第30話:最初のバグ
真鍮の右腕の山。
かつて自分が世界に挑み、そのたびにスクラップにされてきた「自分の半身」の墓場で、アレンは狂いそうになっていた。
頭を掻きむしり、ノイズを吐き出す右腕を抱え、鉄の屍の山に膝を突く。
自分は何者だ。自分という主人公は、世界OSに定期的に生産されては駆除される、ただの規格化されたジャンクデータに過ぎなかったのか。
「……なんでだ」
アレンは、墓場の底から響くような声を絞り出した。
「なんで、俺を助け続けた……! そんなに何度も俺が死んで、そのたびに中身が入れ替わる人形だったなら、放っておけばよかっただろ……! なんでお前は、何度も、何度も俺を拾った!」
山を見つめたまま動かない小さな背中に、アレンは叫んでいた。
ミラは、ゆっくりと振り返る。
その赤い左目は、かつてないほどに潤み、そして酷く冷たく濁っていた。
「知らないよ」
ミラは、ぽつりと微笑んだ。
「最初は、違った。最初はただ、世界OSのシステムエラーを眺めてるだけだった」
ミラの小さな指先が、空中に黒いホログラムを展開する。
そこに浮かび上がったのは、アレンの知らない、かつてのループの記録だった。
《LOOP No. 17》
《LOOP No. 54》
《LOOP No. 112》
《LOOP No. 301》
画面の中で、毎回違う服を着て、毎回違う顔をしたアレンが、全く同じ真鍮の腕を振り回して、最後は光の粒子になって消えていく。
「そのうち、もうやめようと思った。次のループでは、絶対にこいつを拾わないって決めた。ただのスクラップとして、未登録区域のゴミ箱で完全に消滅するのを見届けようって、そう思ってたのに」
ミラは、自らの胸を強く掻きむしった。
その華奢な爪が、自身の肌にエラーの火花を散らす。
「……なのに、あんたがそこに堕ちてくるから」
ジャンクの山で、手足を引きちぎられ、記憶をすべて白紙にされた状態で、それでもなお、世界への執着だけで指先を動かしている男。
その男の前にミラが立ったとき、アレンは毎回、記憶を失っているはずなのに、全く同じ言葉を彼女に投げかけるのだ。
『おい、生きてるか』
「だから、大嫌いだったんだよ」
ミラの瞳から、一筋の黒い涙がこぼれ落ちた。
「何回も、何回も、私の目の前であの子の名前を叫んで死ぬから。次は優しく生きようねって言ったのに、すぐに約束を破って世界の心臓に手を伸ばすから。……何回も何回も、私を置いて死ぬくせに」
ミラは息を詰まらせ、言葉を震わせた。
「なのに……何回記憶を消されても、何回立ち上がるから」
その孤独の深淵に、アレンは言葉を失った。
アレンは毎回、初恋に取り憑かれたように突き進む。だが、その裏で、ミラはその無数の「アレンの死」の痛みを、たった一人で、何百年分もその身に溜め込んできたのだ。
ミラにとってアレンは、救いであると同時に、決して終わらない最悪の呪いだった。
「私は、あんたが立ち上がるたびに、またあんたが死ぬところを見なきゃいけない。……ねえ、アレン。これでも私が、あんたの都合のいい仲間に見える?」
「ミラ、俺は──」
その時、墓場の全域が、真っ白な光に包まれた。
頭上の空間が、ガラスのようにパリンと割れる。
システムの死角であったはずのこの最下層を、世界OSの『掃除屋』が、力任せに空間ごとこじ開けたのだ。
上空に浮かぶのは、顔のない純白の虚無。その冷酷な視線が、真鍮の腕の山を、そしてミラを捉える。
《──警告──》
機械音声が、奈落の底に鳴り響く。
《Origin Error Detected(根本的エラーを検知)》
《Designation : MIRA(識別名:ミラ)》
《First Recorded Bug(最初のバグ)》
《完全消去を執行します》
最初のバグ──。
襲い来る純白のデリート光線を前に、ミラは絶望的な光を放つ目で、ただ静かに笑った。
「だから私は、そう簡単には消せないんだよ」
ミラはアレンに背を向けたまま、静かに呟く。
「私を完全に消したら、この世界は、自分の心臓まで壊しちゃうから」
「……あはは。やっぱり、今回もここで終わりか」
ミラは諦めたように目を閉じ、両手を広げた。
世界が白に染まっていく。すべてが消える。また、アレンが死んで、次のアレンが作られる、いつものFAIL(失敗)の光景。
だが。
その白光の絶望の中で、ガチリ、と、ひどく小気味良い「歯車の噛み合う音」が響いた。
「──LOOP No. 143も」
低い声が、世界の消去音を切り裂いた。
「267も。589も。……全部失敗したんだろうな」
ミラの身体が、引きずり戻される。
気付けば、ミラの前に、一人の男の背中が立ちはだかっていた。
真鍮の右腕から、これまでの限界出力を遥かに超える、悍ましいほどの漆黒のノイズを噴射しながら。
「アレン……?」
アレンは、足元に転がる無数の「自分の屍」を見下ろし、それから頭上の世界OSを、獰猛に睨みつけた。
「だから何だ」
アレンは、笑った。
過去のアレンが、世界OSの最深部でシステムを嘲笑った、あの傲慢な笑顔と全く同じ顔で。
「何百回死んだか知らないが、今、ここに生きている俺のこの右腕は──まだ一度も、エレノアを諦めてない。そして──」
アレンは真鍮の拳を固く握りしめ、背後のミラへ、ぶっきらぼうに言い放った。
「お前を一人で泣かせたまま、終わらせるつもりもねえよ」
ドバァッ!!! と、アレンの真鍮の腕が、過去のすべての失敗を燃料に変えるように、世界の法則を書き換える黒い光を爆発させた。
その瞬間。
真鍮の腕の墓場に埋もれていた無数の残骸が、一斉に、微かに発光した。
(第30話:最初のバグ ・ 完)
(次回「第31話:共犯者のトリガー」へ続く)




