表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『星を紡ぐ右腕 〜追放された魔導技師、壊れた右腕で世界を繋ぐ〜』  作者: 鍼灸師いのぴー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/34

第29話:バグの系譜

鉄錆の臭いと、電子の死骸が放つ焦げた悪臭。

世界OSの最深部から叩き落とされたアジトの床で、アレンは立ち上がれずにいた。


頭骨を直接叩き割られるような記憶の濁流が、ようやく収まりかけている。

真鍮の右腕は、激しい過負荷オーバーヒートでパチパチと青白い火花を散らし、煤を上げている。


沈黙が、アジトを支配していた。


アレンは動けない。

すぐ目の前では、ミラが壁に深く身体をもたれかけ、細い肩を上下に揺らしていた。

アレンをサルベージするためにシステムをハッキングした代償は大きく、彼女の白い肌のあちこちで、冷酷なエラーコードの残滓が明滅している。


しばらく、誰も喋らなかった。

喋るための言葉を、世界の構造そのものが拒絶しているようだった。


やがて。

アレンはかすれた声を、喉の奥から絞り出した。


「……何回だ」


ミラは答えない。

ただ、赤い左目をわずかに伏せて、じっと自分の小さな爪先を見つめている。


「何回、繰り返した」


アレンの真鍮の指が、血が滲むほど強く床の鉄板を掻きむしった。


「俺がエレノアを思い出し、世界OSに挑み、そして……何回、ここに堕ちてきた」


ミラが、ゆっくりと顔を上げた。

その唇が、少しだけ、自嘲気味に笑う。

ひどく、ひどく疲れた顔で。


「覚えてないって、言ったでしょ」


「ミラ──」


「百回かもしれない。千回かもしれない。……途中から数えるの、やめちゃったんだから」


ミラは小さく息を吐いて、自らの華奢な指を、一つ、ずつ折り始めた。


「だって、全部同じだったし」


アレンの背筋が、凍りつく。


「全部……?」


「うん」

ミラは遠い目をしながら、淡々と指を折っていく。


「最初はエレノアを助けようとした」

「次は世界OSを壊そうとした」

「その次は、私を置いて一人で行った」

「一回だけ……エレノアを忘れたまま、ただのジャンク屋として普通に生きようとしたこともあった」


アレンの呼吸が、完全に止まる。

一度だって、そんなルートを歩んだ覚えはない。だが、ミラの細い指が折られるたびに、自分の知らない「自分の足跡」が、世界の裏側に刻まれているのを感じていた。


「でも最後は、全部同じ」


ミラは折った指を握りしめ、ぽつりと呟いた。


「アレンはまたエレノアを思い出して」

「また世界の心臓まで辿り着いて」

「……また、全部失った」


ミラの声は、底に無限の諦念を沈めていた。

アレンだけが忘れて、アレンだけが初恋のままで、何度もあの子のところへ這い上がっていく。その無謀な軌跡と、無惨な結末のすべてを、彼女はたった一人で、見届けてきたのだ。


「アレンが私を拾うんじゃない。アレンがそこに堕ちてくるから、私がそこで待ってるの」


「お前は……一体……」


アレンがその深淵に手を伸ばそうとした、その瞬間だった。


ガリ、と。

アジトの鉄扉の向こうで、世界の法則が物理的に歪むような、不快な電子音が鳴り響いた。

空気が一瞬で氷結し、アジトのあらゆるジャンク端末が、一斉に真っ赤な警告画面アラートを吐き出し始める。


「──来た」


ミラの顔から、一瞬で血の気が引いた。


バキィッ!!!

強固なはずの隔壁が、まるで消しゴムで消されるように、光の粒子となって消失した。


そこに立っていたのは、人間の形を模した「虚無」だった。

顔のない、純白の ──ではなく、純白の輪郭。その全身から、未登録区域の空間そのものを強制デリートしていく冷酷なエラーコードが蒸発している。世界OS直属の排除プログラム──『掃除屋』。


だが、その輪郭のない頭部がアレンを無視し、真っ直ぐにミラを捉えた瞬間。

掃除屋の全身のノイズが、一層激しく跳ね上がった。


《──対象確認──》


機械的な、けれど世界の意志そのものの重みを持った合成音声が、アジトに響き渡る。


《Origin Error Detected(根本的エラーを検知)》


《Designation : MIRA(識別名:ミラ)》


《First Recorded Bug(最初のバグ)》


《完全消去を執行します》


最初のバグ──。

世界OSそのものが、ミラをこの世界のあらゆる不具合の「根源」として認識している。


「っ──アレン、走って!!!」


ミラが叫ぶと同時に、その小さな両手から、漆黒のバグコードが爆発的に吹き荒れた。掃除屋の放つ純白のデリート光線と、ミラの黒いノイズが衝突し、アジトの壁がポリゴン単位で弾け飛ぶ。


「くそがっ……!」


アレンは過負荷で悲鳴を上げる真鍮の腕を無理やり駆動させ、ミラの小さな身体を抱きかかえた。

背後から迫る、空間そのものを消去していく──純白の光。アレンはアジトの崩落した床の隙間──未登録区域のさらに下、光すら届かない「深淵」へと、迷わず身を投げた。



──どれほど落下しただろうか。


激しい衝撃と共に、アレンとミラは冷たい鉄の山の上へと転がった。

掃除屋の追撃は、まだ届いていない。どうやら、世界OSの監視の目が届かない、完全な「システムの死角(ゴミ捨て場)」に落ち延びたようだった。


「ミラ、大丈夫か……?」


アレンは身を起こし、抱きかかえていたミラをそっと床に下ろす。

ミラは小さく呼吸を乱しながらも、ただ静かに、アレンの後ろの闇を見つめていた。


「……アレン。上を見て」


ミラの声に導かれるように、アレンはジャンク屋としての本能で、右腕の真鍮指をパチパチと発光させ、周囲の闇を照らした。


淡い青白い光が、その「山」の正体を浮かび上がらせる。


「な……に、これ……」


アレンの喉から、乾いた悲鳴が漏れた。


そこにあったのは、山だった。

数え切れないほどの、金属の残骸。それも、ただのジャンクではない。

歯車が噛み合い、真鍮の細工が施され、激しい戦闘の末にボロボロに焼き切れた──自分と全く同じ、『真鍮の右腕』の山だった。


何百、何千という、自分の半身の屍が、そこに廃棄されていた。


震える手で、アレンはその中の一本に触れる。

その瞬間、焼き切れていたはずの残骸の指先が、微かにパチリと起動し、虚空にホログラムのログを出力した。


《LOOP No. 143》

《FAIL(失敗)》


息が詰まる。アレンは取り憑かれたように、別の、煤け分厚い傷が刻まれた腕に触れた。


《LOOP No. 267》

《FAIL(失敗)》


さらに別の、指先がすべて消し飛んだ腕。


《LOOP No. 589》

《FAIL(失敗)》


世界OSは、記憶を消していたのではない。


アレンは、そのたびに死んでいた。

そしてまた作られていた。

この腕の数だけ。


「ほらね」


真鍮の腕の山の中で、ミラが寂しそうに微笑んだ。

その赤い左目が、暗闇の中で、無数の失敗の歴史を憐れむように明滅する。


「私たちは、ずっと同じことを繰り返してる」


ミラは、立ち尽くすアレンの、新しい真鍮の右腕にそっと小さな手を重ねた。


「ねえ、アレン」

「今度は、何回目で終われるかな」




(第29話:バグの系譜 ・ 完)

(次回「第30話:最初のバグ」へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ