第28話:世界の終わりの笑顔
「削除」が執行された瞬間、世界は音を立てて崩壊した。
アレンの五感は引き裂かれ、純白の空間も、あの思い出のアパートのポリゴンも、すべてが電子の塵へと分解されていく。
意識が、剥がれる。
システムエラーを起こした真鍮の右腕から、パチパチと青白い火花が散り、アレンの魂そのものを世界の「ゴミ箱」へと引きずり込んでいく。
だが、暗黒の底へ堕ちていくその感覚の中で──アレンは、見ていた。
システムに分解されかける脳内に、先ほどまで破損していた「過去のログ」が、濁流となって直接逆流してくる。
それは、彼が自ら消し去った、本当の記憶だった。
*
視界が切り替わる。
冷徹なシステムアラートが鳴り響く、世界OSの最深部《HEART CORE》。
そこには、今よりも少しだけ真新しく、傷一つない真鍮の腕を持った『過去のアレン』が立っていた。
彼の目の前には、巨大なカプセル。その中で、無数の光のコードに全身を繋がれ、静かに目を閉じている白いワンピースの少女──エレノアがいた。
『未来の俺。お前がこの記憶を見ているなら──』
ノイズ混じりの、けれど紛れもない自分自身の声が、アレンの脳内で響く。
『計画は失敗した』
『お前はまた、エレノアのところまで辿り着いてしまった』
ホログラムの中の過去アレンは、自嘲気味に、酷く悲しそうに目を伏せた。
『エレノアは死んだ』
『だから俺は世界を書き換えた』
『その結果が今だ』
過去アレンが、不意に顔を上げた。
その瞳には、世界のすべてを敵に回してもなお消えない、悍ましいほどの「光」が宿っていた。
『だがな──』
『それでも来た』
『何度でもだ』
システムメッセージが冷酷に告げる。
《不審な特異点を検知。OWNERの記憶を全消去し、最下層へ強制排除します》
世界OSが、彼からエレノアの記憶を奪おうと、精神のコアへ容赦なく牙を剥く。
その、世界の終わりを告げるような絶望のアラートの中で──過去アレンは、笑った。
心の底から、愛おしそうに、そしてシステムを徹底的に嘲笑うように。
『世界OS。お前は俺からすべてを奪い、記憶を消し、未登録区域の底へ叩き落とす。二度とここに近づけないように、完璧なプログラムを組んだつもりだろう』
『だけど、ざまぁみろ』
『俺たちはまた、エレノアを見つけた』
『どれだけ記憶を消されても、どれだけシステムの枷を嵌められても──俺たちはまたエレノアに恋をして、お前の防壁を食い破り、何度でもここまで這い上がってきたんだ』
世界の終わりの中で輝く、傲慢なまでの笑顔。
『人間の執着を、愛を、舐めるなよ』
その言葉を最後に、過去の光景は眩い閃光となって弾けた。
*
「──っ、は、ァ……っ!!!」
アレンは、激しく床を叩いて飛び起きた。
肺が張り裂けんばかりに、現実の空気を貪り吸う。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた、ゴミゴミとしたジャンクデータの騒音と鉄錆の臭い。世界OSの最深部ではない。未登録区域の、薄暗いアジトの床だった。
「……アレン……?」
すぐ目の前で、小さな少女が膝を突き、肩で息をしていた。
ミラだ。
その小さな身体は、アレンをあの崩壊するシステムから命がけでサルベージしたせいで、あちこちに細かいエラーログの火花を散らせている。
アレンの目から、一筋の涙が床にこぼれ落ちた。
「エレノア……。俺は、すべてを……」
呟いたその声。その視線。
アレンの瞳が、記憶を失った「ただのジャンク屋」のものではなく、かつて世界を欺いた「あの男」のそれに戻っていることに、ミラは一瞬で気づいた。
ミラは、酷く悲しそうに、けれどすべてを諦めきったような「知っている顔」で、静かに微笑んだ。
「……思い出した?」
「ミラ……お前は、まさか……」
アレンの細い震え声に、ミラは小さく首を横に振る。
「ねえ、アレン。今回も、やっぱりここまで来ちゃったんだね」
「今回、も……?」
アレンの背筋を、世界OSの冷気とは異なる、底知れぬ戦慄が駆け抜ける。
「何度目かなんて、もう覚えてないよ」
ミラは少しだけ目を細めた。
「アレンが私を拾った回数も」
(第28話:世界の終わりの笑顔 ・ 完)
(次回「第29話:バグの系譜」へ続く)




