第22話:存在整合性
世界は眩しいほどに美しく、徹底的に冷酷だった。
活気に満ちた王都の往来。空はどこまでも青く、太陽の光が石畳を白く照らしている。
広場では子供たちが無邪気に笑いながら駆け回り、商人たちは大声を張り上げて馴染みの客と値切りの交渉を楽しんでいる。ついさっきまで世界が崩壊しかけていたことなど、誰も覚えていない。完璧に修復された、あまりにもありふれた、平和な日常の光景。
その真ん中に、アレンはただ一人、立ち尽くしていた。
行き交う人々は、アレンと肩がぶつかりそうになっても、避ける素振りすら見せない。まるでそこに「最初から障害物がない」かのように、人々の視線はアレンの体を滑らかに透過していく。
アレンがいくら手を振っても、声を張り上げても、誰の瞳にも彼の姿は映らなかった。
世界から完全に切り離された、透明な幽霊。
その圧倒的な孤独と恐怖にアレンの背筋が凍りついた瞬間、彼の沈黙していた真鍮の右腕が、唐突に狂ったような赤光を放ち、脳内に冷徹な警告音を響かせた。
《存在整合性:97.432%》
《警告》
《世界構造との不一致を検出》
《整合性低下を検知──減少中》
視界の端に、血のように赤い文字列がこびりつく。
しかも、小数点以下の数字が、砂時計の砂のようにサラサラと、リアルタイムで確実に減り続けている。
「何だよこれ……!」
アレンは自分の右腕を掴み、吐き気のような戦慄に声を震わせた。「整合性って何だ……! 僕はここにいる、ここに立ってるじゃないか!」
焦燥感に駆られたアレンは、すぐ目の前を通り過ぎようとした、よく知る市場の店主の肩へ必死に手を伸ばした。
「おい、頼む、誰か僕を見てくれ……っ!」
ガシッ、と確かに店主の厚い布地を掴んだ──はずだった。
しかし、店主は「おや、少し風が冷たいな」と首をすくめただけで、そのままアレンの手をすり抜けるように歩いていってしまった。
同時に、右腕のログが激しく明滅する。
《不正規な干渉を検出》
《存在整合性:97.432% ──→ 97.411%》
「……っ!?」
数字が、跳ねるように減った。
説明されずとも理解できた。世界に認識されていない自分が、無理に世界へ触れようとすれば、その摩擦だけで自分の存在そのものが摩耗し、削り取られていくのだ。
「あはは、バカだなぁ。消えかかってる時に現世の連中に触っちゃダメだよ。寿命が縮むだけ」
薄暗い路地裏の影から、場違いに気の抜けた、けれどひどく冷えた少女の声が響いた。
先ほどの少女──ミラが、壁に背を預けたまま、リンゴを齧りながらアレンを眺めていた。
服装は普通の町娘のようだが、彼女の左目──そこには瞳などなく、バグった電子回路のような不気味な赤いエラー表示がチカチカと明滅している。
「君は……」
「97%か。思ったより長持ちしそうだね」
ミラは齧りかけのリンゴを放り投げると、一歩、アレンに向かって歩み寄った。
「何が、長持ちするって……?」
「お前のことだよ。前のやつは、隔離されてから三日でゼロになって消えた。その前のは……確か一日も持たなかったっけな」
さらりと告げられた不穏すぎる言葉に、アレンの息が詰まる。自分の前にも、同じように世界から弾き出され、消えていった者たちがいる。
「世界がお前を『存在』として認識できなくなってる。忘れられたんじゃない。文字通り、システムに削られていってるのさ」
ミラはアレンの右腕のログを指差した。
「それがゼロになった時、お前は空気公認の『本当の無』になる。誰の記憶からも、この世界の歴史からも、最初から存在しなかったデータとして、綺麗さっぱりデリートされる。それが──『存在不整合』の末路だ」
ただの孤独ではない。「死」よりも確実で、冷徹な消滅のタイムリミット。それが今、アレンの右腕で秒刻みのカウントダウンを始めているのだ。
アレンは冷や汗を流しながら、路地裏の少女を凝視した。
「……君は、何者なんだ。どうして僕が見える? どうしてそんなことを知っているんだ」
「さあね?」
ミラはあっけらかんと笑って見せた。
「さあって……!?」
「私も、世界から消された側だからね。お前よりちょっとばかし、この『奈落』の仕様に詳しい先輩ってだけさ」
全部は語らない。しかし、その左目の不気味なエラー表示が、彼女もまたシステムに牙を剥かれ、その爪痕を身体に残された「同類」であることを雄弁に物語っていた。
「それよりお前、自分の名前は?」
ミラが距離を詰め、覗き込むようにアレンの顔を覗き込んだ。
「僕は……アレンだ」
アレンは、消えかける自分を必死に繋ぎ止めるように、強くその名を口にした。
「本当に?」
ミラの赤いエラーの目が、愉快そうに、どこか哀れむように細められる。
「え……?」
「その名前、誰に付けられたの? 父親? 母親? それとも、どっかの親切な施設の園長先生?」
「それは──」
アレンの思考が、ピタリと止まった。
思い出せない。
エレノアの記憶を消された時のような「不自然な空白」ではない。もっと根本的な、自分の人生のスタート地点のデータが、最初からどこにも存在しないかのような、不気味な虚無。
自分の幼少期の記憶、親の顔、生まれ育った故郷。そのすべてが、白紙だった。
「答えられないでしょ」
ミラは、アレンの真鍮の義手を冷たい指先でコツンと叩いた。
「アレンっていうのはね」
一拍、置いて。
ミラは残酷な真実を、囁くように告げた。
「世界OSが付けた、ただの管理番号みたいなものだよ」
「な……」
「お前が何者で、どこから来たのか。そんなデータは最初から世界のどこにもない。アレンって名前は、お前の本当の名前じゃないんだよ」
自分は何者なのか。
世界を直すデバッガーだったはずの少年は、アイデンティティの根底を木端微塵に破壊され、声もなく絶句する。
平和な王都の喧騒が、今はひどく遠く、恐ろしく聞こえた。
アレンの思考が完全に凍りついたその瞬間、彼の右腕のログが、追い打ちをかけるように冷酷なエラーを吐き出し始めた。
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《存在整合性:96.998%》
《ユーザー種別:照合中……》
《ERROR:アクセス権限が不足しています》
(第22話:存在整合性 ・ 完)
(次回「第23話:未登録区域」へ続く)




