第34話:不適合者の揺り籠(後編)
「……アレン。これを見て」
狂気のハッキング計画書に圧倒されていたミラが、部屋の最奥、コンクリートの隙間に強引に埋め込まれた『特殊な記述』を見つけ、かすり切れた声でアレンを呼んだ。
「なんだ?」
「この空間……このキャンプ全体のシステム定義よ。世界OSの干渉を完全に遮断して、因果律のループから独立させてる。……これの、固有識別名が登録されてるわ」
ミラは画面代わりの金属紙を指差す。そこに刻まれていたシステム用語の羅列。その最下層に、エレノアの筆跡でこう記されていた。
――『不適合者の揺り籠』。
「不適合者の、揺り籠……」
「そうよ。世界OSという『絶対の正解』に馴染めず、システムに弾かれた不適合者たちが、神の目を盗んで息を潜めるためのセーフハウス。……あの子は、自分一人のためにここを作ったんじゃないわ。いつか、世界に弾き出される『誰か』がここに逃げ込めるように、この閉ざされた空間を維持し続けていたのよ」
世界のバグ、システムの不適合者。
その言葉が指し示す存在など、この世界に一人しかいない。
アレンが己の右腕を見つめる中、ミラはさらに、その記述のすぐ隣にある『隠し棚』のような歪みに手を伸ばした。
そこには、厳重に保護された、たった一枚の古い設計図が保管されていた。
一目見た瞬間、ミラの身体が、今日一番の強さで凍りついた。
「……嘘……でしょ……?」
「ミラ?」
「これ、ありえない……ありえないわよ、こんなこと……っ!」
ミラは頭を抱え、絶句する。世界の記録者としてのすべての知識が、その設計図の持つ『意味』を理解してしまい、完全にパニックを起こしていた。
「おい、何が描いてあるんだ。教えろ」
「アレン……あなた、自分の右腕がどうしてこんな不格好な真鍮で作られたと思ってたの?」
「……そりゃ、俺がジャンク屋だからだろ。あいつがその辺のクズ鉄を拾い集めて、適当にでっち上げた腕だ」
「違う。逆よ……。全然違うわ、アレン」
ミラの顔から、完全に血の気が引いていく。
「これ、あなたの『真鍮の右腕』の構造図じゃないわ。……いいえ、アレンの腕になる『予定』だった設計図よ……!」
「何……?」
「この設計図、日付を見て。あなたの腕が実際に作られるより、遥か前――あの子が『外側』に落ちた直後のものよ。見て、この術式、この内部回路のパーツの噛み合わせ……これ、世界OSの中枢セキュリティを、物理的に、内側から強制ハッキングしてブチ破るための『鍵』そのものよ!」
ミラの震える指が、設計図の随所に書き込まれた微細な文字をなぞる。
その複雑極まる幾何学的な回路図を見つめるうち、アレンの脳裏に、かつてまだ現世の片隅で、あいつと二人でジャンクを弄っていた頃の記憶が、鮮烈に蘇った。
『なぁエレノア。お前、なんでこんな変な腕のパーツばかり試作してんだ? 俺の趣味じゃねえぞ』
『いいのよ、これは』
『何のためにだよ』
『保険』
『だから何の保険だ』
『うるさいわね。もし私がいなくなったら、その時になればわかるわ』
『その時が来たら、ちゃんと持っていきなさい』
『何をだよ』
『うるさいわね。ジャンク屋なら自分で見つけなさい。……アレン、あなたジャンク屋でしょ? だったらその時が来たら、ちゃんと目利きしなさいよ』
――あの時の、ふてくされたようなエレノアの横顔。
ただの偏屈な思いつきだとばかり思い込んでいたあの不器用な言葉の真意を、アレンは今、理解した。
「あの子は……エレノアは、最初から知っていたのよ」
ミラが絞り出すような声で、真実を告げる。
「自分が外側に落ちること。世界OSを殺すには、この『鍵』が必要なこと。空間を越えてそれを持ち帰れるのは、自分の作ったジャンクの価値を世界で唯一見抜ける、ジャンク屋のあなたしかいないってことを……!」
胸の奥が、焼けるように熱くなるのをアレンは感じていた。
エレノアは、アレンを置いていったのではなかった。
アレンを戦いに巻き込まないために、優しさで突き放したわけでもない。
あいつは、最初から確信していたのだ。
自分が遺したあの『真鍮の右腕』を引っ提げて、アレンが必ず、この世界の外側まで自分を追ってくるということを。
世界が何度壊れようと。
神がどれほど二人を隔てようと。
アレンなら来る。
それだけは、毛頭疑っていなかった。
「あいつ……」
アレンは、己の鈍く光る真鍮の右腕を見つめた。
重い。あまりにも重い。
この腕が、なぜこれほどまでに不格好で、頑丈で、世界のジャンクパーツを貪るように馴染む形状で作られていたのか。その本当の理由を、今になって突きつけられた。
これは、あいつから託された、世界を殺すための最凶の武器であり。
同時に、「ここまで来い」という、気が遠くなるほど巨大で、あまりにも傲慢な『信頼のバトン』だったのだ。
「本当に、大馬鹿野郎だな、お前は……」
アレンの口元から、ふっと、熱い笑みが漏れた。
その時、設計図が保管されていた棚の最奥から、ガゴリ、と不気味な重低音が響いた。
振動と共に、ハッキング計画書の壁が左右に割れていく。
現れたのは、研究室の冷徹な空気には一切似合わない、重厚で、あまりにも巨大な――【真鍮製の扉】だった。
その扉の表面には、まるでアレンを煽るかのように、ナイフの刃先で乱暴に、だが深く、メッセージが刻み込まれていた。
『次は迷うな』
アレンは、しばらくその文字を見上げていた。
何年も前。
あの日。
エレノアを追えなかった自分を嘲笑うような、不器用な筆跡だった。
「……言われなくても」
アレンは鼻で笑う。
そして、真鍮の右腕を力強く握り締めた。
「今度は絶対に、お前を置いていかねえよ」
重い駆動音と共に、真鍮の扉の中心部が淡く発光した。
その隙間から漏れ出した光は、この世界のどこにも存在しない色をしていた。
(第34話:不適合者の揺り籠 ・ 完)
(次回「第35話:『神の心臓』へ続く」)




