第33話:漂流者たちの足跡
アレンは、真鍮のペンダントを握りしめたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。狂った物理法則がもたらす不気味な静寂の中、背後からミラが恐る恐る声をかける。
「……で? これからどうするの、アレン。ここには座標も、道なんてものも存在しないのよ」
「探す」
「何を根拠に?」
「ジャンク屋の勘だ」
ミラは深く、盛大なため息をついた。世界の記録者である彼女からすれば、この未定義の虚無で「勘」を頼りに動くなど、自殺志願者の暴挙にしか見えない。だが、アレンの瞳には一切の迷いがなかった。
アレンは腰を落とし、周囲に浮遊する灰色のガラクタを凝視し始めた。ミラには、どれもシステムに捨てられただけの等価値のゴミ屑にしか見えない。だが、アレンの網膜は、その中にある『歪み』を正確に捉えていた。
「おい、ミラ。お前にはこれがただのゴミの山に見えるか?」
「そうよ。それ以外に何があるって言うの」
「違うな。これ、誰かが並べただろ。歯車の噛み合わせが、全部『北』を向いてる。それに、この千切れた真鍮のワイヤーの断面だ。これ、風化でちぎれたんじゃねえ。ニッパーで特定の角度に切断されてる」
ミラは息を呑んだ。
「それだけじゃねえ。一見バラバラに浮いてるように見えて、真鍮のパーツだけが、きれいに一定の間隔で配置されてる。……ジャンク屋の目をごまかせると思うなよ。これは、誰かが作った『道標』だ。誰かじゃねえ。――エレノアだ」
アレンは、その『真鍮の波長』を辿るように歩き出した。ミラは何も言えず、ただその背中を追う。世界のルールを知り尽くしていたはずの記録者が、この外側の世界ではただの迷子であり、底辺でゴミを漁っていたジャンク屋のアレンだけが、暗闇の地図を完璧に読めている。その事実が、ミラには奇妙で、同時に酷く心強かった。
案内図を辿るようにジャンクの海を泳ぎ、数時間ほど進んだ頃。廃棄されたビルの影に、さらに異質な空間が現れた。
「これは……」
ミラが声を失う。そこには、世界の外側を生き延びた人間の『生活の痕跡』があった。
ガラクタの鉄板を器用に組み合わせて作られた、小さな寝床。世界OSの干渉を強引に遮断するために、いくつかのジャンクパーツを改造して作られた、自家製の防衛回路。その中央には、黒く煤けた、何かを燃やしたような焚き火の跡まで残されていた。
アレンはゆっくりと、その生活の跡へ近づき、一つひとつの遺物に触れていく。
寝床に敷かれていたのは、ガラクタの繊維を集めて何度も、何度も粗い金属糸で修理された毛布。
その傍らに転がっているのは、刃先が歪み、完全に使い潰されるまで酷使された古い工具たち。
そして、仮初めの拠点の壁となっていた廃ビルのコンクリート片。そこには、鋭い刃物で、気の遠くなるような数の『斜線』が刻み込まれていた。
一、二、三、四……五。束ねられた斜線の群れが、壁一面を埋め尽くしている。
あまりにも多い。
一目で数えることを諦めるほどに。
「日付のカウント……? 嘘よ、世界OSのループの外側には、時間の概念すら固定されていないはずなのに。彼女は、自分で自分の時間を定義して、ここで生き続けていたっていうの……?」
ミラの声が震える。
壁に刻まれた無数の傷跡は、エレノアがたった一人、この過酷な虚無の底で、どれほど途方もない年月をサバイブしてきたかという『執念の証明』そのものだった。
エレノアは、冷たい檻の中で泣いて救いを待っているような『囚われの姫』などでは、決してない。読者も、ミラも、その事実を言葉ではなく、残された生活の重みから突きつけられることになる。
だが、驚愕はそれだけでは終わらなかった。
キャンプの隅、ガラクタの影に転がっている「それ」が視界に入った瞬間、ミラの顔から完全に血の気が引いた。
「な、に……これ……っ!?」
そこに転がっていたのは、強引に外殻をこじ開けられ、内部の超精密な結晶回路を文字通り「玩具のように徹底的に書き換えられた」――世界OSの執行機関(システム防衛用自律兵器)の残骸だった。
世界のルールそのものである絶対的な存在が、まるでただの壊れたラジオのように解体され、無残に打ち捨てられている。
「世界OSの、執行機関を……単身で返り討ちにして、その上で、解体したっていうの……? そんなこと、人間の領域を完全に超えてるわ……! 一体、誰がこんな狂った真似を……!」
ガチガチと歯を鳴らすミラを横目に、アレンはゆっくりと歩み寄り、その無残な鉄屑を見下ろした。
そして、その口元を、今日一番の獰猛さで歪めてみせる。
「決まってるだろ」
アレンは笑った。
「俺の、最高の相棒だ」
(第33話:漂流者たちの足跡 ・ 完)
(次回「第34話:『不適合者の揺り籠』」へ続く)




