に拓ける。
「これが……神の玉座……」
背後でミラが息を呑んだ。
そこに広がっていたのは、神々しい宮殿でも、超越者の住まう楽園でもなかった。
ただただ冷徹で、無機質で、天を突くほどに巨大な――世界OSのメインサーバー構造体。剥き出しの基幹プログラムが青白い光を放ちながら幾何学的に明滅する、巨大な電子の墓標。
そして、その中央に鎮座する絶対的な『玉座』には、誰も座っていなかった。
「……いない?」
ミラが呆然と呟く。
神は最初から存在しなかった。この世界を裁き、無数の平行世界を冷酷に間引き続けていたのは、意志を持つ人格などではない。
ただの演算。ただのシステム。
絶対的な神の不在という世界の冷え切った真実が、そこにはただ静かに転がっていた。
だが――アレンの視線は、そんなシステムの正体には一瞥もくれなかった。
サーバーシステムの中心。
世界OSの心臓部へ、文字通り直接突き刺さっている、一本の巨大な『真鍮の杭』。
その杭の前に、一人の少女が立っていた。
見紛うはずもない、小さくて、傲慢な後ろ姿。
「エレノア」
アレンの声が、静かに空間に響く。
少女の肩が、びくりと跳ねた。
ゆっくりと、まるで信じられないものを見るように、彼女が振り返る。
「……よう」
いつもと変わらない、ぶっきらぼうなアレンの挨拶。
対するエレノアは、その大きな瞳を丸く見開いた後、ふっと、いつもの不敵で、けれどどこか儚い笑みを口元に浮かべた。
「……遅い」
ほんの少し、愛おしそうな間を置いて、彼女は続けた。
「しぶといって書いたでしょ」
「当たり前だろ。誰に向かって言ってやがる」
アレンが笑い、彼女の元へ一歩を踏み出そうとした。
――その瞬間、ミラの悲鳴のような絶叫がアレンを止めた。
「アレン、待って……! エレノアの身体、それ、嘘でしょ……っ!?」
正面から向き合って、初めて見えた。
振り返ったエレノアの右半身――指先から、腕、そして胸元にかけて、彼女の肉体はすでに人間のものではなくなっていた。衣服も皮膚も剥ぎ取られ、世界OSの基幹プログラムと同調した、青白い幾何学的な『数式コード』へと変質し、空間に融けかかっている。
「……っ、エレノア、その身体は――」
アレンが強引に距離を詰めようとした瞬間、二人の間の空間が激しく爆ぜた。
【SYSTEM PROTECTED】
【ACCESS DENIED】
【ADMINISTRATOR LOCK】
世界が、アレンを拒絶した。
目の前を埋め尽くす巨大な赤いエラーメッセージの壁。世界OSが、侵入者であるアレンを消去しようと、防衛システムを具現化させる。
「下がってなさい、世界OS」
エレノアが、数式化していない方の左手を、無造作に上空へ掲げた。
その瞬間、世界OSの警告音がピタリと止まり、赤いエラー壁が霧のように霧散していく。
「今だけよ。時間がないの」
エレノアは平然と言ってのける。だが、その額には大粒の汗が滲んでいた。彼女がその命を賭して、システムそのものを内側から力任せに押さえ込んでいるのは一目瞭然だった。
「あんた、ここで何をするつもりよ……!」
ミラの問いに、エレノアは真鍮の杭を強く握り締め、不敵に言い放った。
「私が、引き継ぐのよ」
「は?」
アレンの短い声。
ミラは、世界OSのサーバーとエレノアの半身を見比べ、顔を蒼白にする。
「まさか……それって、あなたの存在を世界に捧げて、ハッキングして権限を奪い取るってこと!? そんなことしたら、あなたは人間じゃなくなって――」
「そういうこと」
エレノアはミラの言葉を、確かな決意を持って遮った。
ピキ、と硬質な音が響く。
エレノアの肩まで達していた数式化の侵食が、青い走査線となって、ついに彼女の細い首筋へと、容赦なく這い上がり始めた。
「だから――時間がないの」
・
少女のタイムリミットが、あまりにも残酷に告げられる。
(第37話:『神の玉座』 ・ 完)
(次回「第38話:二者択一」へ続く)




