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『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー


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第32話 : 世界の外側

 耳を狂わせていた世界の軋み音が、唐突に、嘘のように消え去った。

 次に二人が目を開けたとき――そこには宇宙も、空も、大地もなかった。


 視界を埋め尽くしたのは、圧倒的な物量で浮遊する、灰色の『残骸ジャンク』の海だった。



 途中で不自然に断絶した、見たこともない様式の高層ビル群。

 年表から丸ごと削り取られた、存在しないはずの古い歴史の記録媒体。

 神のシステムに拒絶され、実体化の権利を奪われた歪な巨大生物の抜け殻。

 色を塗られる前にボツになったのか、輪郭だけが不気味に明滅する半透明の太陽。



 それは、世界OSが『完璧な世界』というプログラムを維持するために、何千年も、何万回ものループの中で切り捨て、隠蔽し続けてきた――実在する『失敗作の墓場』だった。

 見渡す限りの灰色の世界。光すら澱んだ吹き溜まりの底で、アレンは呆然と立ち尽くしていた。


「……なんだここ。ミラ、お前の『記録』にこんな場所あったか?」


 アレンの言葉に、隣にいたミラは、魂を抜かれたように目を見開いたまま、小さく首を横に振る。


「……あるわけないわ。世界の『内側』の記録者だもの。システムが正常に機能している限り、ここはデータにすら残らない。完全に消去されたはずの――世界のゴミ箱よ。私たちは、本当に外に出ちゃったのね……」


 絶望的な光景だった。世界の終わりそのもののような、果てしない虚無のディストピア。

 だが、アレンの肩が微かに揺れた。血の滲む顔のまま、男はいつもの、あの傲岸不遜な笑みを深く、深くその口元に刻み込んでいく。


「最高じゃねえか」


「は……? バカ言わないでアレン、ここがどこかも、安全かどうかも分からないのよ!?」


「どこだっていいさ。神様が必死に隠したがるほどの、極上のゴミの山だ」


 アレンは右腕の重い金属フレームを軋ませ、一歩、ガラクタの山を踏みしめた。


「ジャンク屋を舐めるなよ、ミラ。世界OSにとっては不要なゴミでも、俺にとっては宝の山だ。――ここは、俺の特等席だ」


...


 歩き出した二人の足元で、世界の『ルール』が完全に崩壊していることが、すぐに証明された。

一歩踏み出せば、不意に重力が反転し、廃棄されたビルの壁面を重力を無視して歩くことになる。ふと見上げれば、逆流した時間が、浮かぶガラクタの時計の針を猛烈な勢いで巻き戻していた。

 ここでは音が遅れて響き、光は触ると冷たい。世界OSの演算という檻から出た代償は、すべての物理法則が『未定義』であるという、あまりにも不気味な自由だった。


「アレン、絶対に私の後ろから離れないで。ここは因果律すら固定されていないわ。一歩間違えれば、存在の定義ごと、あのジャンクの中に混ざって消えるわよ」


「上等だ。あの綺麗で作られた檻の中にいるより、こっちの方が何倍も息がしやすい」


 アレンは途中で浮遊していた、動くはずのない壊れた機構ギミックのパーツを拾い上げ、指先で弄びながら笑う。

 システムに怯え、管理されていたミラの目には、この空間は『法則の死』に映る。だが、世界の底辺でガラクタを弄って生きてきたアレンにとっては、この混沌こそが馴染み深い戦場そのものだった。



 どれほどの時間を、その未定義の暗闇の中で歩いたのか。

 アレンは右腕の真鍮が放つ、微かな残光だけを頼りに、ガラクタの波を掻き分けていく。終わりもなければ、目指すべき座標すら空間には存在しない。ただ、ジャンク屋としての野生の直感だけを信じて、闇の奥へと突き進む。


「――アレン?」


 背後を歩いていたミラが、不意に声を潜めた。アレンの足が、唐突に止まっていた。その背中が、見たこともないほど不自然に硬直している。


「どうしたの? 何か変なエラーデータでも――」


「……いや」


 アレンの声から、いつもの余裕が完全に消え失せていた。


視線の先にあったのは、すべてがシステムに拒絶され、色彩を奪われて灰色に煤けた廃棄物の山。その薄暗い斜面の途中に、それはあった。

 あまりにも異質だった。光の届かない世界の裏側で、たった一つだけ、傲慢なほどに鮮烈な**『真鍮の鈍色』**を保ち続けている歪な金属片。


 アレンが吸い寄せられるように歩を進める。足元のガラクタが崩れる音すら耳に入っていない様子で、泥に塗れたその金属片を、震える指先で拾い上げた。

 それは、酷く不格好に繋ぎ合わされた、手作りの真鍮のペンダントだった。歯車を組み合わせただけの、ジャンク屋の子供の悪戯のような代物。


 だが、アレンには分かった。かつて、まだ世界がループの地獄に叩き落とされる前――ジャンクの吹き溜まりのような街で、自分が初めて『彼女』に手渡した、世界にたった一つしかない失敗作。


「それ……何?」


背後に追いついたミラが、アレンの手元を覗き込んで息を呑む。どんな絶望的な戦いでも、世界OSの執行機関を前にしても、一度だって崩れなかったアレンの顔が、今、初めて子供のような無防備な動揺をさらしていた。


 アレンは答えない。ただ、狂ったようにペンダントを裏返した。親指で強く煤を擦り落とす。そこに刻まれていたのは、システムが自動生成する無機質なフォントなどでは決してなかった。鋭い刃物で、必死に、けれど確かに書き殴られた――見紛うはずもない、エレノアの筆跡。



『遅い』



 アレンは、絶句した。

 その二文字が意味する圧倒的な質量に、脳髄が激しく火花を散らす。

 生きている。それだけじゃない。彼女はアレンが何千回世界をやり直し、何万回殺され、それでもなお全ての執念を右腕に宿してここまで辿り着くことを――最初から全部、知っていたのだ。泣いて待っていたのではない。ここで、アレンが来るのを確信して、不敵に待っていたのだ。


 ――アレンには、そうとしか思えなかった。


「アレン……?」


ミラが怪訝そうに声をかけるが、それすらアレンの耳には届かない。


 ――。


 アレンがゆっくりと、闇の奥へと顔を上げた。今、何か聞こえた気がした。かつて彼女がジャンクの山を見上げながら、何度も、何度も口ずんでいた、あの古い歌の旋律。


 それが、法則の狂った空間が鳴らしたただの風の音だったのか。それとも――。


アレンはペンダントを握りしめた。その口元が、ゆっくりと、獰猛に吊り上がる。


「待ってろ」


 誰に聞かせるでもなく。

 男は、まだ見ぬ闇の深淵を見据えた。




(第32話:世界の外側 ・ 完)

(次回「第33話:『漂流者たちの足跡』」へ続く)

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